プレゼンスを高めるには?④ ~壁を越えて成長するには~

※この記事は4部構成です。それぞれの記事は下記よりご覧ください。

プレゼンスを高めるためには?① ~座右の銘はあるか? 前編~

プレゼンスを高めるためには?② ~座右の銘はあるか? 後編~

プレゼンスを高めるためには?③ ~信念の形成とメタ認識~ 

プレゼンスを高めるには?④ ~壁を越えて成長するには~ 

現実を受け止める ~自我形成と実存の危機~

川野先生:

そうですね。それは自我レベルの観点で見てゆくと解りやすいでしょう。自我に脆弱性がある人は退行していきます。反対に自我がしっかり形成されている人は退行せず、解決策を前向きに考えようというスタンスになります。

竹本:

しっかりとした自我形成のためには、「実存の危機(=自分は何者だという感覚が揺らぐ瞬間)」とそれを乗り越えることが必要だと考えて弊社でもプログラム開発を進めております。

川野先生:

スティーブン・マーフィー・重松先生(スタンフォード大学)という、マインドフルネスやコンパッションについて教鞭をとっておられる博士がいます以前私も先生のワークショップに参加させていただき、大変多くの学びを頂戴したのですが、中でもwho are you」というセッションが印象的でした

果たして自分は何者なのかということを問い続けるワークです。この質問にこたえられない人が特に日本人は多い傾向にあるようですね。海外でもこうした質問に答えるのを難しいと感じる方はいるようで、そういう方の中には、質問中に怒りだしてしまうこともあるようです。「何が言いたいんだ?」と。

多くの人はこの質問に、●●会社勤務、マネジャー、▲▲出身、といったようにプロフィールを話してしまうのです。しかしその先の自分とは何か?という本質を問われ続ける。これもまさに一つの実存の危機ですよね。

最終的には、冒頭の座右の銘みたいなものが出てくることが多いです。最後は何のために生きているのかというレベルまで行きつきます。例えば「自分は平和を願う人間です」とか「自分は大切な友と生きていきたい」とかですね。

竹本:

そのワークも面白そうですね。マインドフルネスというのは自分を見つめて自我を磨いていくという本質的な側面で重要なだけに一過性のブームで終わらせたくないですよね。

現在と未来の「こころ」の在り方 ~「実存の危機」と「実存の充足」~

川野先生:

まさにそうですね。これからの世界では幸福やwell-beingの定義そのものも変わってくる可能性があります。例えば以前何かの記事で読んだのですが、アマゾンエコーなどの家庭用デバイスにおいては、声のデータも取得しているようですね。そのスピーカーから入力された声紋というデータが商品になります。

そのデータから笑い声が絶えない家庭と笑いが起きない家庭の購買履歴の比較などもできてしまうようです。またそれを幸福などの心理状態と結びつけて分析することでこれまではわからなかったデータが出てくることも予想されます。これまで心理学のベースとなる検査法や調査は、自記式のアンケ―トが主流であったため多分に主観的でした。

故にこれまでの時代は、心理学調査や心理学のエビデンスの在り方に限界があることは誰もが認めるところでした。ところが、その認識すら変わらざるを得なくなる時代になってきました。それを踏まえて本質的に求められるものを考えていく必要がありそうです。

竹本:

そうなってくるとこれまでの学問やビジネスも一変してしまいますね。ただデータ解析が進んで客観的な「正解(と思しきもの)」が出れば出るほど、ますます実存の危機に陥りそうですよね。すべてが客観的には証明されてしまったうえで、主観的な自分としては、本当にそうなのか?と問いかけてしまうというか。常に「自分はどうなのか」と突き付けられている時代を想像してしまいました。

川野先生:

何が良くて、何はダメ、という勝ち負け2元論的な考え方は禅と対極にある考えではないでしょうか。多様な在り方を認めるという前提は大切でしょうね。ただ常にそうした実存の危機がある中で、ずっと危機にさらされすぎるとダメになってしまうという可能性も否定できません

本来は実存の危機があり、一度乗り越えてPTGPost-Traumatic Growth)を得ていくはずですから。

竹本:

「実存の危機」と「実存の充足」はセットだよねという話を弊社でもしています。実存の危機は自我を形成するために大事だと思うのですが、そこから逃げてしまうのはもちろんダメなのですが、「自分ってこうかな」と思った瞬間に周囲からそれを承認されるということも大切だと思います。

私の経験からすると誰かに強く承認してもらったとき、例えば意見の対立で孤立してどうしようもないときに、「あなたのそのスタンスを支持するよ」と言われて迷いながらではありますが自分のスタンスを貫こうと強く覚悟できた時がありました。

同時に、嫌われているのは悲しいが、意見対立があっても、それは自分がわかってもらう努力をもっとする必要があるんだなという冷静な分析にもつながりましたね。

川野先生:

それは実存の危機と実存の充足が同時に起きた体験ですよね。

竹本:

そうですね。そういう意味で行くと実存の充足がなく、常に実存の危機にさらされると孤立感もあるだろうしダメになってしまうというのは経験からも納得しやすいです。

川野先生:

何よりもそうした状態では人間不信になりますよね。実はそのような状態から抜け出すことができず、長年社会との関係を断絶したまま、引きこもって生活をしている方がたくさんおられます。そういう方の診断として多いのは、自己愛性パーソナリティー障害というものです

人から否定されたり、卑下されたりすることを過剰に恐れるあまり、誰のことも信じない、誰にも希望を抱いていないという状態になってしまった人たちです。ナルシステイックパーソナリティという言い方もあります。実存の危機にさらされていない時には、非常に自己顕示的なふるまいをしたりします。そしていざ実存を問われる危機に直面せざるを得なくなり、そこにさらされ続けると、活力が奪われて、最終的に気分変調症(ディスサイミア)と診断される状態になる。 

気分変調症というのは、軽度の鬱状態がずっと続く状態のことです。こうした方たちは、重い鬱状態が一時的に発生する「うつ病」とは異なり、長期慢性的に集中困難や意欲低下といった症状が続くわけです。薬物療法への反応性も概して良くないという特徴があります。社会集団の中で暮らしたり、仕事に就くことができる場合もありますが、もともと持っていたはずの能力のほんの一部しか発揮できない状態ですから、生産性が一向に上がりません。結果として勤続すること自体が難しくなり、引きこもりになってしまうことが少なくないのです

本人はもちろん一定の精神的なつらさを感じているというのは大前提なのですが、周囲から見ればさしたる病気ではないように思われがちです。「頑張れば仕事ができるでしょう」という意見と「本人が感じる精神的な負担は周囲にはわからない」という意見の間で線引きが非常に難しい問題ですね。

竹本:

そういう軽鬱の方々が変わるきっかけなどはあるのでしょうか?

川野先生:

人を助けるという経験で使命感などがよみがえり、回復していく方がおられます。これが人が人を助けるというメカニズムなんですよね。共助・互助の精神性です。

実はラットに安定剤を投与して不安やストレスを取り去ると仲間を助けなくなるということが分かっています。医療の現場では、不安症状や不眠などに安定剤を処方することもあるのですが、それは逆に自己改革の機会を逃している可能性があることを私は危惧しています。私も状態によってはこうした薬を処方することがありますが、それ以外の対応策がないかを常に熟慮することを心掛けています。

そういう方々は、もともとはある程度の実存充足はしてきているのだと思います。例えば幼いころに褒められるとかですね。それが崩れるのが一般的には社会人になったタイミングです。当たり前に承認されてきた自分というものが怒られたり否定されたりすることで肯定しづらい経験をする。そこで「パワハラだ!」と本人はなってしまうのです。

自分で選択するという機会を与えられてきた人は、パワハラと感じても、文句は言いつつ自分でもっといい環境を探そうというスタンスになり、なんとかやっていけることが多いです。そうではなく、自分で選択するという経験や感覚を知らないという方の場合、本人の考え自体が、相手の行動に軸足があることが多く、「あの人のここが嫌だ、あそこが許せない」という感じで多分に主観的な話になってきてしまいます。

そうなるともはや、話を聞いていてもパワハラなのかどうかもよくわからない状態になってしまいます。自分の見方を変えることでよくなる可能性を探ることが大切であると考えています

竹本:

そのお話を聞くと実存の危機になったときに実存の充足はセットで必要ですが、その充足のためには、人からの承認もあるけども、ある程度自分でも踏ん張る必要があるということですよね。

川野先生:

そうですね。現在は健全な自我形成で悩んでいる若い人たちが多いということなのかと思います。この傾向はバブル崩壊以降なので若いといっても40代になっている方もいらっしゃると思います。幅広い世代でそういう傾向が出てきているということでしょう。解決のアプローチの一つはやはり教育の在り方だと思います。

竹本:

心幹を鍛えるということですね。

川野先生:

JoyBizさんがやっているアクティビティラーニングや体感的なプログラムは非常に効果は高いと思いますが??

竹本:

そうですね。おかげさまでご好評をいただいております。メルマガで発信しているのですが、実際にお会いしてお話を聞くと「実は興味持ってました」というお客様も結構多いですね。

川野先生:

その中で自分の感覚に気づけるということが大切ですよね。これまでは、その気づきを得るために強い刺激(例えば相手を意図的に否定し、自分と向き合うように誘導する手法など)を活用するというアプローチもあるようですが、私はこうした手法に安易に頼ることには慎重であるべきだと思います。本来はもっと自分の微細な感覚に気づくことが大切なんだと思います。走って走ってしんどい思いをしても「なにくそ」と根性論で頑張らせるのではなく、踏み出す足の一歩に集中をする。そこで気づくことを大切にする、というアプローチは、ご本人の心の糧となってゆくのではないかと考えています

「こころ」の問題と現在の社会・組織

川野先生:

先ほどは実際に医療機関にかかる必要のある軽鬱の方のお話をしましたが、企業の中でも日々の仕事の活力が上がらない予備軍の方々もたくさんいらっしゃると思います。そこでJoyBizさんが提唱されている「モメンタム」の考え方も非常に大切になってくると思います。

実は内面的には自己愛傾向の強い人でも組織の中では上に上がることも多いと思います。なぜならばインテリジェンスカバーというのが何でも働くからですね。要はある程度の知的なレベルがあれば表面的には問題のない行動がとれるため周囲がそれに気づかないのです。

しかしそうした方が要職を占める割合が増えてしまうと組織の健康度は低下せざるを得ないと思います。あえて厳しい言い方をすれば自分のことで精いっぱいな状態の人が人を率いることは困難だからです

そういう方が上にいて、自己中心的な態度が当たり前になってくるとみんなズルするようになってきます。あえて悪い言葉を使えば、「上にはこびへつらい、下にはパワハラ」これが横行する組織風土になってしまうのではないかと思います。

そしてそれは世代を超えて伝達されてゆきます。そうなればもう自分たちでは気づくことはできず、第3者(弁護士・監査法人・コンサルタント)が入ったときに「何だこれ」みたいになってしまうのです。

この状態は、上の人が下の人を見る目もアウェアネス(気づきの能力)が下がっているということですね。部下のズルを見極められないのです。

竹本:

そうした組織になってしまうと、「自分の軸や座右の銘をもって行動をしている人」よりも「自分の言うこと聞くイエスマン」がかわいいとなりますもんね。

川野先生:

自分を振り返らずに目先の利益に飛びつく人たちが増えているということでもあると思います。残念ながら今の時代は、それが大多数をなすようになってきてしまっている可能性もありますね。そういった方々と同じスタンスで戦わないと太刀打ちできなくなってしまうのも悲しいところです。一部の良識のある人の意見が駆逐されるような時代になってしまうと悲しいなと感じています。そうならないようにしたいものですが。

竹本:

私もそう思います。座右の銘や信念をもち頑張っている方の役に立てるよう尽力したいものです。