• ポスト・コロナの組織を考える④~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【72】~

ポスト・コロナの組織を考える④~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【72】~

~意識の変化とマネジメント

意識の発達が、なんでポスト・コロナの組織論につながるのか、前回の最後で、例えばX理論とY理論という異なるメンタルモデルによるマネジメントの在り方の違いを確認しました。

X理論とY理論をマネジメントに活用する上で理解しておきたいことは、1920年代から1950年代のアメリカの産業発展とそこで働く人たちのスキルや意識の変化です。アメリカは移民の国ですから、産業発展期における労働者階級は英語もできない移民です。マズローが言うところの「低次元の欲求」が満たされていない人々が大量にアメリカに渡ってきたわけです。

従って、モチベーションの源泉も衣食住を満たしていくことです。つまり、内発的動機という次元は顕著ではない。また英語でのコミュニケーションも不自由ですからマニュアルによる作業指示が必要になります。マネジメントは当然のごとくX理論にならざるを得ない。計画(Plan)する人は組織の上にいて、作業する人(Do)は組織の下にいて、管理する人(Check)は組織の真ん中にいるという構図が出来上がります。ピラミッド型組織の出来上がりですね。

 

第2次大戦後、アメリカ産業界の圧倒的な成長により、労働者階級も低次元の欲求が満たされてくると、X理論による経営手法の効果は期待できない。1960年代になると、豊かな家庭で育った子供たちがビジネスの世界に入ってきて、Y理論に基づいた経営方法が望ましいとなったのです。そして、この発展の中で「目的志向的に課題を追いかける」典型としてのアンバー型組織(大企業に多い役割型組織)やオレンジ型組織(課題達成型組織)が生まれてくるわけです。

 

以前のODメディアでも引用させていただいた、梅棹忠夫先生の「武と文」を拝借するまでもなく、組織はそもそも目的的な集団です。

目的的組織は、読んで字のごとく特定の目的や目標を達成するのが使命です。特定組織の活動に参加するという事は、一人ひとりの人生に、ある一定期間、ある種の部分的目的を与えます。このような目的的組織は、過去の学習内容に忠実であり記憶力という点で優れています。そして、妥当性が検証された因果マップに依拠した思考パターンが存在します。

そして、新しく組織に加わった(入社した)人たちは、この組織プロセス・文化を習得することが求められます。組織の幹部層はこの目的階段を一歩一歩這い上がってきた人たちという事になります。管理者は、この組織文化を守る「守護神」なわけです。これが、アンバー型組織やオレンジ型組織と呼ばれる組織の原型です。梅棹先生によれば、このような過去あるいは現状依存型の状況を打開し、次のステージに向けて変革のきっかけをつくる人が文人です。

文人のキーワードは「探求、自由な発想」です。最も簡単な表現を使えば「自分の頭で考えろ」という事になります。ところが、「自分の頭で考えろ」というのはものすごく難しいプロセスです。なぜかというと、最終的な結論に対して自分で責任を取らなくてはならないからです。

 

組織論に戻れば、レッドは一人ひとりが「自分の頭で考えること」をしない組織です。トップの意思決定が早く、メンバーはそれに異を唱えず実行するという事は、スピーディーな行動ができますが、トップが転んだり居なくなったりすれば組織は混乱します。アンバーは決められた役割を全うしろという組織ですから、その役割が自分のアイデンティティとなり、そこから逸脱することはネガティブな行動になるのです。

それは柔軟性がない組織になります。オレンジは変化を歓迎し、競争が可能となり、イノベーションを起こすという組織ですが、これは下手すると利己主義的な「自分のことしか考えない」組織になりがちです。

だから、「全体という世界を見渡し、自分の頭で考える人材」を育てなくてはならないという論が当然出てくるわけですが、そうは簡単にいかない。それは、フロムが言うところの「人々は自由になったとたんに、不自由を感じる」というアレです。

~自由とは責任を担い、孤独を楽しめる事~

E.フロムの「自由からの逃走」は、ナチズムに傾倒していったドイツを考察したことから生み出されたものであり、何が原因で当時のドイツのような状況になったのかがフロムの考察を通して語られています。その柱になるのが「自由」という事への私たちの捉え方であり態度です。

人々はよく「自由が欲しい~~!」と言います。でも、自由になったとたん「自分一人で生きていく」ことに直面します。つまり、孤独と責任という次なる問題に向き合う必要が出てくるのです。自由にやれる(やる)という事は、他者の自由を認めることでもあり、他者が「あなたの自由と私の自由は違う。あなたの自由に私は付き合えない」といえば、あなたはあなたの自由を守るために孤独に耐えなくてはならないのです。

そして自由であることは、あらゆることに対して責任を持つという事もついて回ります。でないと自由は単なる傍若無人な行動になるからです。そんなこんなで、人は孤独や責任の重さに耐えかねて、何か(誰か)に依存して生きていくのです。

ここで私たちは、「不自由だけど安全を保障される組織/社会」を好むか、「自由だけど一人ひとりがリスクに対処することが求められる組織/社会」を好むかの選択に迫られるのです。

 

※この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株) 波多江嘉之です。