問題解決のジレンマ ~問題は解決しようとすればするほど遠ざかる~

経営者や経営企画の方が抱える会社に対する悩みの中で常に上位のものが「社員の主体性」です。皆さんの中にも「うちの社員には主体性がなくてなかなか組織が動かない」「うちの社員は受身で・・・」という声を聞いたことがあるかもしれませんし、皆さん自身もそのように思っていらっしゃるかもしれません。そしてその状況を打開しようといろいろな解決策を考えて実行するのですが、多くの場合ではなかなかうまくいっていないようです。今回はそこに潜む問題解決のジレンマについて考察したいと思います。

これまでの問題解決 ~本当に社員の主体性がないのか?~

冒頭でお話ししましたが、社員の主体性は、経営者や経営企画部門が抱える悩みの上位になっています。現在のビジネスの環境下ではこれまでとやり方をかえて新しいことに常に取り組んで成果をだしていく必要があるということは皆さん感じているところだと思います。特にそれを痛感している経営トップや経営サイドの目から見ると、新たな方針を出したのに、期待通りにやり方を変えてくれず従来のやり方にこだわる(やり方を変えられない)社員を見るとついつい「主体性がなく指示待ちだ!!」と結論付けてしまう心情はある程度理解できるものでもあります。

しかしその問題の定義の仕方を前提にして解決策を立案すればどうなるでしょうか?必然的に「主体性のない社員」をどうにかして「変える(変えてやろう)」という色が強い問題解決策に帰結するのではないでしょうか。いろいろな解決策が繰り出されると思います。例えば、仕事の在り方やルールそのものを変えてみよう、組織図を変えて壁をぶち壊そう、評価を変えて行動インセンティブを変えよう、社員の意識改革研修をやろう、などなどです。その根底には、「主体性のない社員を変えてやろう」という大前提のもとに解決策が立案されてしまっています。そしてその時点ですでに問題解決のジレンマの入り口に立っているといえます。そのまま進めると、「(主体性のない)社員」にとっては解決策の意図への理解が不十分で、経営側が期待した行動変容がおきているのか、あるいはそうでないのかもよくわからず、「また新しいことをやるのですか?」「なんでこんなことやるのですか?」という不満が生じます。結果いわれたことは怒られない程度にはやるが、基本的にはこれまでのやり方をそのまま踏襲しよう、という状況に陥って、ますます社員の主体性は醸成されず望む成果からは遠ざかってしまうのです。

問題解決のジレンマ

何かを成し遂げようとしたときに現状の組織に対する課題が必ず出てきます。むしろその課題をあぶりだし整理することが課題解決だと教わってきました。そしてその解決のために、先で見たようにあらゆる分析と考察がなされ次々と問題解決策が生み出されます。しかしそれを実行しようとすればするほど、もともと狙っていた成果が得られないこれが問題解決のジレンマなのです。

<問題解決のジレンマが起こる要因分析>

①問題点を前提にしているため無意識的に「犯人」を想定している
→この場合は社員の主体性が「ない」というマイナス要因を想起していて、その責任を社員と断定している。

②犯人にされている「被告側」では別の問題点も見えており心理的な抵抗が生まれる
→「被告」である社員としては、多くの場合は以前に方針として出された仕事や現場で痛感している改善点に一生懸命取り組んでおり、「被告」にされる覚えがない。

③原告と被告の間で見えている現実が異なる中で実践がなされるため、必ずどちらかにやらされ感が生まれる→原告である経営サイド(企画サイド)と被告である現場(実行サイド)では直面している現実が異なるがゆえに、実行の必然性の論理が違う。それでも無理やり「やらされる」状況が生まれる。

④やらされ感は実践のモチベーションをさげ、成果創出を困難にする(よくて面従腹背、悪いとクーデター)
→やりたくもないのに怒られるから嫌々やる状態が続くといわゆる面従腹背となるケースが多い。悪くすると解決策を壊すためのクーデター的な動きが起こることもある。どちらも主体性からはほど遠い状態といえる。

⑤この状態をみて原告は新たな課題形成を行い、ますます被告を変えようと施策を講じるようになる
→そして①に戻ります。

問題解決のジレンマを断ち切る

上記を見るとわかるように問題解決のジレンマを断ち切るにはそもそもの問題の定義の仕方が誤っている可能性に目を向けるべきです。「犯人捜し」は口ではよくないとみな思いつつも無意識的に「犯人捜し」になってしまっているのです。

ではどうするか?これは問題の定義の仕方から変えてみることが重要となります。
問題を形成した際に経営サイド・企画サイドで見えていたのは「社員が従来のやり方に固執し、やり方を変えない」という現実です。しかし先に見たように現場・実行サイドでは現場の論理に従って主体的に目の前の改善に取り組んでいます。つまり「今必要なこの改善策の実行を邪魔する指示がよく飛んでくる」というのが現場から見える現実なのです。

直面している現実とそれをどのように解釈するのか、という「認知システム」がそれぞれ違うため見える現実も違ってくるのです。しかし見えている現実が違えば到達する結論も違います。

問題解決のジレンマを断ち切るにはどうするか?それは、見えている現実の違いに気づき、そのそれぞれの現実が生み出される「認知システム」に気づき、そしてそれらを認め、新しい「認知システム」を再構築すること。これが最大の問題解決方法となります。

その過程では、相互の現実が認められず、お互いを「甘えている」と断罪しあう場面もあるかもしれませんが、それを乗り越えるために自分たち自身で共有できる新たな目標や道筋を確立し、その実現にむけて何ができるかを自分たちで考えるプロセスを作っていくことに他ならないのです。

もう想像がつくかもれしれませんが、結果として自分たち自身で考え抜いて壁を越えていく力を組織として身につけることになります。そしてその姿は、主体性あふれる組織へと変貌を遂げるのです。

本当の問題は何か? ~本当は社員に主体性はあるのでは?~

自社の本当の問題は何でしょうか?もうお分かりのように本当の問題は、「社員の主体性がない」ように見える、という現実以外の「別の現実」である可能性が常にあります。

従来のやり方を変えない姿をみて社員の主体性がない、だからますます変えようと新しい施策を繰り出す。しかし主体的に変えようとしているがこれまでの施策が山積みとなり十分に新しいことをできる環境にないかもしれない。経営陣が判断ミスした事柄のしりぬぐいをしているのかもしれない。

社員自身は少なくとも手を抜いている自覚はなく、目の前のことを一生懸命やっているケースのほうが圧倒的に多いものです。だとするとどのような問題の定義が必要なのでしょうか?皆さんの現実は何で、施策にかかわる人の現実は何でしょうか?このあたりから問題解決策を再考してみることが昨今ではますます重要になっているのではないでしょうか?