• 分析思考ではなく予測思考を身に着けましょう ~ソモサン第273回~

分析思考ではなく予測思考を身に着けましょう ~ソモサン第273回~

先週はインフルエンザによって、39.5度前後の高熱状態が三日間。その後38.2度前後の中熱がやはり三日間とまるまる一週間が潰れてしまいました。こういった長期に渡る熱上がりの経験は人生初のことでしたが、まず持ってインフルエンザへの罹患自体が初めてのことでした。体力には自信ある方でしたが、なる程病気に掛かるとは、また高齢者になるということとはこういうことか、と妙に得心する時間を持つことが出来ました。

最初は「大人しく寝ていて、これを機に読み残した本でも読むか」と高を括っていたのですが、高熱状態とはそんな生易しい話ではなく、まあ頭の中が真っ白になると言いますか、思考活動が機能しない状態に陥ります。それは苦しいというわけでもなく、ただただとにかく四六時中ポーッとしているだけの状態に陥ってしまうのです。ともかく感覚的に身体が熱いだけで、息は切れ切れとなり、思考は全く浮かびません。三日間はまるで何かが抜け落ちた気分でした。

因みに辞書によれば、65歳を超えるとインフルエンザは命に関わる危険性がある、と記してありましたが、流石に今回は「へへーっ」といった面持ちになりました。

ということで、お陰様で生き残りましたので引き続きブログを認めて行きたいと思いますので、今年も何卒宜しくお願い申し上げます。

ところで体験ということは色々と得ることも多いのは確かな話です。今回頭が白くなると言う感覚を始めて体験することが出来たのですが、頭が白くなるのと同時に感情も全く起伏しなくなるという経験をすることにもなりました。喜怒哀楽が全く作動しないのです。これは非常に不可思議な体験でした。

面白いのは、感情が作動しなくなると、認知的なバイアスが働かなくなってくるのか、いわゆる拘りや執着が薄まってくるという心情になるということです。そうなると様々な情報に対して「まあ良か良か」的にものの見方や考え方が実にポジティブな受け取り方になるのです。これを自然体というのでしょうか。

瞬間、「うん?人が死地に臨むときってこういう心境になるのだろうか」ということも心に沸き起こりました。これを死生観というのかどうかは分かりませんが、ともあれ、人の本性はポジティブ傾斜の状態であるという感覚を実感できたのは大きな学習でした。お陰様かどうかというのはありますが、以来これまでと違ってあまり死ということに対して恐れがなくなってきた感があります。また「まあなるようになるだろう」といった達観が芽吹いたのも確かなことです。拘りが薄まった感じですね。

何れにせよ、これが今後の人生にとってプラスと出るかマイナスと出るか。以降の生き様が楽しみになった経験でした。

さてさて、先週は「共感」という世界の重要性に焦点を当てましたが、今週は論理的コミュニケーションについて深堀りしてみましょう。論理とは思考の織りなす領域です。思考はその発達過程において、感覚成長、感情成長、そして論理成長という段階を辿ります。動物は胎内においてまずは体感的刺激を通して「感覚」を育みます。同時に感覚は脳の発育を促します。そして脳はやがて感覚を練り込んで「感情」を沸き起こらせます。そして感情は脳を更に発達させていきます。そして脳は最終的に言語を生み出し、その言語を通して論理を形成していきます。

このように動物は刺激とコミュニケーションを軸足に脳を発達させ、思考や高次のコミュニケーション能力を手に入れていきます。従って人にとってのコミュニケーションは意思疎通よりも共感の方が力強く優先されます。

ところでこの論理の元になる思考ですが、思考には二つのパターンがあります。分析思考と予測思考です。分析とは論理の組み立てを垂直的に紐解くように要素分解して、その構成因子や成り立ちを明確にして因果関係を洞察する活動です。その大前提は過去を基軸にしているということです。一方予測とは要素である構成因子やその母集団を多様に組み合わせることから新たなる解を導き出す活動です。この組み合わせは演繹的な組み合わせや帰納的な組み合わせだけでなく、時には空想的な仮想的組み合わせもあります。何れも未来的に展開させる思考です。

この二つの思考の大きな違いは、前者が因果を紐解いていけば論理として必ず特定要素や解に辿り着けるのに対して、後者は解は全て仮定であって論理の展開次第で可能性は無限に拡がるという真逆の働きを担っているということです。前者における解法は正解という一元的世界での展開ですが、後者における解法は最善解という多次元的世界での展開になります。

さてここで皆さんに質問です。一般に言う「頭が良い」というのはどういう状態を言うのでしょうか。分析思考を云うのでしょうか、それとも予測思考を云うのでしょうか。因みに学校秀才といわれる領域の思考は分析思考です。例えば受験における思考は主に演繹思考を試す内容が中心になります。演繹とは思考プロセスに従来証明された普遍的な前提を当て嵌めて結論を見出す推論方法です。この思考法の要点はどれ位普遍的な前提、例えば公式や定理を有しているかです。ここでは新規性は求められません。あくまでも前提(前例)を軸に論を進めるのが筋になります。更に分析思考では帰納思考を用いる場合もあります。帰納は事例を軸に一般的、普遍的な規則や法則を見出す推論方法です。帰納は演繹と違って前提と結論が必然である必要がない分曖昧を含む思考ですが、規則や法則といった過去の必然に従うプロセスであるので、やはり新規性を見出す思考ではありません。つまり分析思考における切れの良さとはあくまでも過去からの必然性の中での推論への卓越であって、ここには創造のような仮説設定のプロセスはなく、いわゆるイノベーション(革新)と云われる領域が求める中では意味をなさないということです。果てさてもう一度皆さんに問います。頭が良いとはどういうことなのでしょうか。

今に日本は間違いなくイノベーションが必要不可欠です。というよりもそれがないと未来形成は出来ません。そこで求められる思考は「先を見通す」「先の先を仮説的に推論していく」予測思考です。しかし社会はビジネス社会も含めてそこで不可欠な思考法を評価しない態勢になっています。思考といった基軸レベルからがズレた評価をしている現状を俯瞰する限り、お先は真っ暗としか云えません。

例えば日本はグローバルにみて大きくカーボン対策に出遅れました。これこそ分析思考で目先のコストだけに目を向け、仮説創造によって環境破壊が生む近未来予測が出来なかった賜物です。共感力もない。加えて論理思考の在り方もずれている。本当にこれからの日本はどうなっていくのでしょうか。

先週旦那が不祥事をしたことを機に離婚した元妻の、離婚から7年を経ての心境についてなかなか示唆あるコメントを目にしました。

私は以前より夫婦の問題は必ず両者に原因があると主張してきました。欧米では必ずそのように扱っています。しかし日本では早計に女性を善の固まりのように扱い、マスゴミは男性バッシングに終始します。私はこれこそ男女差別の究極のように見るのですが、あいも変わらずマスゴミは昭和の典型のような頭の在り方です。そしてそのマスゴミを丸呑みする大衆愚衆のなんと多いことか。これも私は予測思考を軽視してきた弊害だと思っています。まあ皆さん、次のコメントを読んで色々と考えを巡らせてみてください。

彼と離婚して7年。離婚前はすべてを彼の性にして悲劇のヒロインとして過ごして来ました。でも改めて振り返ると、「彼と一緒に過ごした長い時間は私は決して良い妻でも母でもなかったと思います」。「当時の私は自分に自信がなく人の目ばかり気にしていました。それなのに責任感や使命感自分のルールばかり相手に押し付けていました。【傷つくのは、全て相手のせい】今思えば120%私は悲劇のヒロインだったと心から思います」。「今、子供たちと私たちがそれぞれの道で違う景色を見ながら一人一人の価値観で今を精一杯生きれていることは全て、彼との出逢いと経験から学び気づき成長させて貰ったおかげです」。「私は去年凄くネガティブな憶測を彼にしてしまったことがありました」。「きっと私は何年も相手の欠点ばかりを責め続けて来たから後遺症の様に自分の弱さや恐れが未だ自分の心の中のどこかに残っていたのだと思いました」。「でも、今日お互いを応援し尊重し合う相手との会話の中で、その時も自分の恐れや弱さを認めることができました」。そして「電話を切った後、子供たちと旅立った日の写真を見返しました。空港に駆けつけて来てくれて優しく送り出してくれた、そんな大きな優しさに気づくまで正直、何年もかかってしまったけれど。今は本当に心から感謝の気持ちしかないです」。「私も未だ未だこれから自分の弱さや失敗や過ちを認めその度に学び、成長していきます」と「そして何より感謝と謙虚さを忘れずに生きる、そんな1人の女性であり母親でいたいと思います」。「心からありがとう」。

このコメントに対して読者が回答しているのですが、これまた示唆に富む内容です。まずAさん。「お子さん達を守るのに大変だったと思うし、守る以上に実際子育ても、時には厳しくもなきゃいけないとか、自身のメンタルも相当に疲弊した日もあったと思います。父親の不祥事問題も相当なものだったはずです。愛情はゼロにならないかわりに、喪失感も残ったり、、、。文章読んでて、とても胸がいっぱいになりました。お子さん達も、ママを支えてきた日もあると思う。みんな幸せになってほしいです」。これが一般的な女性よりなコメントの典型です。秀逸なのがBさんのコメントです。「元妻さんのほど読んだけど…それが元旦那が不祥事を起こした原因な気がする。これを本気で信じる人がいるなら、相当気を付けた方がいい」。皆さん如何でしょうか。

先だってテレビで不倫で一方的バッシングを受けた東出氏が「キツい人からは早目に逃げるのが正解。我慢すると心が歪む」とさり気なくコメントしていました。これが誰のことなのかは口にはしていませんでしたが、彼は離婚前に「演技に対して毎晩かなりきつくダメ出しをされる」ともコメントしていました。その時は笑いながらのコメントでしたが、私はかなりヤバイなと見ていました。そして不倫で離婚。まあ不倫は良くないですが、彼に共感すれば逃げ場が欲しかったのではないでしょうか。どっちもどっちの話です。でもマスゴミを中心にその情報操作もあって世の中では元妻は未だに聖女扱いです。私はこういった偏ったマスゴミの姿勢も分析思考偏重評価による予測思考の脆弱さが生み出す問題と見ています。欧米では当たり前の同権的なものの見方が何故日本人に出来ないのか。マスゴミの人材は必然性にばかり囚われて、何故という発想ができない分析思考での成功者です。この歪みが日本の成長の弊害になっているのではないかと懸念するところです。物事は多角的に、またバランス持って予測的に常に仮説を想起する思考していかなければ、保守に傾斜します。学校秀才という評価に拘泥して、何時までも昭和な価値観による反応にばかr終始するマスゴミはその典型です。革新を生み出すのは予測思考です。皆さんもマスゴミの分析思考に塗れることなく、予測思考を磨いて、自分の見識を高め、判断力を身に着けて頂けますと幸いです。

 

さて皆さんは「ソモサン」?