• I am choosing everything ~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【102】~

I am choosing everything ~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【102】~

少し前に、コロナ第3波が到来か、というメディアの言い方について、篠田英朗氏(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)は、「波」という概念が「物象化」されて独り歩きしている、といって苦言を呈していました。

曰く、「ウイルス感染の“波”は、単なる比喩の表現でしかないのに、あたかも自然現象として起こる“波”のようにとらえている。ウイルスの流行は、人間が自分たちで作り出している現象である」。

要するに、人間の活動そのものを問題視すべきなのに、物理的に存在しないウイルス感染の「波」はいつ来るのかという認識になってしまっているというのです。それは、物理的には存在していない事柄を、抽象概念で表現しているうちに、あたかも物理的に存在しているかのように誤認していくものであり、社会科学者が「物象化」と呼ぶ錯誤であるといいます。

 

ちょっと調べてみると、そもそも物象化(ドイツ語: Versachlichung または Verdinglichung、英: reification)とは、カール・マルクスが後期の著作、とりわけ『資本論』で使った概念だそうです。

物象化とは、人間が形成する社会関係やそこに参与する人間主体が,あたかもモノのように立ち現れてくる現象をさします。この現象は一定のメカニズムに媒介された場合,必然的に生じます。

 

例えば資本主義の商品交換というメカニズムを自明のものとして生きる人々は,お互いを人格的な関係の中に見いだすのではなく,お互いを商品あるいは商品の担い手としてみなすようになるというものです。篠田さんは次のような例も出して説明しています。

 

・ニーチェは、「雷が光る」という言い方は間違いで、「光っているのが雷だ(ある種の光の現象を人間は雷と呼んでいる)」と言うのが正しいと指摘し、人間の暴力的な抽象化思考が主語にならないものを主語にして人間の思考を支配している有様を、そして主語を隠ぺいすることによって人間が認識者としての自らの行為の介在も隠ぺいしてしまう偽善を、指摘した。

 

このニーチェの論を借りると、私たちはほとほと自分の行動選択の結果引き起こされた事柄について、都合の悪いことは自分の問題にしないという巨大な防衛機制を発動させるんだということが分かります。いま世界で起こっている、右傾化だとか、いやポピュリズム化だとかという「波」も私たちの行動選択の結果なんでしょうね。

今年のアメリカ大統領選挙で起こっていることも、トランプ氏が創り出したのではなく、それ以前の民主党や共和党のリーダー達が選択したことをアメリカのビジネスエリート層が受け入れてきたからだという見方があります。

また、ビジネスエリート層におもねるように民主党と共和党が動いてきたとも言えます。この辺は、鶏と卵ですからその真相は米国史研究の専門家に任せるとして、トランプ氏が今のアメリカの混乱をつくっている原因であるというのは、やっぱりどうも違うようですね。ありゃ結果ですね。

 

1983年に日経ビジネスが発表した「企業寿命30年説という仮説」があります。どんな勢いがある会社でも30年たてば埃が溜まり、さび付きが出てきて停滞するという仮説です。企業でもそういう栄枯盛衰の「波」があるのか、ということかもしれませんが「物象化」でお分かりのように、これは自然現象として起こるのではなく「人々の営みや振舞い」の結果として起こるのです。

私が、このプロセスで一番感じるのは、30年もたてば創業者やその仲間たちの哲学は文字面となり、日常は彼らがつくったオペレーションのみが残っているという現象です。そして、組織としてのパフォーマンスが低下してくるとオペレーションに焦点をあてて、その不具合を是正しようとしたり、下手すると現行オペレーションの強化を実行したりします。

何故そのオペレーションやそれを形作っている構造が大切なのかのWhyを語れなくなっているのです。あるいは、中途半端にしかそれを語れない。そうなると、そのオペレーションで毎日仕事をやっている人たちは、意義や意味を理解することなくルーチンをうまくこなすことを要求されることになります。それは苦痛でしかないでしょう。そうやって組織は強靭さを無くしていくのですね。

 

組織がその効果性(パフォーマンス)を無くした時にやるべきは、トップマネジメントを筆頭に組織構成員全員で「私たちの振舞いは、何を引き起こしてきたのか」を問い直すことなのです。それはとても痛い作業ですが、新たな未来を創造するためには避けて通れないことです。それをせずに「これから未来に向けて何をすべきか」を語っても、結局は以前のナラティブから抜け出すことはできないのです。

「脱皮しない蛇は死ぬ」。久しぶりにこの教訓を思い出しましたが、脱皮中は無防備にもなり危険が多いのですね。ですから私たちは、分かっていてもそれを分かりたくないのかもしれません。

 

※この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株) 波多江嘉之です