マインドフルネスと禅によってモメンタムを考える

先週の土曜日(3月10日)、体験を交えた約4時間ほどのセミナーを開催させて頂きました。参加者は起業の方を中心に20名ほどで、ご夫婦で参加された方もいらっしゃいました。テーマは「モメンタムを高めるマインドフルネス技法と禅の力」について、です。モメンタムと云う力についてはこれまでのブログにおいて何度もご紹介させて頂きましたが、最近スタンフォード大ではこの言葉を用いて「戦略を起動させる原動力」と定義しています。

これはJoyBizでの定義と殆ど一致しており、現代のビジネス社会が求める要件に対する関心が世界的なレベルで起こっている感があります。

ということで今回のブログでは、そのセミナーにおけるトピックスをご紹介していきたいと思います。特に弊社のパートナー的な役割をして下さっている禅僧でありながら精神科医でもある川野氏の講義と実施内容をお伝えさせて頂きたいと思います。

川野禅師の講義(抄)①:禅の本質は「集中」にある

禅の本質は食べるとか寝るといった全ての物事に常に集中するということです。集中すると簡単に云いますが、実際に集中するということは非常に難しい行為です。例えば自転車に乗っているときに目の前の景色には目が行きますが、自転車に乗っているという今やっている行為に気が付いているかと云うと殆どの場合は気が付いていません。自分が目の前で取り組んでいることにきちんと頭が向いていることが集中と云うことです。

ハーバード大の研究で、人は目の前のことに集中している時こそ幸福であると云うことが発表されました。人は迷ったり、困ったり、気が散ったり、悩んだりと云った脳が散漫な状態、つまり何もしていないアイドリング状態に置かれた時にデフォルト・モード・ネットワークと称される、最も脳が疲弊した状態に陥るということが脳科学の調査データで証明されたのです。データによるとデフォルト・モード・ネットワークが脳内で働いているときはエネルギーの約60%がそこに費やされているということです。そしてこの浪費状態が続くと次第に歯止めが利かなくなり、ついにはウツになってしまうということが分かってきたわけです。

禅では科学がない時代からその本質を人間の直観や体感学習としてそういった事実に気づき、人が社会生活における対人関係の中で、心が常に幸せな状態でいられるようにデフォルト・モード・ネットワークに陥ることを避ける技法を開発していました。

川野禅師の講義(抄)②:精神医療から見た禅

東洋では日常化され当り前であったそれが、改めて西洋において「マインドフルネス」として再発見されたのが今日の流れになっています。しかし禅における瞑想の効能はそれだけに留まりません。私が勤めているクリニックでは1日60人近い精神疾患の人が来院します。はっきり言って見切れない状態です。予防的観点からの個人のストレス対策が必要になってきています。中でもストレス耐性が弱いのが若者です。この人たちは心の方向性(インテンション)が非常に利己的な自己愛に形成されているのを実感します。利己的な自己愛とは「自分のテリトリーが満たされればそれで良い」という想念で、「それ以上を求めるという情熱がない」状態です。いわゆる「さとり世代」という話ですが、こういう人たちが社会に出る段階になって対人的なストレスによって精神疾患となって来院するわけです。

こういう人たちが厄介なのは、昔のような日常的な瞑想や内観が癖付けられていなくて、自分の心の状態に気づく力が低下しているということです。その為ウツではなく自律神経失調症や慢性疲労症となってしまうということです。これは仮面ウツなどとも呼ばれていますが、自分に対する情報処理が出来ないために意識ではなくいきなり感情に障害が起きる症状です。

心身は感情によって繋がっています。特に自律神経系は意識によって制御はできません。その為意識と感情(本能)が反発状態になると身体は感情の方に反応し、異常が身体の方に出てきます。例えば意識的にストレスを我慢すると、実際は感情が受け付けないので、それが異常分泌や神経反射として身体の方に出てくるといった具合です。これを解消する第一歩は自分の感情の状態に気づくことですが、今の若者はそれが出来ないわけです。

禅では「観却下(脚下照顧)」といって常に己を見つめ、浮足立たないように戒めるのですが、その技法が瞑想法と云うことになります。マインドフルネスも医学療法から離れ若者を中心とした健康増進の手段として市井に広がったときに、この「自分の心の状態や感情に気付く」という考えを取り入れて実施されるようになりました。それが「In Search of Self」という書籍で普及されたGoogle社の取り組みに繋がっています。

川野禅師の講義(抄)③:禅とモメンタム〜心のマイクロバースト〜

さて、禅における瞑想は更にそれだけに留まりません。皆さんは人が最初からストレスや不安がない状態になったらどうなるか、ご存知でしょうか。答えは無気力に陥るということです。人はストレスが強すぎる、特に小さなストレスを積み重ねられるとPTSDに陥るということが分かっていますが、一方でストレス・レス、つまり自由放任の状態においては成長しないということも研究結果として分かっているのです。この「ストレスを乗り越えての成長」という考えは、外傷後成長(PTG)としてノースカロライナ大で研究成果が出ています。まさに修羅場が人を成長させるというのは事実だということです。但し、いきなりの大きなストレスはPTSDを誘発しますから、JoyBIzさんがいう様に「小さなストレスとその回復を何度も経験させる」ことが有効になります。

心理学ではこういった経験による成長を「マイクロバースト効果」と呼んでいます。ここで重要なのは、ストレス経験をどういう様に内観して心の成長に有効たらしめるかということです。禅には「正念工夫」と云う言葉がありますが、これは「物事に対する捉え方をウェル・ビーイングにする」と云う意味です。ここで主張されるのは「物事は見方によって変わる」ということです。見方を整えるにはまず心をニュートラルに整える必要がありますが、その役割を果たすのがマインドフルネスと云うことになります。

心身相関と云う言葉がありますが、このことは心が身体に影響するのみならず、身体から心をコントロールすることも可能であるということを意味しています。禅における瞑想やマインドフルネスはまさに身体を整えることから心を整える技法です。禅ではこのような考えや技法を縦横に使い、瞑想を端に「ストレスへの耐性づくり」のみならず、「ストレスを力として自分を磨く、自分を変える」ことも視野に入れています。

その結果として、最近では「瞑想することで、共感性と感謝の心が芽生えた」「人に関心を持つ意識が芽生えた」という声を多数聞くようなりました。これはJoyBizさんが云うモメンタムの概念と合致すると云えます。

しかし現行のマインドフルネスの取り組みは禅における瞑想とは異なる現実も起きているようです。企業が取り組んでいるマインドフルネスは効果を考えながらの瞑想になっているということです。効果を考えながらの瞑想はマインドフルな状態にはなりません。

マインドフルネスの効果としては、先の述べた共感性のほかにストレス耐性の向上や集中力の向上、創造力の向上が挙げられますが、これらの効能が目的化し、更にはGoogle社などによってEQといった概念と結び付いたため、マインドフルネスの実施によってどれだけEQが上がったかというようにご利益を求めるようになってしまった。

JoyBIzさんが云う意の欠落した取り組みが中心になってしまいました。

効果を得ようという取り組みはそれ自体が雑念となり、頭が空になりません。その為幾らマインドフルネスをやっても心が満たされない、かえって迷いが強くなったという人が増えてきました。そういう人たちがかなりの数で禅の瞑想を求めてくるようになりました。

医学の療法から普及したマインドフルネスと禅の瞑想の違いは「意」の存在です。特に心のない瞑想では外傷後成長(PTG)は開発されません。これはJoyBizさんがモメンタムの考えの中で特に主張するところとも云えます。

古来の日本は武士道などで日常的に瞑想をしていた文化がありました。それがいつの間にか瞑想嫌いな国民になってしまいました。そのことが日本人の心幹(モメンタム)を弱くしていっているのは残念なことです。私は禅の立場からも精神科医の立場からも、皆さんが現代ストレス社会を乗り切っていくために、是非古くから有した良き文化や教えを持って再度心幹を高めていって貰えれば幸いである、と切に願っている次第です。

 

次回もまたお目通しの程、何卒よろしくお願い申し上げます。

……そして時代は更なる意識改革をますます求めていく。