Joyと目的意識がポテンシャルを向上する

恩田 勲のソモサン:第五回目

JoyBizコンサルティングという名前の会社を設立してもうすぐ10年になりますが、今一つ社名の意味をきちんと理解して頂けない場面があります。
具体的にはJoyBizのJoyの捉え方です。一般に日本人はJoyを「喜び」とか「楽しみ」と訳しますが、捉え方は主にその状態を意味していると思っている人が多いようです。しかし状態としての喜びや楽しみは、単語としてはJoyfulであってJoyとは相対していません。また日本語的に楽しい状態は単語的にはHappinessの方が適しています。Joyという単語の本来の意味は「目的としての喜び」、つまり人間の目指す「生きる最終目的」としての心の有り様です。
人は他の動物と異なり「意識や思考」を持った生き物です。その人間がその本能として求め、目指す世界がJoyの境地です。そしてJoyに到った境地をフローとかゾーンに入ると表現する人もいます。最も有名なのは米国の心理学者チクセントミハイです。
Joyに到る道程は人それぞれと云えます。ゲームや勝負事のようなことへの集中からJoyを得る人もいれば、スポーツのような身体的運動からJoyを得る人、或いは仕事を通してその成果を得る行為にJoyを得る人もいます。お気づきの方もいらっしゃること思いますが、JoyBizは人間の営みとしてその殆どの人が人生の大半の時間として身を投じる仕事、ビジネス活動を手段としてJoyの境地に至れれば自他共に恒久的に幸せになれるのではないかという思いを込めて名付けました。

さて「意識や思考」を持った人間ですが、その性質故に人間はあらゆることに意味を求め、そこに何らかの目的を見いだして生きようと反応する特性があります。人とは「目的的存在」です。その為人は明確な目的を意識に持ち、そこに邁進しているときに最も心身共に活性化し、自律意識が作動し、気持ちも躍動的になりJoyを得た状態になります。ということは、反面として生きる目的が見いだせず自分の存在に意味を見いだせない状態の場合、心は沈滞して依存的になったり延々と彷徨う状態に陥ったりします。動きも緩慢になり、責任意識が持てず、ストレス耐性もボロボロの状態になってしまいます。私はここで云うストレス耐性のことを「ポテンシャル」と称しています。物理学用語の「位置エネルギー」のことです。位置エネルギーが高ければ高いほどそこから転じる運動エネルギーも大きな力となりますが、私は人の心が持つ活性エネルギーも同様だと捉えています。心のポテンシャルの高い人はパフォーマンスも高いのですが、そもそものポテンシャルが低い人はどんなに頑張っても活力はポテンシャルの高い人には及びません。ですから人が高いパフォーマンスを上げるにはストレス耐性としてのレジリエンス力(復元力)を高める以上に、ポテンシャル自体を高める必要があるということへの認識が大切です。私はこのポテンシャル自体を高める力を活性力(モメンタム)と呼んでいます。そしてその原動力は前向きの気持ち、ポジティブマインドです。例えばポジティブとしてのポテンシャルの高い人はとても楽観的です。

最近巷でストレス社会を生き抜いていく術として「マインドフルネス」というアプローチが取り沙汰されています。そしてその方法によって「レジリエンス力」を鍛えることが薦められています。ところがビジネス社会では今一つ普及がパッとしません。何故なのでしょうか。
レジリエンス力とは凹んだときの対応力です。従って幾らレジリエンスを鍛えてもその人が持っているポテンシャル引いてはパフォーマンス以上になるわけではありません。現行のマインドフルネスはマイナスに働いた気持ちをゼロベースに安定させるだけですから、ビジネス社会が求めるようなバイタリティーやマインドのリフトアップには繋がらず、最も期待される生産性の向上には大きくは寄与しないからです。それが西洋的な禅から体感だけを抜き取ったマインドフルネスという技法の限界であり、ビジネス界が積極的に触手を伸ばさない大きな理由となっています。
ではどうすればこういったアプローチはよりビジネス界に役立つのでしょうか。それはマインドフルネスによってレジリエンスを高めるのは、心の基盤整備として必要条件に位置づけて、更にモメンタムを向上させるアプローチを十分条件に加えることにあります。具体的には心を盛り立てる体感法を加味することとそれ以上に必要不可欠なのが、しっかりとした目的意識を持たせることです。人生観、哲学観といった思想観を醸成させることです。人が人として自律することを可能にするのが「思想観」です。人は思想性が無いと自律できず依存的になり関係性に生きようとします。
関係性を思想性にすり替える限り、人は目的を有することは出来ません。従って結局はポテンシャルを高めることもモメンタムを高めることも出来ない状態に陥ってしまうのです。今の若い人の多くがこの症状によって社会的に貢献できず、先進国ほど未来に暗雲をたらしめることになってしまっています。

戦前までの日本は、禅や特有の宗教思想によって日本人ならではの思想性や社会的に生きるための目的意識を醸成していきました。しかし戦後西欧の政策によって思想に関する教育を断裂されてしまい、思想性は在野に任されることになってしまいました。その西欧では未だに一神教的な宗教観を基軸にして国民に思想性を高める教育をしています。そしてそういった西欧人は東洋の強さに目を向け、禅の思想などから西洋の思想に影響する領域を抜き取って、坐禅のような技法だけを西洋思想に併せた形で取り入れ、ポテンシャルの向上やモメンタムの向上に上手く活用しています。
事実マインドフルネスという技法の母体となる禅自体は、坐禅的な体感技法だけでなく、説法や作務と云った日常活動を全体的かつ有機的に統合して思想性の確立やポテンシャルの向上を行っています。坐禅もレジリエンス的なサマタ瞑想法やモメンタム的なヴィッパッサナー瞑想法など多彩に駆使しながら人間性向上に向けての修行を行っています。
ところが日本の一般社会やビジネス社会では、最も重要な思想性の開発や思想に基づいた知性の使い方と云った取り組みを怠り、ただ演算処理力が高く、演繹的な過去の延長的な思考しか出来ない創造性のない「学歴無能力者」ばかりを登用し、様々な事業や組織上で問題の暗礁を作り出して四苦八苦する有り様です。
そして思想性がない故に西洋かぶれに陥り、意味や内容も吟味せず西洋からの逆輸入アプローチを鵜呑みした取り組みの中で、せっかくの日本発の有意なアプローチまでも味噌糞にして時間と徒労を繰り返しているのが実状です。そうして巷間では「良いアプローチがない」とか「役立つアプローチがない」と無い物ねだりをする無責任さが蔓延っています。これこそまさに思想性がビジネス界になくなってしまった証と云えるでしょう。「人は三日会わずば刮目して見よ」という格言があります。元来は独自の思想を持つ日本人。若干は期待もしているのですが。

さて皆さんは「ソモサン?」