組織・集団の中で生きる禅の思想(後編)

現代における「四料揀(しりょうけん)」の考え方

川野先生:

「四料揀(しりょうけん)」は非常に重要だと感じます。もちろん「四料揀(しりょうけん)」という言葉を使わないとしても組織のあり方としてこの4つの段階は非常に重要な意味を持つと感じます。

現代の社会では二段階目(不奪人奪境)が強調されすぎてしまっていると感じます。「奪境不奪人」つまり自分の個性は何か、自分の働き方は何か、あたかも全てが自分、自己主張のようにも見えます。就職活動も求職者側が選ぶようになってきていますね。一昔前の高度経済成長期は反対に「奪人不奪境」であったと思います。個人を捨ててとにかく組織や会社など自分より大きなもののために努力していました。これは自己愛のあり方で言えば個人レベルを超えたところで育まれるトランスパーソナルな自己愛です。周囲だけではなく、目に見えない大きな存在に対して頑張るという心の充足の仕方をしていました。それが今ではどんどん自己とそのごく近い周囲に執着するパーソナルな自己愛が強くなっています。間違えないようにしていただきたいのは、だからといって組織や会社のために頑張るという姿勢に徹するということの方が大事だ、と言い切っているわけではありません。大切なのは、「四料揀(しりょうけん)」の考え方で言うところの、第一段階(奪人不奪境)に戻ることは、第三段階(人境倶奪)でも第四段階(人境倶不奪)の人でもできるということなのです。

竹本:
「四料揀(しりょうけん)」の考え方は成長のステップのようなイメージでとらえるべきでしょうか?

川野先生:
もちろんこの進み方が理想だと思います。ただ第一段階を飛び越して第二段階に入る現代社会では、第一段階に戻ることは強要に見える場面も出てきます。つまり、自己の個性をアピールして認めてもらおうとしている若い社員に対して、「自分の考えなど捨てて、上の指示に従え」と言っているような対応ですから、いわゆるパワハラになってしまうんですね。したがってまず第三段階まで進んでみて、進んだ結果第一段階の重要性を認識できるようになるステップが良いと個人的には思います。そういう人も実は多いです。フローの状態で働けるようになって、物事を分別するということからだんだん解放されてきます。良し悪しではなくとにかくやってみるということが大切なんだ、と気づけた時に、一旦組織のやり方に適合させて一度歯車になって頑張ってみるという感覚に心地よさを感じる人も多いです。第二段階から第三段階に行った際に第一段階の良さを感じられるようになり、組織人や組織のあり方に対してオープンな心で接することができるようになります。

最終的に「第二段階→第三段階→第一段階→第四段階」という形で進んでいくことができるのではないかと、私は考えています。現代のビジネスパーソンに対しては、最初から組織に染まりきって働くことは難しいとしても、このステップならば受け入れやすいのではないかと思うのです。自分の上司にいかにも媚びへつらっているように見える人でも、彼には彼の生き方もあるのだと理解できるようになり、自分とは異なることを理解して認められるような心のあり方を持つことができます。ああいうやつと付き合わないと思っていたのが姿勢が変わってきます。面白い話です。

竹本:
この考え方は組織行動論や西田幾多郎などに代表される東洋哲学(無の思想)にも近しいものを感じますね。

私は、特に新入社員だった頃ですが、まず新しいことを始めるには「How to Live」が大切だということを教えられました。まずは周囲に受け入れられる努力をしなさい、という意味です。それができて「How to lern(学び方を学ぶ)、How to work(仕事の仕方を学ぶ)、How to Influence(人への影響の仕方を学ぶ)という学習の段階があり、しっかりと順を追いなさい、と教えられたものでした。
「四料揀(しりょうけん)」の考え方は非常に近しいものがあると感じました。

川野先生:
その教わった考え方は非常にいいですね。大切なのは、己を滅する段階が必ずどこかにあるということだと思います。しかし実際には、いきなり「how to influence」という方が非常に多いのではないかと思います。己を滅するという過程から逃げている方は、結果として他人に影響することはどうしてもできないのではないかと考えます。西田哲学について言えば、とても大切なことを言ってくれています。禅の本質でもあるのですが、物事の本質は「関係性」の中にしか存在しないということなのです。自分一人で生きているのではなく、自分と世界があって初めて関係性が生まれます。そしてその関係性の中にしか物事の本質は存在しません。仏教の根底にある考え方も全てそうです。人は関係性の中に本質があると言えます。だから「人間(人の間)」なのです。ホモサピエンスとは少し違う意味合いがありますね。社会性の中で生きるからこそ人間なのです。

もっとわかりやすく言えば、ある社会集団の中では自分はヒーローなのです。そして別の集団の中では落ちこぼれなのです。ここで関係性という本質に対する理解が足りないと、自分の所属先がある集団から別の集団に移った時に、潰れてしまいます。学生から社会人、小学校から進学校へ、部署異動なども日常的に起こることだと言えます。プログラミングなどの集中タスク型の仕事に従事した時はうまくいっていたのに、人事部に行った瞬間に毎日職場環境のストレスを抱えた従業員と面談して、頭が混乱してしまうということもあります。関係性の中に自分がいるということを理解できると、例えば「あの人のこう言った部分が苦手なのだな」という自覚ができるようになります。気づけなければ苦しいだけです。しかし気づければ緩和されます。そして気づくことができれば新しい行動にも移すこともできます。

竹本:
そう考えると「四料揀(しりょうけん)」は「物事の本質は関係性の中にある」ということが大前提としてあって、その中に生きる者としての行動指針になっていますね。

川野先生:
そうです。いわゆる組織や集団活動のメタ認知(客観的な視点で、俯瞰する見方)になっているわけです。そのように見えていないと自分が今どの段階にあるのかがわかりません。いわば「四料揀(しりょうけん)」を使って内省をできるわけです。
ある社会集団に入る前にこうしたことを知っておくということは、そこに大きな意義があります。自身の言葉や考えを駆使して状態に対する言葉の定義をできる、この状態は非常に大切です。俯瞰できる状態、これはこうだと言える状態にある人は、安心感を持ちます。医者もそうです。これは自律神経失調症ですねと言えれば安心もできるし、手立ても生まれます。それが単に、「原因不明の症状」のままでは、医者自身も不安なのです。本人も医者もどうしたらいいのかが全くわからない。

チームが成長していく過程

竹本:
「四料揀(しりょうけん)」の考え方は集団と自分のあり方を教えてくれると思いますが、もう一つ組織行動を見る考え方に「無関心→競争→葛藤→協働」というチームの成長概念があります(詳細は「健全なチームは仲良し型?いがみ合い型?」参照)。

川野先生:
それも面白い考え方ですね。少し別の話ですが、死の受容過程という考え方があります。エリザベス・キューブラー・ロスという精神科医が提唱した考え方ですが、そうしたチームの成長概念のあり方と近いと思います。
(注釈)
死の受容過程の理論では、死を受け入れる前には次の段階があるとされる。「否認・孤立」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の五段階。)

否認や孤立は「無関心」に近いですね。つまり今目の前で起きていることをなかったことにする心の状態です。そして怒りが湧いてきて本気で立ち向かおうとする(せざるをえない)ので「競争」つまり死との戦いが生まれてきます。そしてこうすればもしかしたら助かるのでは、という取引が生まれますが、これは「葛藤」だといえるでしょう。最終的にはそれをやってもダメだ、ということで抑うつになりますが、しかしそこから立ち直る人間の強さが現れてきます。それが受容だといえるでしょう。たち向かいようがない困難に陥った時に人間の心理はこの流れを辿るということ示した理論で、これは「死」という非常に重いテーマの話ではありますが、チームの成長過程での「協働」も受容がないと生まれないのではないかと思います。他者との違いや葛藤を受容すること。そういった際にこの5段階を経るものとも言えると感じました。

竹本:
確かにこうしたチームを活性化させようと思って働きかけると様々な人間模様や越えようがないと思うような葛藤も生まれますね。その際にこうした心理過程を経ていくというのを知っておくのは大切だと思います。

川野先生:
「四料揀(しりょうけん)」の考え方を実践するにも必ず自分と環境の中でせめぎ合いや葛藤が起こります。葛藤を目の前にして、何かから学び、それを乗り越えていくために必要な考え方だと思います。これを知って自分のあり方を理解できる人は真の強さを持っていくということなのではないでしょうか。

組織のアイデンティティと「四料揀(しりょうけん)」

竹本:
最後にどうしても聞きたいことがあります。最近組織や集団の活力を作る(取り戻す)ためには、その組織らしさ(組織アイデンティティ)を自覚することが大切だと感じています。「四料揀(しりょうけん)」のお話は、集団と自己のあり方という意味で非常に示唆に富んでいると思うのですが、こうした組織や集団のあり方が望ましい、こういう「らしさ」を目指すべきだ、というようなサジェスションはあるものでしょうか?(あえて極端な話を持ち出して恐縮ですが、例えば、フロー状態となっても、みんなで赤信号を渡るような組織は当然目指すべき組織とは言えないですよね?)

川野先生:
「四料揀(しりょうけん)」が直接的に、組織のアイデンティティに相当する概念に触れているようには、一見思えません。ただよく考えてみると、あらゆる世界の人や組織はお互いを支えあって生きて行くためには、お互いの本分をわきまえていないとダメだということはいえるでしょう。禅の中では「自己の本分」という言葉があります。つまり竹本さんがおっしゃるような自分の組織の有り様(らしさ)というお話も、自分と組織を一体としてみれるようになった時には、自分自身のらしさに対する気づき(アウェアネス)が自分が属する組織の気づきそのものとして捉えられる段階があるのではないかという気がします。

それはつまり、自他境界が不明瞭になっているあの段階(第三段階)です。自分と組織との違いがわからないくらい没頭している時には、そういう状態なのではないかと思いますね。自己の本分、ある意味自分らしさを知るという過程ですでに関係性の中にいます。そしてそれが組織や集団と一体となって現れてくるということも言えるのではないでしょうか。

つまり会社(組織・集団)はこういう仕事をこういう風に一生懸命やれるよ、と個人に場を与えられているような状態でしょうか。もっと言えばそうした心的にも魅力を感じられるような方針を上に立つ人間が提示できると、それぞれが同じ仕事であったり同じ方針に基づいてやりがいを感じて働いていけるようになります。そしてその組織では一人一人が「人境倶不奪」の状態となり、みんなの意識が統一される気がしますね。これはその組織らしさとも言えるのではないでしょうか。

逆に考えると、その状態に対してああでもない、こうでもないという自己を捨てられずにずっと第二段階に固執している人が何人か混ざっていると、組織のあり方に疑問を感じて、他の人も忘我の段階に至れなくなってしまう。一生懸命やっていた人にとっては頑張っても馬鹿らしいなというマイナスの気づきを与えてしまいます。常に疑念を持って働く会社になってしまいそうですね。

竹本:
なるほど。そのように考えると組織や集団の中で第三段階の気づきを得ていく過程そのものが、アイデンティティを作っていくとも言えますね。

川野先生:
そうですね。私としては、その過程に「Joy」がある気がします。例えばリーダーや組織を牽引していく人、先頭切ってやっていく人。それは経営陣かもしれないし部署のトップかもしれないし、若手のエースでもいいと思いますが、こうした方々がやりがいを持って生き生きと働いているということは、みんなが熱中していける組織にとって非常にいい影響を与えていると思います。そうした企業は健康度も高いし、適応障害になる比率も低いと思います。JoyBizさんもそうしたスタンスが根底にあって、そうした社名になったのだと思いますけれども。

そうした状態が生み出されることが組織の成長という話だと実感します。
そういった組織になっていれば先ほどの赤信号をみんなで渡るような「悪の組織」が仮にあったとして、必ずそこに浄化作用が生まれるはずですね。自己の本分を自覚する過程では、ずっと悪のままであり続けることはできないのではないかと思います。

竹本:
いつもながらですが、大変興味深いお話を教えていただきましてありがとうございました。

<編集後記>
最近では働き方改革として個人の価値観やワークスタイルを尊重する動きが活発になってきて、個人が以前にも増して活躍できる時代になってきているように思います。今回の川野先生のお話は、そうした時代にあってとても大切な考え方だと感じました。JoyBizでは活躍する個人と活性化する組織の双方を実現することをミッションにしています。自分も他者も認められる組織のあり方、そこに向けたステップなど、Joyなあり方に多くの示唆をいただきました川野先生、誠にありがとうございました。

※川野先生の著作の一部をご紹介しています。詳しくお知りになりたい方は是非ご覧下さい。