カサンドラ症候群からみた組織運営の在り方と職場開発を考える

【こころの時代の象徴 ~カサンドラ症候群~】

皆さんはカサンドラ症候群という言葉をご存知でしょうか。これは21世紀になって注目され始めた極めて新しい言葉です。社会の視点がいよいよ「心の世界」に着目し始めた証ともいえます。

カサンドラ症候群の本来の意味は、情的障害のパートナーと情緒的な相互関係が築けないために障害でない方に生じてくる身体的・精神的症状を表す言葉です。

情的障害のパートナーを持った人は、コミュニケーションがうまくいかず、自分の話が通じない、特に気持ちが通じないことから自分の方が自信を失ってしまったり、心が疲弊して折れてしまったりすることがあります。

また、密接な関係でないために世間的には問題なく映っているパートナーへの不満を口にしても人々から信じてもらえず、返って自分の方がおかしいと見られてしまうことが起こり、その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという状況を言います。

現実的には情的障害者の中には知的能力を駆使して対人関係を学習力によってカバーして感受性の欠落を補う人がいますから(例えば一見外面は良いが、決して深い関係には持ち込もうとしない仮面人間)、四六時中一緒にいて注視していないとわかりづらいレベルの人は多くいます。そのため判断の難しさからDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)などでは認められていない考え方です。情的障害の問題は実害の割にそれくらい研究が遅れている現代最先端の課題なのです。

 

ここでのポイントはパートナー間においてどちらか一方が悪く、どちらが正しいか、という問題ではないということです。前回のブログでも書きましたが、先天的な場合だけでなく、後天点的な場合でもこの問題は悪意が起点ではありません。

困るのは当事者を含めて事態への認知がないということです。認知がないのですからことは動かないということです。パートナーとの情緒的交流がうまくいかない相手方は、何が何だか理由はわからないけれど苦しい、周囲は苦しんでいることを理解してくれないという二重の苦しみの状態にあります。そして障害者本人もさることながら相手方も問題の本質がわからないこと、周囲が問題の存在さえ理解してくれないこと、この二つの要素が現在のカサンドラを巡る問題の本質にです。気をつけて欲しいのは決して情的障害者の人を否定したり差別を助長したりしてはいけないということです。

 

また情的障害を考える時見逃してはならないのは、認知障害との関連です。認知障害とは人の気持ちを察する力です。情的障害は認知障害と密接に繋がっています。情的障害は単に感情的な抑揚がないとか感情的な表現が出来ないという側面だけではなく、感情を呼び起こすための入口たる認知力がないとか非常に弱いといった側面もあるということです。

認知力は年とともに低下して気がつかないうちに鈍感になっていたり、感情の抑制が効かなくなったりするといったこともあります。これは障害というよりも「認知症」の領域です。

 

しかし組織の中でこれによって問題を起こす老齢者もいるので経営者や担当者は抑えておく必要があります。人は知力だけではないのです。

 

心に生じる歪みは、正常であろうとする葛藤の中から次第に身体に影響を及ぼし始めます。症状としては偏頭痛、体重の増減、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力などがそれです。

 

【組織やチームの活力(エネルギー)は「感情」だけ】

さて今回の本論です。実はカサンドラ症候群はパートナーだけでなく、家族、友人、会社の同僚、特に上司部下の関係でも起こるとされているということです。

 

人にとって情緒的な相互関係と愛や信頼と所属は、人間の本質的なニーズであり、これらが満たされず、そしてその理由がわからないとなれば、心身の健康が影響を受けるというのは学術的にも周知の事実です。

 

ジェイムズ・レッドフィールドのエネルギー理論の哲学を使えば、「人間は感情的エネルギーを必要としていて、それは日常生活で幸福を見つけるために欠かせない源である。しかし情的障害者との交流において感情的エネルギーで自分を満たすことは非常に困難である。

何故ならば支え合うというエネルギーの交換が起こらないからである。非障害者側はエネルギーを差し出すが、障害者のパートナー側から受け取るものはほとんどなく、常に消耗するという構造になる。これは相手が無償の愛や信頼を注げば注ぐほど歪みが増大する」ということになります。

 

このことは強弱的なパワー構造によるリーダーシップ構造においても当然同様の問題が起きるということになります。そして見逃せないのは、むしろ上下関係において上司が情的障害の場合、「一対一どころか職場集団の維持に亀裂や崩壊が起こる主原因になりうる」という非常に見過ごせないに発展するという現実です。

学術的にカサンドラ症候群は、まずパートナーのお互いが原因を理解し受け入れることによってのみ、克服あるいは軽減することができると指摘しています。つまり、非障害者側が情的障害の知識を持ち、障害者側がアスペルガー症候群を自覚していることが前提となるということです。

そしてお互いの違いを理解し、コミュニケーションや感情表現・愛情や信頼の示し方のより良い方法を見つけるために、双方がお互いのために勉強して協力するならば、両者の関係はうまくいくことがあります。

但し組織や集団での関係の場合、障害者的な人にリーダーシップを任すのは非常にリスクです。職場内の全体に悲劇をもたらします。経営者や人事担当者はこういった現実を直視して、真摯に対応していかなければ、自らの組織を瓦解させてしまうことに繋がると言うことを記銘しておく必要があります。

 

このように人は論理のみならず情緒を持ち、それをエネルギー源として活動する存在なわけですが、昨今論理変調主義による組織運営や人材登用の弊害として情緒を抜いた組織運営や人材活用の風潮が激しくなってきています。

特に本社的な現場を知らないヘッドトリップ(暗黙知の学習不足)担当や若いベンチャー経営者がITによる効率的組織運営の推進を掲げている感があります。時にはその経営者や担当者自身に障害者的な反応を見る面もあります。

 

【拙速なリモートワーク推進はエネルギーを下げるだけ】

そして競争原理がその動きに拍車をかけています。加えてコロナによる経営手法の転換もそれに煽りをかけています。世の中はどんどん無機質で情緒レスの経営状態になっていっています。若い人は他人とのストレスを避けられると歓迎する向きもあります。

一方で実務として顧客は結局は人であるとして(これはビジネスの原点です)、現場での情緒的な関係が希薄にある弊害を実感する中で、「今後どのようなコミュニケーションで自他ともにエネルギッシュでマインドフルな状態を維持すべきか」を真剣に悩んでいる職場が増加しているのも確かです。

 

弊社には官庁出身者がいますが、官庁というのは仕事の性格上「決められたことを決められた通りに処理する」のが使命です。そのため、「処理」が大前提ですから縦割りやマニュアル運営を基本としています。行くとわかりますが警察を始め官庁といわれるところは非常に無機質的に映ります。また前例踏襲的で例外処理を好みません。いわゆる「守り」の姿勢です。

マネジメントの前提は「管理」もありますが、何より環境変化に対する「例外処理」です。ですが官庁におけるマネジメントは成長や進化を好みませんから、リーダーシップのあり方には殆ど状況判断は入ってきません。

変化への対応に伴う情緒的な葛藤やストレスは考慮されていない組織。それが官庁といえます。官庁はそれが社会的な機能ですから、それに良し悪しはありませんし、そこに働く職員もそれを是として入所しているのでしょうから異論はないわけですが、果たして一般の企業や成長を基とする組織体の場合、こういった組織運営は如何でしょうか。

 

組織を考えるときに、組織には組織を動かすエネルギーである「空気感」があります。その空気感は主にその職場のリーダーや職場内に滞留する暗黙裡の申し合わせである集団規範が醸し出します。

先述したようにカサンドラ症候群というのは情的障害が非情的障害者に影響して、組織内に無気力感ややらされ感、相互の嫌疑感や不信感といった陰鬱を醸し出します。時にはウツ、そして心的外傷体験、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす場合もあります。いわゆる「トラウマ反応」です。

重要なのはカサンドラ症候群の場合、PTSDと異なって過去のトラウマ体験に今も苦しむということではなく、継続進行している日々の体験に苦しみ続けるという事態を生み出すということです。

 

皆さんの会社や職場が集団的なカサンドラ症候群に陥ったとしたら、陥っていたとしたら皆さんは如何しますか。昨今の若者は多様性がありますから、そうなった組織はさっさと見切るか、或いは適当に合わせて外部のコミュニティーに自分の存在を見出すでしょう。

いずれにしても組織の生産性は落ちる一方です。そこに副業などを入れれば組織へのコミットメントやエネルギー注入は減少するばかりです。

今これまでの人事管理の考え方では対応できない要素が出てきています。果たして皆さんの組織は大丈夫でしょうか。さまざまな意味合いで社会に情的障害が起こしていると考えられる現象が噴出し始め、その度合いが増加一方にある昨今、経営者や担当者は本当に人の持つ情的側面の開発にもっと注視しなければ、早晩組織はエンスト状態に陥るのは確かであると、憂いる今日この頃です。

 

さて、皆さんは「ソモサン」