• 「失敗の本質」から学ぶリーダーシップ③~177 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

「失敗の本質」から学ぶリーダーシップ③~177 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

カオスの只中に立たされたリーダーに求められるリーダーシップとはどのようなものでしょうか。日本軍の組織およびその組織の中で育ってきたリーダーに焦点を当てる失敗の本質の中で、絶大な賞賛を得る稀有な人物として山口多門という人がいます。ミッドウエー海戦におけるカオスの中で、瞬間的な勝利の光芒を放ちながら歴史の彼方に消えていった山口多門について、山内昌之氏(執筆当時、東京大学大学院総合文化研究科教授)の考察を参考に、理性と情熱を兼ね備えたリーダーシップについて見ていきます。

山口多門(1892~1942)という人は、日本海軍の高級官僚の中でも、その秀才ぶりにおいて最優秀の人物です。兵学校は2番の卒業、海軍大学校は首席の卒業、プリンストン大学に2年間留学し、ロンドン軍縮会議に随員として参加、そして2年間ほどアメリカ大使館付武官を経験するという、生粋の国際派です。

帝国海軍の尉官クラス以上は、イギリス仕込みの兵学校で鍛えられ、スマートな合理主義と理数系の常識に培われた紳士であり、海軍カレーに象徴される洋食の生活を営むエリートです。かつ、倭寇や松浦水軍に代表されるような勇猛さを併せ持っていたのですが、そのような帝国海軍も、日清・日露戦争以降はそのような荒々しい気風は消え、日米開戦前夜にはハンモック・ナンバー(兵学校卒業時の成績)が重視されるような官僚組織に変貌していました。高級軍人に必要な能力は、緻密な戦略・戦術眼に支えられた冷静な状況判断力であると言いますが、軍の提督や将軍クラスに必要な能力は、加えて勇敢かつ想像力に富んだ作戦能力であると言われます。また、時に激情と闘魂に駆られた勇猛心を発揮する力は、軍人に不可欠の資質です。歴史を見ても、瞬間的な激情をコントロールする自制心を冷静緻密な頭脳や判断力と結合できたリーダーはめったにいないようです。最終的な意思決定は、論理よりも感情が主導するのであり、物事に動じない胆力は一長一短では身につかないのでしょう。山内氏によれば、知性・教養と勇猛心、寛容と闘魂、粘り強さと決断力という美徳を一つあるいは二つ持つだけでも、人間としては逸材であるということですが、山口多門はこのような美徳を持つ稀有な人材であったのです。では、山口多門に我々は何を学べるのでしょうか。特に、ミッドウエー開戦における彼の行動からそれを考えてみましょう。

ミッドウエー開戦における彼我の戦力を比較してみると、日本海軍に劣るところは一つもありません。空母4隻を主力とする第一機動部隊は、当時世界最強と言われていました。このような戦力を持ちながら、何故日本海軍は大惨敗を喫してしまったのかという考察は、すでに様々になされており、ここでは省きます。焦点を当てるのは、負けが必至のカオス状況の中で山口がとったリーダーシップです。索敵情報が錯綜する中、第一機動部隊の南雲は、今まさに攻撃意思決定を下すべきという瞬間に、攻撃機に搭載する爆弾の種類や制空支援の有無、およびミッドウエーへの第一波攻撃隊の帰還に拘り、瞬時の攻撃判断を逃してしまいます。山口は「ただちに攻撃隊を発進の要ありと認」と南雲に具申しますが、受け入れられませんでした。山内氏はこれを、小の慈悲に拘った南雲、大の決心を取ろうとした山口と評しています。さて、私たちはこれを受け入れられるでしょうか。

第一機動部隊司令部(南雲以下の作戦将校)はジレンマに直面していたのです。「発見した敵空母攻撃隊の発信準備を急ぐために、それらの飛行機を甲板上に並べれば、ミッドウエー攻撃隊の着艦が遅れて、燃料不足で不時着するものも出てくる。そうかといって、ミッドウエー攻撃隊を収容してから、敵機動部隊に向かう攻撃隊を準備すれば、その発進は著しく遅れることになる」のです。このような状況の時に山口は「ただちに攻撃隊を発進の要ありと認」と南雲に具申したのです。

第一機動部隊の源田実は「図上演習や兵棋演習ならば、文句なしに第二次攻撃隊を優先させたであろう。しかし、実践では机上の駒を動かすのとはわけが違う。血の通った戦友を動かしているのである。長い間、苦楽を共にしてきた戦友たちに『燃料がなくなったら、不時着水して、駆逐艦にでも助けてもらえ』という気持ちには、どうしてもなれなかった」と回想しています。果たして、南雲や源田の意思決定は、結果として世界戦史上屈指の敗北を招いてしまったのです。(続く)

 

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。