• 「失敗の本質」から学ぶ:自己革新組織をつくる~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-192~

「失敗の本質」から学ぶ:自己革新組織をつくる~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-192~

今シリーズの自己革新組織をつくるの6つの条件。

  • 不均衡の創造
  • 自律性の確保
  • 創造的破壊による突出
  • 異端・偶然との共存
  • 知識の淘汰と蓄積
  • 統合的価値の共有

今回は③創造的破壊による突出です。

 

【創造的破壊による突出】

持続的な創造的破壊には、どうも余裕や遊びのようなものが必要だというのが「失敗の本質」の見立てです。危機感や悲壮感だけでは創造的破壊は生まれてこないし、ましてや持続するということは難しいようです。

零戦の優秀性は誰もが認めるところであり、戦後においても戦闘機における大きな技術革新として評価されています。ところが、その後の改良においては場当たり的で、日本軍の艦隊決戦思想を覆すまでには至っていません。攻撃能力を極限まで強化した冷戦は、ベテラン搭乗員の練度の高い操縦によってはじめて威力を発揮する戦闘機でした。一方で米軍は防禦に強い操縦が楽なグラマン戦闘機をシリーズ(F4F、F6F、F8F)として大量生産し、大量の新人搭乗員を航空主兵という戦略のヒト資源として活用しています。また、B17からB29に至る長距離戦略爆撃機が、次々と開発されていきます。これらの一連の技術革新が米軍の大艦巨砲主義から航空主兵への転換を可能にする基盤となりました。これを主導したのが米軍のダイナミックな指揮官や参謀の人事です。このような、米軍のヒトと技術における「突出」は、戦略体系全体の革新を導いたといえます。「失敗の本質」では、日本軍の零戦は、それが傑作であることによって、かえって戦略的重要性を見る眼をそいでしまったといえるのではないかと分析しています。

組織内で“ゆらぎ”が増幅され、一定のクリティカルポイントを超えれば、システムは不安定域を超えて新しい構造へ飛躍するといいます。その為には、漸進的変化だけでは不十分で、時には突然変異のような突発的な変化が必要であるといいます。進化は創造的破壊を伴う「自己超越」現象なのです。日本軍はある意味において、絶えず自己超越を強いた組織です。しかし、それは主体的というよりは、そうせざるを得ないように追い込まれた結果であるという事が多く、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められたといえます。また、日本は日清・日露戦争の戦勝国でありながらそれほどの賠償金も獲得できず、戦費のみ膨らみ、そのようなことから日本軍は余裕のない組織であったとも言えます。走り続けて、大東亜戦争に突入してからは、客観的にじっくり自己を見つめる余裕がなかったのかもしれません。例えば、日本海軍の航空機の搭乗員は一直制で後がなく、絶えず短期決戦を強いられていました。片や米軍は、三直制を取ることができ、海上勤務・基地での訓練・休暇というサイクルを回すことができたのです。辻政信は、ガタルカナル戦において、海兵隊員がテニスをしているのを見て驚いたといわれています。

「失敗の本質」が分析する創造的破壊による突出を見ていくと、創造的破壊は、米軍においては真珠湾において低速戦艦を一気に失い、これによって空母機動部隊への自己革新を容易にしたこと、日本では戦後、公職追放などによりそれまでのリーダーが一斉にいなくなり、若手のリーダーが台頭することができたなど、ある時に予期せぬ僥倖のようなものが、その機会を生み出すことが必要なのかもしれません。しかし、創造的破壊を持続的に行うには、やはりある程度の余裕と遊びが必要であると思わざるを得ません。日本軍において、真珠湾攻撃における第二次攻撃の回避、レイテ沖海戦において栗田艦隊が米輸送船団を攻撃せずに反転したことなど、積極的行動が欠けていたといえる事象は、戦略目的の曖昧さもさることながら、どこかで資源的制約に基づく「艦を沈めてはならない」という思考の箍があったのではないか思えるのです。つまり、ここぞというときに一点集中せざるを得ず、次が続かなかったといえるようです。余裕や遊びを組織にどのようにしてつくっていくのかは、改めて考えていくべき課題かもしれません。(続く)

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。