• ポスト・コロナの組織を考える⑧~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【77】~

ポスト・コロナの組織を考える⑧~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【77】~

~責任についての勘違い

前回「責任」ということについて考えましたが、これは中々に厄介なテーマであると自分でも思います。例えば、自分が所属する組織の上司のために責任を持って対処するということが、ひょっとすると世間の期待や常識とはかけ離れている、なんてことはありますね。悪い意味の忖度です。

コロナ禍での、例の「37.5度、4日間」というフレーズもそうです。専門家会議では当初、日本の医療体制を考えて、患者が殺到しては困るという事で検査を絞ったという説明をしていましたが、保健所ではPCR検査の可否を決定する基準として扱われ、5月連休明けぐらいには加藤厚労大臣から「37.5度、4日間」は誤解だとか、訳わからん記者会見があり、「37.5度、4日間」は、結局見直すということになったのですが、じゃPCR検査を誰でもが受けられるようにするかと言えば、それはそうではなさそうで。結局どうしたいの、と思うのですね。

で、これはいったい「誰が、何に責任を持って対処しようとした結果なのか」が全く分からないのですよ。で、目的がどこかに忘れ去られ、手段だけが表に出てきて独り歩きし、手段が目的化していくという、最悪のマネジメントがなされるのです。権威主義的組織や文化の中では、このようなことがまかり通るのでしょうね。

なぜかといえば、権威主義的組織では「合法性・正当性や責任・権限の規定を優先して考える。いろいろな特権や権利・義務は詳細に規定され、それに固執する。規則通りにやることが効果的であることよりも高く評価される。」のが特徴ですから。このような文化を持った集団や社会は、個人がその規範を逸脱することは「悪」になります。だからでしょう、自分の頭で考えない、規範を盾にした正義を振りかざす輩が現れるのですよ。典型的な権威主義の行動です。

~共同体意識の大切さ

責任について考えれば考えるほど、「何についての責任なのか」をとことん考える必要があるなと思っていたのですが、それは意外と簡単な答えに行きつくのではないかと思っています。では何か、それは「私たちの幸せ」です。じゃ、幸せとは何か。それは、善なる目的です。では善なる目的とは何か、それは共同体意識(あるいは共同体感覚:アドラー)を明確に認識した目的の実現です。

共同体意識とは何か、それは「自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する」という意識です。これは仏教でいうところの自利利他と同じです。

仏教でいうところの自利利他は、自らの悟りのために修行し努力すること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)。この二つを共に完全に行うことです。なぜなら、人間は社会という網の目に中に組み込まれているから、その中で自分がいかに生きるべきかを問いますが、そのことを広く考えれば他者との相互関係の中で私たちは生きているという事になります。

従って、共同体のために行動することは、結局は自分のためにもなるのです。ところが共同体意識が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないような行動をする。例えばそれは、今回のコロナ禍の中での一部の人の短期的快楽を重視した行動などです。

短期的快楽を重視する人たちだけの社会は、安心して所属することができない「不安で猜疑的な社会」となります。不安で猜疑的な社会とは、自分の利益になる時だけ他者と協力する。他者も、私を必要とする場合というのは、その他者の利益になる場合だけ、というような社会のことです。共同体意識の未熟な人は、所属に問題を抱えやすく、不幸な人生を送ることになりやすいといわれます。

共同体意識は、自立(有能感:私は自分で自分の人生を送ることができるという感覚)から、お互いに協力し合って生きているという相互依存(重要感:社会の中でみんなは相互に重要な存在であるという感覚)の実践をするプロセスの中で育まれます。

 

意識の発達とは、結局、私たちが所属する共同体(チーム、組織、地域社会、国家、地球全体)に対する責任意識の発達ではないかと思うわけです。

 

 

※この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株) 波多江嘉之です