• 「失敗の本質」から学ぶリーダーシップ➅~180 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

「失敗の本質」から学ぶリーダーシップ➅~180 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

リーダーは、物事を決定するに際して個別事象にとらわれることなく、その事象を引き起こしていることに関係する多様な要因や、その要因の相互関連性などを熟慮し意思決定することが求められます。そしてそのような意思決定力を育むには、リベラル・アーツと言われる哲学・文学・芸術・自然科学の素養が欠かせないとも言います。野中さんはその中でも、哲学がとても大事だといいます。哲学は「どうあるか」という存在論と、「どう知るか」という認識論で構成され、その両面から真・善・美について徹底的に考え抜きます。それによって、大局観や物事の背景にある関係性を見抜く力、多面的な観察力が養えるのです。専門性や専門技術だけでは、効果的なリーダーシップは発揮できないのです。翻って日本軍はどうだったのでしょうか。

【都合の悪い事実に頬かむり】

私たちは、これまで正しいと信じてきた世界観や、やってきたことと異なる事象に出会ったときに「それはおかしいよね」とか、「まあ、一時的なことですよ」と捉えて、それを無視することがあります。野中さんは、日本軍の「都合の悪い事実に頬かむり」の例として日本とドイツの同盟を上げています。1939年ドイツから三国同盟を提案された日本は、英米との関係を考えて当初はすんなりと受諾したわけではないのです。喧々囂々の議論がなされていた時に、独ソ不可侵条約のニュースが入ってきます。当時の資料を調べると、ドイツとソ連の接近をうかがわせる多数の情報が陸軍や海軍、そして外務省に上がっているのですが、不可侵条約の可能性に言及しているものがないのです。要するに、せっかく手にした情報を他との関連性を考えながら、広い文脈の中で捉えることができなかったのです。現実を直観するというのは中々に難しいことです。これは何も日本軍に限ったことではありません。「都合の悪い事実に頬かむり」という思考は、さまざまな研究がなされ、以前ODメディアでも取り上げましたが、グループ・シンク(集団浅慮)という概念で説明されています。グループ・シンクは、特に強固な一枚岩を志向する組織や集団で起こりやすい思考態度であり、文字通り熟慮を拒否する思考態度です。

【社会から遊離した知的貧困組織】

真珠湾攻撃は対米戦争における数少ない成功例であると野中さんは言っていますが、それでもやはり政治・外交面では大きな失敗があったといいます。それは、アメリカに対する宣戦布告の遅れ、対米戦回避のためのアメリカ本土における親日世論喚起の不徹底の二つです。これと比較し、蒋介石夫人の宋美麗が、1942年から翌年にかけてアメリカ連邦議会などで抗日戦への賛同を呼び掛ける演説を行い、多額の援助を引き出している例を取り上げています。日本軍や政府のこのような失態は、日本軍全体で社会から孤立していたのが原因であると野中さんは言います。アメリカやイギリスは、当時から特殊技能者および知的労働者には軍の抱える問題を提示し、それに対する解決法を研究させていたといいます。民間人を一時的に抜擢し、役目を終えたら元に戻すという一時的昇進人事がごく普通に行われていたといいます。「菊と刀」を著したルース・ベネディクトなどはそのような中で登用された人材です。一方で日本軍と言えば年功序列(海軍ではハンモック・ナンバー、陸軍では天保銭)で、抜擢人事はほとんどなかったといいます。加えて軍人教育機関では、哲学・文学・芸術・自然科学といったリベラル・アーツは皆無だったそうです。

【戦いの目的共有が不十分】

目的共有が不十分で完敗した事例は、なんといってもミッドウエー海戦です。司令長官の山本五十六はアメリカ空母機動部隊壊滅を目的としていたにもかかわらず、実働部隊の長であった南雲忠一はミッドウエーの占領を目的とし、このズレが戦略・戦術の両方において日本海軍の意思決定を混乱させ、日本軍は世界海戦史上最大と言われる完敗を喫するのです。山本五十六は、南雲と密な関係を築いておらず、重要な作戦目的を伝えることができていなかったのです。比べるに、アメリカ太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツは、ハワイを訪問した際、実働部隊の指令となるレイモンド・スプルーアンスと同じ家に住み、ワイキキの海岸で泳ぎながら何日も起居を共にしたそうです。このような体験により、スプルーアンスはニミッツの考えを深いレベルで理解することとなり、海戦では抜群の働きをする事に繋がったのです。

【悪しき演繹主義と回らない知のループ】

一旦固定した考え方は、常にその固定した考えを土台にして物事を捉えるようになります。当時の日本軍は、大艦巨砲主義と白兵突撃の古臭い思想に取りつかれ、アメリカ軍の「水陸両用作戦」という、海軍・空軍および海兵隊を組み合わせたタスクフォースに思いが至らず、特に陸軍は、自分達の戦場は極東ソ連およびインド・中国大陸であるという認識で凝り固まっていたといいます。このような凝り固まった思想では、ガタルカナル島攻撃は単にガタルカナル攻撃であり、アメリカ軍がそれを一里塚にして日本本土に進行してくるという危険性などは夢想だにしなかったのです。

ここから言えるリーダーシップの教訓は、個別事象で捉えるのではなく全体のつながりを捉える大局観、不都合な事実に目をつぶらない知的誠実さと開放的な態度、多様な知・多様な人材を活用する度量、リーダー同士の目的共有、異なる状況を機会と捉えて新しい物語をつくり出すイノベーション思考の重要性ということです。組織開発の視点でも重要な教訓です。

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。