• コギャル特集⑩:厚労省23人大宴会「事件」を認知相違を切り口に考察してみる(メルマガバックナンバー)

コギャル特集⑩:厚労省23人大宴会「事件」を認知相違を切り口に考察してみる(メルマガバックナンバー)

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さて新年度を迎えて街中に新社会人の姿を見かける時期になってきました。

会社の中でも新入社員教育の真っただ中という会社さんも多いのではないでしょうか。

とはいえこうした中でもコロナの見通しも不透明にてなかなか集合したり歓迎会をしたりなども迷われているケースもお聞きします。

そしてそのような中で厚生労働省の職員が23人で宴会を開いたという驚くニュースも舞い込み、どうしてそのような判断に至ったのか国民としては本当に困惑する部分ではあります。

 

さて最近様々なメディアに目を通しますとこのニュースを取り巻く言論を見る中で大きな認知相違が存在するなと思いましたので、今週はそのことを書きたいと思います。

 

23人大宴会「事件」は国民に自粛を強いる中、それもコロナ対応の中核を担う省庁でニュースとしてインパクトがありました。

これ自体は、言語道断で批判にさらされても仕方がないと思います。

しかし、一方で私はこういう可能性も感じました。

「コロナ対応などの業務で想像を超える相当な業務的・心理的ストレスがかかった結果なのではないか?」

 

この問題に触れる評論家の中でも、職員の中には家に帰れない事態が常態化しているものもいる、など苛烈な労働環境に触れているものもあり同情的な言論をする方もいらっしゃいますので、上記はまるで私一人の妄言というわけでもないようです。

ちなみに同時期に触れられたニュースでは霞が関の国家公務員の残業実態を紹介するものもあり、それによると過労死ラインを越えているものは6000人以上いたとのことです。そしてその中でも最多なのが厚労省というわけです。

 

さらに妄想を進めますが、職場の中にもこうした異常ストレスに対する自己同情的な機運が満ちていた可能性もあります。

再度言いますが、23人大宴会「事件」を擁護するつもりは全くありませんが、国民が感じるであろう怒り(認知)と自分たちがやっていることの認知が調整できないほどずれていたのではないかと感じます。

そしてさらに問題だと感じたのは、本来は国家的な危機状態で国家公務員に負荷がかかるのは仕方がないとしても、

そうした状態になったとしても健全な危機意識から「しんどいけれども頑張ろう」という風にはなっていないように(上記からは)見えることです。

 

ここでさらに別のニュースですが、厚労省のパワハラ防止の仕事にあたっていた担当がパワハラを起こしたことも記事になっています。

また別件で厚労省が外注していた業者が過労死するなど(真偽はわかりませんが)外注先へのパワハラではないかと疑われる事案も出てきています。

次々と出てくるのです。

ここでもう一つ妄想を進めますと、国家的危機に対応するその対応のパラダイムが、「パワハラ」的なものだったのかとも疑いたくなります。

そうしたパラダイムが蔓延すれば(どう蔓延していくかはマウンティングや自己保身などさまざまありますが、より専門的には組織内政治や権力問題が絡んでいます。代表恩田の最新ブログ『認知相違を苛烈化して調整を困難ならしめる権力や政治といった第三の世界を考える』: https://www.joy-biz.com/ceo-blog/2369/をご参照ください)

「しんどいけど頑張ろうよ」となるどころかモラルは下がります。

下がったモラルは「甘え」を生み、国民から見て明らかにバッシングを受けそうな行為にもアンテナが立たなかったのではないでしょうか。

 

こうしたマネジメントのあり方はより複雑化した認知相違問題(マネジメント観と働いている人の認知が深層レベルで衝突している)として早急に対応していく問題だと思います。先週触れましたが、認知相違調整は情報共有コストの低減を実現してパフォーマンスに結びつくものではありますが、逆にそれが機能不全を起こすと情報共有コストが上がるだけではすみません。個々人のモラル低下やストレス過多、最悪の場合精神的殺人にまで発展する問題です。

 

何度も繰り返しますが、「今から」取り組むことが自社の将来的な生死をわけるような気がしています。

みなさんはどう思われますでしょうか。よろしければご意見をお寄せください。