• 見えないものを見る~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【53】~

見えないものを見る~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【53】~

🎍あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

~見えないものを見るって、難しい

最近は、組織開発(OD)の世界でも、ハイフェッツの技術的問題とか適応を要する課題といった概念に対する理解が進んでいるようですね。昨年10月には、埼玉大学の宇田川准教授の「他者と働く」が出版され、技術的問題とか適応を要する課題について分かりやすく語ってくれたことにより、分厚い本を読まなくても「なるほどね!」と理解される方が増えてきているようです。

適応を要する課題への対処も、U理論も、前提条件が変化している時代の問題解決(ハイフェッツはリーダーシップですが)の肝は「見えないものを見る」という事だといっているのです。

 

「見えないもの」とは、私たちの心の中にある基本的仮定、「他者と働く」ではナラティブと言っているものです。アンコンシャス・バイアスともいいます。「見えないもの」は研究の出発点や業界によって言い方が異なるだけで、指し示す現地は概ね同じものです。

でも、「見えないもの」を見る必要があるわけですから、現実にはこれはなかなかに手強い作業なわけですよ。例えば私たちの業界では、お客さまからいろいろな問題解決のご相談を受けても、「私本当にわかっていないので相談に乗ってください」というのは実は少数派で、相談をされている方々も、本人はそれ程自覚せずに「私はこう思うのですが、それできますか?」と言っている方々が結構いらっしゃるのです。

致し方ありませんので企画提案する訳ですが、失礼を承知でいえば、どの企画が良いかを従来の基本的仮定の中で評価し実施する訳ですよ。それって何の問題解決にもならず、受講者に対しては「君ら今のままではダメで、こういう風にもっと頑張れよ」と言っているに過ぎない事が多いのです。つまり、事務局サイドから答えを教えて、それをうまくやれと言っているに等しいのです。それじゃうまくいかないですよね。受講者から自分を見つめ直し、考えることを奪っていますから。

~見えないものを見る謙虚さまたは勇気

「見えないものを見る」には謙虚さ、または勇気が必要です。それも、自分に対する謙虚さや勇気です。これってなかなかに困難な作業です。聴く耳を持っているとか持っていないといいますが、自分の思考の枠組みに合うことについてはどなたもよく聴きます。「そうそう、それそれ」という具合に。問題は自分の思考の枠組みに合わないことに対する反応です。

人は受け入れ難い状況、または潜在的な脅威にさらされると、それによる不安を軽減あるいは解消しようとする言動を表出させます。それは、一般的に防衛機制と言われる無意識な心理的メカニズムです。これがバイアスと重なって表出すると、とっても強烈な批判勢力になったりします。

 

最近、「ビリーブ」という映画を見ました。これはルース・ベイダー・キンズバーグを描いた映画です。「RBG最強の85才」の方が有名かもしませんが、アメリカ最高裁判事の一人であるルース・ベイダー・キンズバーグの弁護士時代を描いた映画です。この映画は、RBGがアメリカにおける差別といかに戦ってきたかを描いていますが、なるほど1970年代のアメリカってこうだったのねという情景が垣間見られます。

例えば、映画の出だしは男性が列になってぞろぞろ何かを目指して歩いているのですが、そこはハーバード大学法科大学院の入り口です。当時は、法科大学院に入学するのは男性と決まっているというバイアスがよ~~く分かる描き方です。授業でも教授の質問に対して最初に指されるのはきまって男性。女性であるRBGは、それでもしつこく手を上げて教授がやむなく指名するという有様。

また、彼女の名前が知られるようになったある訴訟案件は、対抗する側の弁護団がハーバード大学の恩師たち。この恩師たちが居間で話す場面があるのですが、そこで語られるのは「大体世の中っていうものは男が働き、女は家にいて家庭を守るものだ」「この法律は寡婦のための法律であって、介護に精を出す独身男性のためのものではない」とかが平気で語られるのです。傍で、一人の教授の妻も聴いているのですがそれには関係なく、延々とそのような会話が交わされるのです。

最高裁の法廷でも、RBGは三人の判事から最初はコテンパンにやられます。それでもめげず、当時の法律ができた歴史を振り返り、それが今の時代に合わないという事を論理立てて弁論します。で、最後は勝利を得るのですが、まあバトルですね。RBGの前には討ち死にした先輩が沢山いるということも描かれています。

その先輩の一人も、最初はRBGに「あんたは教授で研究者だからね。現実は違うのよ」みたいなことを言うのです。そして、RBGが挑んだのは時の権力側です。そりゃそうですね、時の権力は既存のパラダイム/ナラティブを生きてきた人たちですから。ですから、既存のパラダイムやナラティブに挑むという事は時に権力との戦いでもあるのです。思想的バトルは平等な位置づけでの戦いではないという事です。「見えないものを見る」ということはそういう事です。

~対話をすればいいってもんじゃない

ズレを修正するための対話は大切ですが、表面的な現象について話すだけでなく「なぜ、そのような言動を選択するのか」という、見える言動の奥・深層にある見えないものにたどり着くには相当の苦労が要ります。時にそれは自分自身の自負心や自尊心に対して刃を突き付けるようなものです。

例えば、ハーバードの教授になる、最高裁判事になるために彼らはどれほど努力してきたのでしょうか。その努力の過程で構築してきた自分のナラティブをRBGから否定されるのですから。そりゃ自負心や自尊心は傷つきますよ。少なくとも「参った」となる。これをどれほど気持ちよくやれるか、そこが問われます。

ただ、RBGはそこをうまく弁論します。曰く、かつての法律もその時代の要請に応じてつくられてきたはずだ。今の法律が時代遅れになっているのであれば、新しい時代にあった法律を制定するのは最高裁判事であるあなた方の責任であるし、あなた方にこそ時代を切り開いてもらいたいと。

要求すべきことは要求し、互いのナラティブを戦わせてこそ新しいナラティブが生まれ次の時代が開かれるのではないでしょうか。

 

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。