ポジティブ組織開発と日本の組織体の生き残り策について

~ポジティブ組織開発の本質~

今弊社では「ポジティブ組織開発」という概念を推進しています。

このポジティブには2つの意味合いが込められています。一つは目的のポジティブ化です。問題解決には大きく2つの世界観があります。一つは発生した問題を処理する主にネガティブ領域の解決アプローチであり、もう一つは未来に向けて新しい機会を生み出していくポジティブ領域の解決アプローチです。特に開発という表現で扱っている解決アプローチは後者の場合を指すのが殆どです。

解決手段についても、問題を原因究明的に遡及して根本を発見し処置するアプローチと、起きたことは起きたこととして創造的に難局を打開していくアプローチとに分かれます。後者が手段のポジティブ化です。(詳しくは拙書「問題解決のセンスをみがく本」をご参照ください)。

面白いことに日本では開発というポジティブ的な言葉を使うにも関わらず、実際はネガティブアプローチを行うことが非常に多く存在します。例えば、組織開発もそうです。

組織開発の多くは、組織として集団行動を行う過程に起きる問題に対して、原因究明とその処置として行うケースばかりです。そのやり方としては医者の介入と同じく、診断をして問題の原因を探求し、治療を行うといった案配です。

しかし人や組織が向き合う局面は、必ずしも問題が発生したから手を打たなければならないといった局面ばかりではありません。それなりには健康的ではあるが、より健康になろうと自発的に安定を崩す局面もありますし、将来を見据えて今の内に次の段階を受け入れられるように課題を設定するという局面もあります。競争環境にある組織体の場合、そこへのアプローチをしない限り活動が後手となって劣位に陥ってしまいかねません。まして解決に関してはVUCAなどと呼ばれる環境の中では、問題の発生原因が複雑で根本原因は一つに限らず、また従来の解決策が通用せず、従って創造的なアプローチを行わざるを得ないことの方が多くなってきています。

このような場合、従来の様な概念や技法によるアプローチは全く歯が立ちませんし、却ってことが悪化しないとも限りません。ポジティブとネガティブとでは態勢自体が真逆なのですから言わずもがなな話です。

ところが従来染み着いた価値観や行動の修正は非常に困難です。特に浸かり度合いが強ければ強いほど困難度は積算的に倍増します。人は一度染まった思考が至る所で頭を出します。

実際私もそういった局面に何度となく出会っています。現在も数社でそういった価値観によるリーダーシップの弊害を打破すべく奮戦中です。

今社会問題になっている働き方改革も社員の健康問題もその根は同じ所にあります。グローバル化の中でダイバシティが進み、仕事はますます複雑化を深めています。またITの普及でアジャイル化の度も高まり、時間は月から日へ、日から時へ、時から秒へとなり、しかも24時間体制となってきています。こういった競争環境の中で問題が発生しないとすればそれは奇跡以外の何者でもありません。ところがどの組織も相も変わらず発生型の問題処理という発想の域を出ません。そして場当たり的、モグラ叩き的に対処療法に拘泥するのみです。ストレスは加速度的に上がるにも関わらず、表層的な手を繰り返して真因を先送りし、誤魔化し的な手立てで抜けきろうと足掻きます。もしも首を竦めて入ればことが過ぎるとでも思っているのだとすれば末期ですが、意外にも担当者レベルでは異動までの我慢とばかりにそういう利己的で逃避的な動きをする人がいるのも事実です。まあそういう人材を担当にする組織自体が笑止ですが。

いずれにしても安易な時短の強制や残業撤廃などで持ち帰り残業や時間内での過剰事務処理の強制が鬱を生んだり、あちらこちらで信頼破壊を生んでいる実状は目に余るものがあります。人に優しくと言いながら人を追い込む日常行動を強いる施策は愚かとしか云えません。何故そういうことになっているのでしょうか。

一つは創造性喚起を軽視した目先の活動による人材や組織内における創造性の脆弱さです。古くより、有効な事業の開発も抜本的な業務の改革もそれを成し得ているのは創造性に尽きます。例えばアスクル社のビジネスモデルなど業務の効率を商品価値にまで高めた結果ですし、ヤマト運輸の配達システムも同様です。人とITのコラボレーションもその一つでしょう。しかしもっと身近なものもあります。会議の効率化や部門間コミュニケーションの円滑化も相当の業務効率の向上に貢献します。実際日本の業務効率の問題は圧倒的にホワイトカラーの生産性の低さにあります。無駄な会議、無駄な書類、重複する報連相や重要な報連相の断裂。業務連動の中での手空きの発生や仕事の一極集中化。仕事の調整をしない無能な管理職の存在。上に白けて動機付かない現場の社員やそういう現場や管理職を放置する幹部。こういった創造性のない組織行動が生産性を劣化させて、それを過剰な作業で埋め合わせようとするから組織はネガティブとなり、行きつくところ組織が疲弊していくわけです。

これを原因追究的なネガティブアプローチで是正しようとしたら一体どうなるか。火を見るより明らかです。却って組織は瓦解の途を早めるだけです。

~問題解決の鍵となる意のあり様~

ではどうすれば良いのでしょうか。具体的には個々人の意思と行動のポジティブ化。そしてチーム活動のコミュニケーションのポジティブな活性化を生み出すことです。例えばポジティブな世界観の一つに「レジリエンス」があります。一般に復元力と呼ばれていますが、ポジティブ心理学的には復元と云うよりも不動に近い観念と力です。不動とは東洋的には柔軟性でありしなやかさを云います。剛直性ではありません。折れる折れないではなく、受け流すに近い世界です。時には踏みつけられてもそれを栄養としてますますしなやかになると云う強靱さも持ち合わせています。こういった力を心理学や医学的に探求すると目的意識や人生哲学観といった意思の世界や覇気や気概といった情動の世界に行き着きます。面白いのはこれまで日本の教育が重視していた知能の世界とは違った世界が原動力になっているということです。ところが日本でこういった世界を駆使したアプローチが出来る所は殆どといってありませんし、そこを鍛えられている人材も非常に少ないのが現実です。特にパワーエリートといわれる組織の担当者ほどこの力がなく、同時に無理解者が多いのも皮肉なところです。これは私が実際に面接してきた体験の中での実感でもあります。頭は良いが心はヒヨッ子といった人材が如何に多いことか驚かされるばかりです。今やお寺の世界でもそういった人材が蔓延しているのが実際です。戦後70年で失ったモノの中で見えない力として最も憂慮すべきモノではないかと真摯に考える次第です。これではグローバルでやり合うには覚束ないのは必定です。特に集団主義的な日本人においてはその動きは致命傷ともなりかねません。

さてこういった意思はチーム活動においてより鮮明になってきます。チーム内での価値観の一致やそこから生み出される信頼感、率直なコミュニケーションの有り様は会話の時短のみならず創造性に大きく影響を及ぼします。互いに心おきなく論議し合える場の所有は社会的存在としての人間にとって必須事項です。日本のような歯に絹着せた様なやり取りや、過剰な忖度が生み出す弊害の大きさをもっと責任者は痛感すべきです。

欧米が何故「ミッション経営」とか「理念経営」を重視するかの根幹もここにあります。日本は知能ばかりにしか目が行かず、それが受け身の合理性や効率性中心の発想となり、権威主義に陥り自発性が持てない元凶になっています。欧米は知能以上に意思、それも意志を尊び、特に集団としての意志の有り様を最重視します。やはり大陸的に異民族との戦いによる民族保全の歴史がその影響力の大きさを、身を持って刻み込ませたのかもしれません。少なくともそういった力によって欧米はコンセプト・メイキングをし、新たなるモノを開発するのに長けているのに対して、日本は物真似を錬磨する技巧に長けた世界を生み出しているということは確かだと云えます。ともあれ戦後日本がイノベーションに弱く、いつまでも改革できないのは創造性の欠如であり、その根っこにはポジティブ意識の脆弱さがあるということにもっと目を向けるべきだと思います。ポジティブの開発、中でも組織的なポジティブの開発が求められているのが今の日本のあらゆる組織体の抱える喫緊の課題であることは間違いのないところです。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。