• 対話は自分とのバトルだ~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【55】~

対話は自分とのバトルだ~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【55】~

最近、私たちの同業者の間では「対話(dialogueあるいはnarrative)」が大切だという話が盛んになっています。目的はいろいろあり、チームづくりや場の変革の手段としても効果的な手段としてさまざまな場面で使われ出しています。

(注)dialogueとnarrativeは異なる概念ですが、便宜上ここでは対話という「やり取り」にまとめています。

 

対話はいずれにしても、ある事柄に関係している当事者同士の認識のズレを修正し協働関係をつくっていく有効な手段になります。ズレを修正するとは、他者との違いを認めると同時に、自分自身の見方や考え方の偏りに気づき、それを修正ないしはいったん脇に置き、共有できる未来をどのように構築していくかという事が含まれます。

 

昔から「話せばわかる(犬養毅)」と、対話の重要性は分かっているのですが実践するのはなかなかに難しい。なぜか、それは対峙する当事者同士が「対話は大事」と本当に思っていないと、それが分かっていない相手からは「無視」されるか「攻撃(問答無用)」されるからです。そして「無視、攻撃」された人はそれに対して何らかの対応をしないと、彼を取り巻く連中から「弱腰」という誹謗中傷を受けるのです。

そして、対話が重要と言っていた人もそれ以外の方法を選択し「反撃」に移るのです。「は~~~😞」ですね。

政治的活動派と対話的活動派は関係者の中に葛藤を引き起こす、そして下手すりゃ「さようなら~~」ですね。 あれ、これってビヨン理論か。

(注)ビヨン理論

リーダーに反発しまとまらないグループは、リーダーもその渦の中にとりこまれ、依存-反依存、分派、闘争-逃避を繰り返し、非生産的なループから抜け出せない。という集団の無意識的領域に着目した理論。

 

それで、対話派はこのような局面でどうすればよいか、それは「我慢」です。爆発しそうな自分の内面と戦い、粘り強く相手と対峙するのです。

そして、論理と感情の両方から相手を「対話の場」に引き込んでいく努力をし続けるのです。

アメリカ映画の秀作である「12人のいかれる男」(懐かしい~~~)でヘンリー・ホンダが演じたような「冷静で、思慮深く、粘り強く、納得できないことに疑問を持ち続ける」陪審員の姿勢が必要なのではないでしょうか。12人のやり取り(対話)の中で彼らのものの見方や考え方が変わっていく。ある人は野球を見に行きたいから多数の意見にフリーライドしてすぐ終わらせようとする。

ある人はスラム街出身者であるという理由だけで被疑者の少年が絶対にやっていると思う。でも、陪審員の中にいた自分もスラム街出身者が「喧嘩の時のナイフの握り方」の違いを説明する。そうやって一つひとつの事象に対してそれぞれが思い込みやいい加減さを排除して真剣に事実を追求しようとするのです。

最後まで抵抗し被疑者がやったに違いないと主張していたリー・J・コップ演じる会社経営者は、実は家を出ていった息子との確執から、息子と同じような年ごろの被疑者に対して頑なに犯人であると固執していたのです。彼は、最後は自分の内面と向き合い「無罪」と宣言するのです。真実と向き合うという事は自分との格闘です。  やっぱり対話は大変だよな~~。

 

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。