LIFTプログラムを通して改めて意識改革と組織開発の本質を考える

JoyBizでは5年ほど前からLIFTというプログラム・コンセプトで人と組織のウェルビーングの創出をお手伝いしようと取り組んでます。ウェルビーングとは日本語的には「幸福」といった意味です。日本語は表意文字なので感覚的な状態を文字にするのが非常に苦手で説明に苦労することが多いのですが、幸福という言葉も一般にはハッピーとかハピネスと同義に捉えられることが多い厄介な日本語です。

英語のハッピーはかなり意志的で思想的な意味を持った少し重々しい言葉です。ウェルビーングはもっと気軽で感覚的な意味ですが、日本語でピタリとするような言葉がありません。そのため幸福と表すると実際の意図とは違ったイメージを与えてしまいます。だからウェルビーングはウェルビーングと表せざるを得ないと云うところです。

 

日本語にはこういったケースが多々あります。そのため出来るだけ意図を正確に伝えようとすると結構難儀なことになります。英語で表すると「意味が分からない」、日本語で表すると「難しくて分からない」といった具合です。最近の若い人は語句を詳しく知らない人が増えた結果、そういった人同士のコミュニケーションがマジョリティとなって、却って少ない語句での文章化による表現の方が分かりやすいと認知される状況にもなっています。夏目や鴎外、芥川の時代は遠くなりにけり、といったところでしょうか。

 

その様な言葉の違いによって意味に大きくズレが起きている一つとして「意識」という言葉があります。日本では良く「意識改革」とか「意識を変えろ」といった用語として用いられています。一方「意識が戻った」とか「意識をしっかり持て」といったような場面でも用いています。皆さんも想起されるでしょうが、両者における意識は全く別物です。英語では前者はウィルとかインテンションですが、後者はコンシャスです。面白いことに日本人もパッと「意識」と云われると殆どの人が後者を発想するようです。

ところが日本の日常では前者を意味して使うことの方が多いようです。こういった曖昧でいい加減な言葉遣いが印象を左右して、言葉の真意が根付かない原因となっています。言葉が根付かないということは即ち行動が起きないということです。ほんと言葉はもっと大切に扱わなければなりませんね。

さてその意識改革ですが、日本が組織改革と謳う取り組みのほぼ全ては集団的な意識改革であり、集団的な意識とは風土や文化といった集団単位での「暗黙裡の申し合わせ」に他なりません。即ちここで云う意識とは間違いなく「心持ち」のことであり、意思や意志という意味での概念のことです。

では意思を改革するとは具体的にどういうことなのでしょうか。意思とは「何かを行おう(或いは行いたくない)という自発的な思い」です。意思が漠然とした思い(思惟)であるとすれば、意志はより目的的に具体的で積極的な行動を伴う強い思いといえます。ここで重要なのは「思考」と「意思」は同じなのかという点です。思考とは思いを巡らせる内的な行動です。知的作用を総称する言葉であり、多くは論考・判断・推理といった知的作業を指します。

一方意思は作用や作業ではなく欲求や感情なども包括した心の働き、主体たる認知であり、思考は意思の実現のための手段に過ぎないということです。これは知(考え)と意(思い)が別の存在であるということを意味付けする重要な定義でもあります。何故ならばこの定義によって幾ら知を研鑽しても意には至らないということが浮き彫りになってくるわけです。心という分野において知の中核である思考力は目的における手段という位置づけになります。幾ら手段を磨いても目的自体が形成されていなければ、その能力は無用の長物と云うことになります。

 

昨今、高学歴にも関わらず人生の目的が見いだせずに多くの時間を費やして自分探しに瞑想する人や、おかしな集団意思たる宗教などに嵌まって折角の知力をマイナスに作用させている人が頻出しています。有名大学に進学するまでで人生を終わらせてしまう人、有名企業に就職するまででその後の人生を徒労化させてしまう人(これは採用側にも同様な人材が蔓延し始めている証と云えますが)が一杯います。

今テレビ業界では東大生でタレントセンスがある人探しに躍起だという報道がありましたが、何のための東大なのかすら問われる時代になってきたようにも思えます。社会がマンネリによって集団レベルで疲弊してきた証かもしれません。生物学でクライマックスという言葉があります。クライマックスとは頂点という意味ですが、生物の循環理論からしてクライマックスが永遠に続くことはありません。成熟期があれば衰退期があるわけです。そして生物的に絶滅に瀕するときは生物が集団単位で再生に出遅れ、加速度的に衰退基調に乗ってしまったときに始まります。

人の衰退は物理的衰退と心理的衰退があります。そして天変地異がない限り物理的衰退は心理的衰退からもたらされます。温暖化による気象異常、人種や民族的敵対の苛烈化における戦争の頻出など、全てが心理的衰退による歪んだ施策によるものです。人が皆ウェルビーングな状態でなくなったときに利己主義や紛争が蔓延し始めます。

例えば昨今正義が歪んで叫ばれ、正義を語った虐めやリンチがマスゴミなどからして蔓延し始めています。周りを静観するに、今まさに社会の集団的な意思が戦後基調における価値観的な衰退期に入り、新しい意思の創出に向けての改革期に入ってきているのは確かに思われます。私は今何故意識改革が求められるのか、そして何故それを集団の文化レベルでの改革にするために組織開発が要請されるのかの真因がここにあるように考えています。

ところが社会や組織の取り組みは現状打破とは口だけで、行動は相も変わらず現在価値観を死守するための知力信奉とその強化への拘泥です。一体その様な要請の中で従来の価値観に埋没した思いの中で手段たる知力を磨いて何になるのでしょうか。悲しい限りです。まったくウェルビーングな世界ではありません。

こうなったのは戦後70年を越える意思の啓発や啓蒙を社会が怠ったツケでしかありません。意思のない人材に新しい意思の創出といっても詮無い話です。社会を治める立場にある人ほどが偏った教育施策によって意思のない人材になってきている中で、改革など戯れ言にしかなりません。本当の意味での組織開発、社会集団の改革はそれをテーマにして取り組まなければ水泡に帰するでしょう。思考レベルでの組織開発など全く無意味です。意思レベルでの組織開発こそが必須です。意識改革の本質はそこにあると私は信念を持っています。

 

先にも例を挙げましたが、歪んだ正義があります。何故歪んだと称するのかというと、正義は「義に正しい」ということで、その根には「大義」というのが存在しています。大義とは道義です。道義とは「人として踏み外してはならない、最も大事な道」です。儒教的には五常の一つで人間の欲望を追求する「利」を律する考えで「利他」を意味します。仏教も同意です。一方西洋では罪への対局で神のことです。人は誠実を持って神に臨むという姿勢です。

そして東洋と同様に「他者を信じる心構え」と称しています。どちらも自分を戒める言葉であって他人を攻める言葉ではありません。そういった義を正しくするのが正義です。誰も他人を戒める資格などないわけです。そんな正義の本質も考えず(意思の学習が出来ていないがために)、集団圧力でリンチする組織文化がウェルビーングといえるでしょうか。

因みに義の反対に位置するのが奸(かん)ですが、利己心のために義を振りかざして人をリンチするネット奸賊やマスゴミが、果たしてウェルビーングをもたらしてくれると皆さんは思いますか。これらの問題は無知や低思考ではなく、現代の日本人の意思に対する無教養さ、意思の無さからもたらされる残念な姿の露呈です。まさに教育弊害です。意思改革、これが本来求められている組織開発の目的です。意識と意思の違い、お分かりになって頂けましたでしょうか。

 

JoyBizがLife(人生)Intention(意思)&Feeling(気持ち)Treatment(調整)、通称LIFTと意識改革や組織開発の趣旨をオリジナル・メッセージにしているのは深い理由があるのです。 因みにFはこれまで力の調整ということでForceを使っていましたが、心の中で偏った強化が為されてアンバランスな三角形となっている状態を調整するには、意思(思い)の開発と感情(気持ち)の制御という二面アプローチが必須と考え、シンプルにFeelingに変更することに致しました。

皆様に置かれましても今後ともLIFTをご支援頂けますと嬉しい限りです。JoyBizのJoyもウェルビーングと同じ意味です。ジョイとは究極のウェルビーング状態を指しています。

引き続きよろしくお願い申しあげます。

 

さて、皆さんは「ソモサン」