人生目標を自覚する 後編

この記事は二部構成です。前編をお読みになりたい方は

人生目標を自覚する 前編

をご覧ください。

 

1 川野先生の最近の著書「人生がうまくいく人の自己肯定感」にてこれまでのインタビューでお話をいただいている内容も含めてより広く深く解説いただいています。(本書の中でJoyBizもモメンタム開発の実践企業としてご紹介をいただきました!)また禅や瞑想を日常の中により取り入れやすくしていくポイントを紹介している「ずぼら瞑想」も実践書としてご活用いただきやすい内容です。ご関心があればぜひそちらもご覧ください!

2 インタビュー中のモメンタムについてはJoyBizメルマガや代表恩田のブログでこれまでも何度も触れてきましたが、上記「人生がうまくいく人の自己肯定感」の中で川野先生にもご紹介いただきましたのでよろしければそちらもご参照ください。

 

自由な発想はみえづらい? 脳の検閲機能

竹本:

先日私自身も人から指摘を受けましたが、物事を整理して結論付けていく力はあると思うが、一見関係のない物事をつなげて新しいものを生み出していくという頭の働かせ方は弱いと思う、といわれました。蓋をしているという感覚はないのですが、それでも発想は出てきづらくなっているということなのかもしれませんね笑

川野先生:

私たちの頭は非常に面白い作りになっています。脳は多層構造になっていて、その層を超える際にいくつか検閲機構があるとされています。要は発想が検閲されているのです。検閲とは大脳皮質の力で生じます。大脳の深い部分で生まれる本能的な欲望など、いわゆる大脳辺縁系の部分で出てきた本能的な欲求、夢、渇望みたいなものが大脳皮質に挙がっていく過程で意識化に上らないように検閲されているということです。したがって脳のより深い部分で感じた本質的な(本能的な)中身を「いやいやそんなことできないでしょ」といって無意識に捨て去られてしまうということが日常的に起こっています。これがいわゆる「メンタルブロック」といわれるものです。そして大脳皮質の検閲をいったん解いてあげて、原始的な欲求に気づいていくのがマインドフルネスなのです。その後その欲求をどうコントロールしていくかも難しいのですが、そもそも欲求に気づけなければコントロールもできません。だからこそその欲求に対する「気づき」と良いことであれ悪いことであれ受け入れる「受容」が大切なのです。この気づきの部分が現代の、特に若い人には必要なのではないでしょうか。かく言う私自身は、アイディアや発想を抑え込まないようにさせてもらってきたなと感じます。亡くなった先代住職(父)からの教えも「自由に生きたほうが良い」という教えでした。それが検閲を少し緩めてくれたのではないかと考えています。

ちなみに検閲と欲求の関係で、分かりやすい最たるものとして寝ているときに見る夢があります。ある意味違った検閲が働くといえます。それはまるで、現実の葛藤や本来やりたいこと、渦巻いている情動などを、形をかえて表現することによって刺激を緩和して本人に気づかせる働きをしているようです。例えば仏教の世界に入ってくる人にも多いのですが、死の恐怖を持っている人は、夢では違った形で表現された死の恐怖を見ることが多いんです。カエルやミミズの死骸が夢に出てくるなどですね。そのようにして違う形で表現しないと睡眠が維持できないからです。直接的だと怖すぎて途中で起きてしまうんですね。そのため別のものが出てくることに変えたり、象徴的なことに変えたりして緩和しているんです。夢はショックアブゾーバーの役割をとっていると言えます。それゆえに夢分析が成立するわけです。分析家からみるとその人の奥底のものが見えるんですね。やりたいけど現実はできないという葛藤です。葛藤こそが人間のこころの苦しみの正体です。何層にも検閲されたそのごく一部分だけが意識として認知されているということが言えると思います。

検閲と欲求の関係を理解するもう一つの例として、トラウマが挙げられます。トラウマを抱えた人はなぜ引き金となった出来事を忘れるのでしょうか。それが記憶として日常的に出てくると恐怖が強すぎるためです。精神の安定が保てなくなるんですね。だからそのシーンを覚えておらず、意識下に封じ込めようとしている。ところが脳はそんなに器用ではありません。トラウマの引き金となった出来事以外のほかの記憶もあいまいにしてしまうのです。これによりなんとなくすべて現実感がなくなってきてしまいます。ここまでくると離人症という症状といえます。もう少し深刻なケースでは、自分自身の人格を忘れてしまうこともあります。これは解離性障害といいますね。あまりにもたくさんの情報に触れすぎて本来見るべきことに目を向けることができず、現実感がなくなっていく現代人の姿と似ているともいえるかもしれません。

竹本:

実際今のビジネスパーソンにはどこで働くか、どのように働くか、何をするのか、など選択肢が多すぎるような気もします。そのため一つのことに集中できない。前回のインタビューで教えていただいた四料揀(しりょうけん)の話でもありましたが、今いる環境に集中できないということも多いのではないのかなと。

大切なのは自分の気持ちに声を傾け、自分が今いる環境を好きになること

川野先生:

あとすべて見ないと気が済まない、という強迫傾向も強くなっている気がします。特に高学歴者の方に多いという気がしますね。例えば教科書1000ページあったら1000ページ見ないと気が済まない。要点だけを学習するということができない。ただ人生は教科書ではありませんので正解はありませんし、「これで全て」というラインもありません。そうした中で、強迫傾向を持つ方は、「こうしているうちに世の中のチャンスを逃しているのではないか?」「こうしているうちに他の人は自分より豊かな人生を送っているのではないか?」という気持ちが付きまとってしまうのです。これを不全感といいます。何かが足りない、という気持ちのことです。不全感が常に付きまとってしまうんですね。私は満たされていない、何かが足りないという気持ちです。何が足りないというのは客観的に見ればその実体はないのですが、本人の主観の上でただ足りないという不全感だけがあります。これは実は不安障害といわれる一群の疾患につながってゆく可能性があります。なかでも最も本人の苦痛が大きいとされるのが全般性不安障害です。特定のもの(ゴキブリなど)が苦手な、いわゆる「恐怖症」というのも一種の不安障害ですが、一般の人にもイメージしやすい疾患だと思います。その治療は比較的シンプルで、特定に対する不安が症状の原因だから特定の対象を取り除けばいいのです。しかし全般性不安障害は何が不安かわからないが、とにかくいつでも、なにかしら不安という状態なんです。こういう方は結構おられるのですがアプローチも容易ではありません。

竹本:

これまでの仕事の中で部下や後輩など仕事をやめたいという人とたくさん話してきましたが、明確な意思を持ってやめていく人もいる一方で、最終最後まで話したのに、なんでやめたいのかよくわからない人って結構いると感じます。お話を聞いていてこれらも不全感なのかと思いました。いわゆる隣の芝生は青く見えるとい心理状態で、(まだ見たことないけど)もっといいところがほかにはあるはずだと感じている感覚なのかなと思います。

川野先生:

ある大手企業の経営者の方が、仕事で成功する条件は、その仕事を好きになることだと言っていた記憶があります。当たり前のことのように聞こえますが、大切なのは「好きな仕事を見つけること」とは言っていないんですね。今の目の前の仕事を好きになろうということが大切なんだと思います。こういった考えは時代遅れになっているのかもしれませんが、禅の世界はまさしくそういう考えを大切にします。修行の中で一つ一つの行為が好きになっていく、というと何かきれいごとのように思えますが、その行為ひとつに全身全霊で集中せざるを得ない状況で暮らし続けることで、好きも嫌いも超越して、ただその行為に没入している状態を体験するんですね。そういう暮らしを続けてゆくことで、仕事の一つ一つがお手のものといった具合に、得意な作業になってゆくわけです。私などは3年程度しか修行道場におりませんでしたからそのレベルには到達できなかったと思いますが、中には5年、10年と修行を続けていた人もいて、そういう人たちは決まって「僧堂暮らしが一番楽だよ」と言っていたのが印象的でした。好きなことを仕事にするのではなく、目の前のことを好きになろうとすること、どうすれば好きになれるのかと考えること、こうしたポジティビティが非常に大切な気がします。専門的な言い方をすれば、認知の修正作業ということになります。例えば嫌いな人をどうやったら好きになれるかを考えることもそうです。最終的な結果嫌いなままだったとしても、考えることに意味があるのです。

 

<編集後記>

今回は人生目標という少し重たいテーマを真正面から語っていただきました。ビジネスリーダーの要件として、自己と他者の関係性をよくすると同時に、クリアな目的を持つ思想性を醸成することが必要だと考えています。「深く」自己と向き合うこと、それが思想性や関係性につながる大切な習慣であることは間違いないと思います。人生目標というテーマで興味深いお話をたくさんいただきました川野先生、誠にありがとうございました。