• アンコンシャスバイアスの要は感情を理解し統制出来るようになることである

アンコンシャスバイアスの要は感情を理解し統制出来るようになることである

~感情の重要性を改めて考える

先週まで2回に渡って「頭が良いとはどういうことか」について論じさせて頂きました。

ここで云う所の「頭」を定義する概念として、古くはギリシャ哲学においてアリストテレスが「知情意」という概念を提唱し、近代ではカントがそれを整理して定義化しています。それによれば、頭とは主に意の領域を表す言葉として使われているようです。日本ではここで表される意を「人間性」と解釈して紹介するケースが多いようですが、意が持つ領域は人間性と云った性格的な意味合いよりももっと広く深い世界です。

例えば、思いとか気付きといった意思や認知、意識の世界も知ではなく意の領域になります。強いて云うならば、知が単語とすれば意は文節のような広がりを持った世界です。意は知の集積ではありますが、意を分解しても必ずしも知にはならないということです。意は知のみでは成り立っていないということです。それが情という世界の存在です。

意には知能に加えて感情という領域が加わります。意は知と情とが組み合わさって生み出される世界です。知が静態的な世界であるのに対して情は動態的な世界ですが、情は動きがある故か非常に掴みどころがない世界です。定義や説明が難しく証明するには不安定な存在です。だからなのか、情は合意形成において扱いづらく、対話的に軽視というか忌諱されがちな領域です。

しかし厳然とそこに存在し決して無視はできない領域です。しかも感情は思考よりも直截的です。内面における反応や行動は、思考による論理よりも感情による情動の方に強く影響されます。そしてそれ故に、対人関係においても論理的な意思疎通より感情的な共感の方が強く影響を及ぼします。にも拘らず、人の意識や行動を論ずるにおいて感情という領域を度外視した議論が為されるのは如何なる原因があるのでしょう。全く謎と云うか不可思議と云わざるを得ません。昨今それが最も取り沙汰される様になったのが「大人の発達障害」です。

 

例えば論理で解決できない事例として弁護士による次の様な記事がありました。

「最近、このようなご相談に来られる方が増えています。付き合っている頃は高学歴だし、外資系企業で仕事もバリバリできて、ちょっとこだわりも強いけれど個性的かなぐらいでしか考えていなかったのですが、結婚して子どもができて子育てをしていくうちにある疑念が確信に変わってきました。

何度話し合っても、全くこちらのことを理解してもらえず、自分のルーティーンを壊されたり、子どもといるときに突発的に何かが起こってしまったりすると対応しきれず、激高してしまうのです。発達障害の夫に、もう、こちらが疲弊しきってしまって、このままだと共倒れしてしまいそうです。診断名が付いていなくても、聞いているとASD(アスペルガー症候群)やADHD(注意欠陥多動性障害)、もしくはグレーゾーンです。

世の中の流れとしては認識も増え、多かれ少なかれ、誰もが持っている『個性』として捉えられつつありますが、それがお互いに受け入れられずにいると、なかなか厳しい現実が出て来ます。酷い場合、相手に振り回されてカサンドラ症候群(相手が発達障害でストレスに陥る二次障害)になってしまっているケースもあります。最近こう云った事例が増加しています。

  • 家計簿をエクセルでとてつもなく細かく管理され、家計費もあまり十分にもらえない。
  • 夫婦関係も仕事も同じテンション(時には論破できない長文メール)で話してくる。
  • 子育てとか未知な話になると、すべて的確な指示を出さないと何もしてくれない。

と云った具合で、ちょっとした些細なことでも日常の夫婦間ではストレスが溜まってしまう一方になっているようです。そして皆さんが共通しておっしゃるのが、結婚するまでわからなかった、です。

結婚、妊娠・出産とライフイベントを経験していくうちに、相手の気持ちや空気を読むことが苦手だったり、相手の言葉を理解することが難しかったり、こだわりが強く、突発的に対応できない性質がより濃く出てしまい、その時になって漸く事の大きさに気が付くようです。この問題は年齢とともに症状や特徴が顕著に現れてしまう傾向もありますので、防ぎようがないのが実状です。

しかし残念ながら、現状の法律ではこれだけでは離婚事由として認められません。たとえ、同意を得ようと話し合っても同意はもらえず、交渉にならないので解決にも至りません。仕方がないのでここは別居して事実を作るしか方法はない、と云うのがアドバイスの限界となっています。

子どものことを思って、決断しきれない方もいるかもしれませんが、とりあえず引っ越しできる資金と働ける環境があるなら別居してしまうしか、離婚するためには手立てはないと思います。そのためには最低限の経済力を持つか、実家や他で甘えられる環境を作ることです。共倒れになって自分も病気になってしまっては、取り返しがつきません」。

 

これはまさに論理として処断できない「法律外」の話です。感情的な問題を論理において理解し判断しようとすることの限界を示しています。思考的な障害としての知能障害は古くから世間でも理解され、ケアもされて来ていますが、大人の発達障害という感情障害は漸く俎上に上がってきた段階です。意が知と情の組み合わせである以上、知的な脆弱さのみならず情的な脆弱さも考慮しないといけません。

にも関わらず、実社会では相も変わらず知的領域だけで人を判断し、情的領域を考慮しない偏った論理概念が罷り通っているのが現状です。そして、その筆頭が知的最高府である省庁や学府であり、それに踊らせられるマスメディアです。多くの企業組織も同様です。

それがもたらす生産性の損失はかなりのものであると容易に推定されます。まあ、そういったところを牛耳る連中の中にも知的には優れているが情的に歪んだ人が多く登用されているのですから、欠けた人が更に欠けた人を採用するといった悪循環は進度を早めるだけで、最早そういった組織は伏魔殿の如し、と云ったところでしょうか。

 

さて話を本論の「頭の良さ」に戻しましょう。要は「頭」を論じるときに感情という領域を抜いては端緒にも立てないということです。頭が良いとは単に知的な論理立てが出来るというのみならず、その論自体の起点にバイアスが掛かっていないかを見極める冷静さも持ち合わせているということです。

頭が良い人は自分の感情をメタ認知(日本では達観という言葉も使います)でき、思考の導入段階で冷静な判断や分析が行えます。好き嫌いや内集団バイアスに影響されず、集団同調(斎一性の原理)に惑わされず、物事を見極められます。

例えば、これまで私は、芸能界の事例の一つとして「不倫は良くないかもしれないが、その原因を冷静に客観的にエビデンスベースで見れば、双方に問題がある場合が多く、どちらか一方を悪者にしたりしては危険だ」と論じましたが、未だに自分の好き嫌いや同性的な感情移入で善悪を決めつける論調が大手を振ったり、それに惑わされる人が多くいます。

二度目の離婚危機で叩かれている女性タレントが、一度目の時に相手が不倫したからと云って祭り上げられましたが、二度目の時に結局は女性タレントの方にも何らかの問題があったのではと、踵を返すような論調に変わった一件などを見ると、本当に多くの人の頭の良さということを憂慮せざるを得ません。

マスコミは売れれば良いと云った退廃的な状況に陥っているのでしょうが、それらに煽られた感情に流されて冷静に考えることも出来ない、自分の意思というものを持てなくなってしまった愚衆の方に問題を強く感じるところです。先の女優さんも、今は、母親との問題が取り沙汰され始めているようですが、本当に彼女が応援すべき聖女なのかはエビデンスがない以上静観するしかありません。

~バイアスの是正は感情コントロールから始める

このようにアンコンシャスの殆どを占める感情がもたらすバイアスを考えると、感情をコントロールすることの重要性を切に願います。感情は感情です。論理を駆使したところで感情をコントロールすることは出来ません。感情は思考よりも先に立ち、思考そのものを支配する影響力があるからです。

「大人の発達障害」とは感情のコントロール能力の脆弱さが焦点です。自分の感情がコントロールできない、人の感情が分からないというのは、知的な世界で云うと九九が出来ない、漢字が覚えられない、筋道だった話が出来ないと同じようなものです。障害者は障害者への対応策が求められます。

ネット社会の進展によってコミュニケーションの世界が大きく変容し、一人一人の持つ影響力が自覚なしに大きくなる中で、今後人間関係における能力障害にもより大きな対応策が必要になっていくことだけは確かです。しかし知的障害同様に、障害者とまでは行かなくてもやはり能力の脆弱者は何処にでも存在しています。深く広く考えられない人、知的思考力が乏しい人は一杯います。年齢とともに弱くなっていく場合もあります。

コロナ禍にも関わらず、とげぬき地蔵商店街に赴く老人などはその例です。マスクをしない。他県にまで遊び行く。幼児に指導すべく細かく指示をしなければ理解できない人や、ある意味外的統制によって行動制限を掛けないといけないレベルの人は五万といます。

しかしながら今コロナ禍で外出禁止となっている中で、それでも出かける人たちの多くは知的障害ばかりとは言えません。言われていることが分からないのだけではなく、我慢が出来ないという人が至る所にいるのです。こういう人こそ感情的な領域での抑制脆弱者です。親や社会の厳しさが無くなった飽食の時代、こういった我慢が出来ない、感情の抑制が出来ない感情的幼児が増殖してきている感があります。

しかも前にも書きましたが、それがマジョリティ化する中で、誰もそれを指導したり牽制したりしないどころか、知的偏重主義者がその傲慢さで情的領域も知的に支配できると勘違いし始めている(というか自分も嫌いだからそこには触れたくない)中で、それを焦点に取り上げたくないといった歪みが大きな綻びを生み始めているように思えます。

 

古くから複雑な民族や人間の感情的なうねりを治める経験をしてきた大陸文化では、全体主義と云われても抑えるところは抑える。知ではなく情を統制するときの手立てを経験的に身につけてきています。今回の西欧や中国のロックダウンは好例です。また国家機関の民衆統制のやり方にも機知があります。韓国や台湾の小規模国家における統制方法は日本の規模では当て嵌まりませんが、大国の民衆を抑え込むやり方は一考に値します。

しかし今の日本は、作られた民主主義や長い太平楽によってこういった感情爆発への対処方法を失っています。そこからもたらされる感情的なバイアスの嵐がコロナ禍の進展を助長させているのは確かです。まあ、これに関しては私のような非力な人間がいくら叫んでも「ハイハイ」で済ませる人が殆どという実態を受け入れてこれ位にしておきましょう。今の為政者に「本当にもっと頭が良い人がいてくれたらなあ」と嘆息するのみです。

いずれにしても感情は論理では統制できません。感情が内包する暗黙知は思考的な論理で簡単に解析できるほどの単純さではありません。感情を知るには感情的体感が必要です。そこからもたらされる暗黙知の体得から閃きによって腹落ちするものです。身近な人がコロナ禍で死ぬなりなんなりした時の経験がことの重大さを痛感させるわけです。これはコロナ禍に限ったことだけではありません。

しかしそうは言っても最適な経験の出現など、そうそうタイムリーに得れるものもありません。でもこれを機に思考よりも体感の方が個人や組織の成長にとっては大事である、ということを社会情勢や報道を通して認知していただければこの自宅待機も有意義な時間になると思う次第です。

 

因みにJoyBizではリアル体験でなくても、それに近づく方法として疑似体験や五感の7割を司るビジュアルなインプットがあると捉えています。JoyBizはその技術を開発提供するのが使命と任じている次第です。とにかく、座学や論理思考啓発などでは領域の違う知恵は啓発できないことは確かです。ともあれ強く訴えたいのは、感情的な頭の良さは理屈や思考ではなく、体験や体感から得られるものだということです。

そしてアンコンシャスバイアスを真摯に受け止めた時に行動変容は起きますし、それが組織知となったときに組織文化(行動様式)の変化は訪れるということです。感情の啓発は体感以外にはありませんとは言いましたが、今の情勢は人と人との直接対面による体感ができない歯痒い情勢です。

ということでJoyBizではビジュアルイメージ体験を促進するために、弊社若手が、YouTubeを使ってアンコンシャスバイアスの動画配信を始めることに致しました。是非ご覧ください。そしてこれを機に、皆さんもアンコンシャスバイアスが生み出す世界の恐ろしさや影響力を熟考して頂き、知的学習以上に経験学習が作り出すポジティブな影響に気付きを得て頂けますと幸いです。

さて、皆さんは「ソモサン」