武器としてのこころリテラシー【1】 ~序論~

~目次~

1.はじめに

●「武器としてのこころリテラシー」発信のきっかけ

2.こころリテラシーの必要性

●知的武装だけでなく情的武装を

●情的武装=こころリテラシーとは何か

●もっと日常的に扱うべきこころ

●すべての人たちに求められる「武器」

 

~はじめに~

皆さん、こんにちは。JoyBizコンサルティング竹本です。

当社ではこれまでも代表恩田のブログや弊社コンサルタントのODメディアという名前で様々な情報を発信してきましたが、今回からブログ新シリーズとして「武器としてのこころリテラシー」のタイトルで情報発信をしていきたいと思います。

※これまでの代表恩田の「ソモサン」やODメディアは継続して発信してまいります。

 

きっかけの一つは、今回のCOVID-19(コロナ)インパクトを機に、弊社の中核領域である人の「こころ」を扱うことが待ったなしで重要になってくると思ったことです。そしてもう一つは、それにも関わらず「こころ」を扱うための視座や方法論が社会ではいまだ普及しているとはいいがたいと痛感したことです。

 

世間では緊急事態宣言があけましたが、第二波の警戒もあり、今後の仕事や生活はどうなっていくか不透明なことばかりです。仮に順調にコロナ禍がおさまっていっても今回のコロナインパクトで社会のあり方や仕事の仕方、私たちの生活における価値観は大きく変わっていくと思います。というよりもこれまでの変化のスピードがもっともっと早くなるという方が正しいでしょうか。

 

・働き方の見直しや多様化

・ビジネスの価値の問い直し

・バーチャルなネットワークの進化

・仕事(や人生)の個業化

 

様々に進んでいた変化は今回のコロナインパクトを受けて強制的にスピードを上げていきました。

 

こうした状況の中で、私たちの生き方そのものが多様化しつつあります。そしてこれからももっと多様化していきます。そこにあるのは、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも私たち一人一人が「自分自身のあり方」にこれまで以上に責任を持つ必要がある社会です。

 

そして、自分のありかたに責任を持ち、今後変化スピードがますます速くなる世の中で、より自分らしく生きていくためには、どうしても私たち一人一人が「武器」を持つ必要があります。そしてその武器こそがこのブログのメインテーマである「こころリテラシー」のことなのです。

 

~こころリテラシーの必要性~

現代では私たち、特にビジネスパーソンは、自分の武器を磨くことに余念はありません。

役に立つ情報へのアクセスは以前より確実に増え、情報の流通コストもどんどん下がっています。私自身もそうですが、毎日何か新しい情報に何らかの形では触れています。知ろうと思えばほとんどのことをなんでも知れる、そういう時代になってきました。

 

事実、成果を出しているビジネスパーソン、例えば

 

・社会貢献に挑んでいる経営者

・組織の中で高い成果を上げているエース人材

・高いプロフェッショナル意識で独立的に働く方々

・(若手の方でも)まだ何者かでなくても前進を志す人たち

 

この方々は自らの情報感度を高め、日々新しい情報を仕入れ、知的な付加価値を創出してパフォーマンスを上げようと日夜努力をしているのではないでしょうか。

 

しかし、それだけで本当に十分なのでしょうか?

VUCAの時代と言われ、これまでの価値がすごいスピードで陳腐化していく今の時代には「知的武装」はとても大事です。それは否定のしようがない事実です。しかし実はそれだけでは十分ではありません。

 

なぜならば変化が激しくなればなるほど、私たちのこころには負荷がかかりやすくなるし、疲労もたまっていくのです。そうなるとせっかく持っている情報や自分なりの知的な付加価値(アイディア)は実際の社会に活かせなくなります。もっと言えば、いかに成果を上げようとして情報を仕入れても、前向きな何かを生み出すエネルギーが生まれない、という状態になるのです。

 

実際に私たちの社会は、これまでは知らなくてもいい他人の情報が入ってくることによって、常に比較にさらされ、こころのエネルギーが削られやすい時代だといわれています。また情報自体も20年前の2000年時と比較すると700倍以上になっているというデータもあり、私たちのこころに負荷を与える要因は爆増しているといわれています。

 

そういう意味で、変化の時代を戦い抜くために知的武装力を磨くことはとても大切ですが、それと同時にこころの力、「情的武装力」が私たちには必要なのです。知的武装が刀だとすれば、情的武装はそれを扱う体だと例えられます。極端な話、いくら立派な刀だとしても乳児にわたしたところで刀の切れ味が発揮されないのと話は一緒です。

 

 

では情的武装力とは何でしょうか? 

それは私たち一人一人が目に見えない自分の「こころ」を自分自身でうまく扱っていく力です。

 

例えば、

 

・ストレスとは「こころの歪み」のことを言いますが、自分自身でそれに気づき歪みをとりながらストレスから回復する

・プロジェクトでリーダーシップを発揮していかないといけないとき、プレッシャーに負けずここ一番でふんばって自らを活性させていく

・相手のこころに気づき大切にしながら良好な関係を創ったり維持したりする

 

こうしたことを可能する力のことです。

こうした自分の「こころ」を自分自身で扱う力のことを私たちは「こころリテラシー」ととらえています。

 

今回のコロナインパクトはこうしたこころの扱い方を考えるきっかけを与えたのではないでしょうか。

 

こころの問題は近年では「レジリエンス」という心理的な力の概念が出てきており、以前に比較すると大きな流行が生まれていると思います。しかしやはり合理的な問題解決を目指す現実社会においては(特にビジネスでは)なかなか表立って取り扱うということができず、

「大切だとは思うけど、こころを大切にするのは自分に厳しくしていない!甘えではないか?」

「大事だと思うが、目に見えないし手の打ちようもない」

などの態度が一般的で、知的武装に比較すると情的武装は一段格下の扱いを受けてきたように見えます。

 

これまでは合理的な正解を作る力が求められてきたがゆえに、理屈で説明しがたいことを語るのが私たちは苦手です。そして過度な自由主義の進展によって、競争による格差は広がり、必ずどこかで「敗北」的な感覚を持ちやすい世の中であり、精神的な安定が得づらい世の中です。こうした中にあってこころの問題は脚光を浴びてきたものの、まだ普及したとは言いづらいというのが実感です。

 

私はこの状況に違和感を感じます。私はこころの問題はもっと、自分たちの日常の中にあるべきではないかと思うのです。

 

どういうことかというと、仕事や生活のために情報を集めるのが当たり前になってきているように、身体が不調だったり、鍛えたかったりしたら運動をするように、こころの状態に関心をもって自分で向き合っていくのが当たり前の社会になるべきではないかと思うのです。それは自分を甘やかすことではなく、より高いパフォーマンスをあげていくために当たり前に考えないといけないことです。

 

テクノロジーによって合理は人間の役割ではなくなっていく世の中にあって、こころを扱う力を鍛えて来なかった私たちはこの先どうなっていくのでしょうか。

 

・できるビジネスパーソンでもいつの間にかストレスが蓄積されてぽきっと折れてしまう

・こころの負荷の扱い方を知らず真面目でいい人材なのに苦しさをためすぎてしまう

・知的には優秀でも何か覇気がない

・一見優秀だが感情を扱うのが苦手で周辺の人とコンフリクトを起こしまくっている

・指示をうけたことは優秀にこなすが新しい提案をしてくるようなバイタリティがない

 

こういったことはいたるところで起こっていますし、今後社会が新しい形を模索していくうえで大きな問題意識となるでしょう。

それに対して企業でも

 

「こころの問題は個人の問題だし、投資対効果も見えづらいから積極的には関与しない」

 

という姿勢がこれまでの当たり前だとしたら

 

「こころの問題は一人一人にとって大切な問題であり、これを自分で扱うための支援を最大限に行うべき」

 

という姿勢を今後の当たり前にすべきだと感じています。

 

そういう意味では私たちが提唱している「こころリテラシー」は、現在一部ではすでに隆盛を極めている癒し・ヒーリングに終始する道具でもなければ、「意識高い系」の人たちの理想論でもありません。これからすべての人たちに求められる「武器」のことを言っています。

 

私は、武器としての「こころリテラシー」を社会の人たちが装備できるようここで発信し、

みなさんの豊かなライフの支援ができればと考えています。

 

このブログではそうしたこころを扱うための視座や具体的なノウハウを発信していきます。

引き続きチェック&フォローをしていただけますと幸いです!!