現代人の断捨離と禅

昨今、「ミニマリスト」や「断捨離」という言葉がにわかにブームとなりつつあります。余計なものを捨て去って、必要最低限のものだけを所有するというスタイルは、「物質的に豊かな時代」でありながら「心が貧しい時代」でもある現代を象徴するような対応策として紹介されているようです。ところが、ただ物やお金を減らすだけで心も綺麗さっぱり、とはどうもいかないようなのです。

私の勤務する都内のクリニックで「うつ」の治療を受けておられる一人の女性患者さんが、ある心理カウンセラーの勧めで断捨離に取り組みました。薬物療法と休養によって少しずつ意欲が改善してきたこの方は、自宅療養中のリハビリも兼ねて、毎日少しずつ身の回りの物を捨てて、減らすことにしたのです。しかし、捨てれば捨てるほど、心の中に寂しさと虚しさがこみ上げてきたそうです。街の書店やコンビニには「シンプルライフ」「禅的生活」などという題名で、断捨離を勧める様々な書籍が並びます。どの記事も忙しい日々の助けとなるシンプルな考え方のヒントを紹介していますが、どうやら最も大切な部分がごっそりと抜け落ちてしまっていることが多いようです。

禅の本質とは、決して物を捨てて無くすことではありません。今持っているものに対して、それを心から大切に取り扱うことによって、「いま、十分に足りている」と気付くことです。「吾唯足知(われただ たるをしる)」という禅語は、これをまさに示しています。今この瞬間に「満たされていると感じる心」が問われているのです。かといって、ただ「満足しなさい」と言われたところで、できるはずもありません。今私は幸福である、と感じられるようになるために、マインドフルネスに関する研究が有益な情報を与えてくれています。2010年にハーバード大学のマシュー・キリングワース博士が米科学雑誌サイエンスで発表した研究によると、現代人は覚醒している時間のうち47%もの時間を、今まさに取り組んでいる事以外について考えていることが分かりました。つまり、起きている時間の半分は、目の前の物事に集中していない、「心ここにあらず」で生活しているということです。しかも、こうして目の前のことに集中している時間の割合が高い人ほど、「幸福である」と感じる度合が高いことまで明らかになったのです。

ただやみくもに物を捨てて減らしても、心の健康度を向上させることはなかなかできません。禅の修行生活においては、「最低限の物しか所有しない」ということ以上に、「目の前のことに全身全霊で取り組む」ということを徹底的に自分の中に落とし込んでゆきます。坐禅だけが修行ではないのです。掃除、料理、入浴…。修行僧でなくても、誰もが日常的にしていることを、「マインドフルに」つまりそれに注意を向けて取り組むことによって、心は研ぎ澄まされ、「今ここ」で満たされていると感じられるようになってゆきます。

心のバランスを崩してしまっている方でも、そうでない方でも区別はありません。誰でも自らに対するマインドフルネス治療を、今この瞬間から始めることができるのです。「今この瞬間」に注意を向けるだけで。

(了)