武器としてのこころリテラシー【13】~こころに関する錯覚を解く(後半)~

さて、前回はこころリテラシーにまつわる錯覚を5つのうち2つご紹介させていただきました。※詳細は下記ブログをご覧ください。

武器としてのこころリテラシー【12】~こころに関する錯覚を解く(前半)~

今回は3つめの錯覚からご紹介させていただきます。

 

◆第三の錯覚: こころをあつかうというのは感情問題をあつかうことでしょ?

第二の錯覚にも関連するのですが、こころの問題=感情の問題だという理解もよく出くわします。たしかに感情の問題は人間にとってのエネルギーのようなものなので、こころにとって大切なものです。

例えば感情を扱う技法として広く普及しているアンガーマネジメントで代表的な手法として「6秒ルール」というのがあります。怒りという感情を感じたときには6秒待つというものです。これなどは感情そのものに目を向けてそれを認識することで感情をコントロールするということを主眼とした手法といえます。これらのように「こころリテラシーとかって言ってるけど要は感情をコントロールする手法のことでしょ?」という反応が多いということですね。

 

しかしこれも錯覚です。より正確に言うと、こころを部分的にとらえているといった方が良いでしょうか。実は上記に挙げたような様々な学術研究が明らかにしてきたことですが、人の行動や感情は、その人の根底にある信念や解釈の枠組みから生み出されるといったことが分かってきました。要はモノの見方によって、同じものをみても考えることや感じ方が変わってくるということですね。

つまりこころの問題を扱おうとした際には、今の感情に気づくだけでは不十分で(というか気づけないほど強く支配される無意識の情動もありますし)、それを生み出している自分自身の信念・解釈の枠組みを調整していくということが重要になります。ここを抜かして感情トレーニング的な側面ばかりに注意を向けるとレジリエンスやモメンタムを高めていくために不十分なことも多々あります。

 

※ちなみに私たちが生きるこの世界を見る方式として「社会構成主義」的に見ることがどんどん一般的になってきました。これは私たちの世界は、現実というものがあって私たちがいるのではなく、私たちが見ている認識の枠組みによって現実が構成されるという考え方で、認識の仕方が違えば現実も異なってくるという考え方です。

さらに進んでいえば私たちは一人一人異なる認識の枠組みを持っているのは当たり前ですが、その違いによって見える現実が異なるために起きてくる問題がどんどん増えているとも言えます。見方によって現実が変わるのならばそれに反応する思考や感情も認識の枠組みに決定づけられるということです。この点からもこころの中核は感情ではなく、認識の仕方の方にあるといえるでしょう。

 

◆錯覚4 :感情に流されてはいけないから、ビジネスでは「感情問題」を排除するかが大切なのだ

これもよく聞く錯覚です。夏目漱石も「情にさおさせば流される」とうまく表現していることからイメージできるように、確かに感情は危険な側面を含みます。強い感情、それを生み出している強い情動は行動に駆り立てるエネルギーのようなものです。一度感情に支配されたらどんどん流されていきます。まるで感情の奴隷のようです。そしてそれは無意識に自分の認識の枠組みにも影響を与えるし、反射的な行動も促してしまいます。

例えば恐怖に支配された思考でことにあたれば、当然逃げ腰になるし、やるべきことから逃避する行動をとるようになります。仕事の場でも、本人はこれではだめだと頭ではわかっていても本能が怖がってタスクを投げ出してしまっているというような状態です。またついつい楽をしたがる感情エネルギーもビジネスにはあまりよろしくないととらえられています。

そのことから「感情」は信頼がおけないからビジネスからは排除して、ロジック「のみ」で事をすすめようという結論を提唱している人たちもいます。例えばなんでもかんでも仕組み化して解釈や感情の入り込む余地をできる限り少なくしていくアプローチなどがそれです。

 

確かに感情は生産性を下げる方向で働くことも多いのですが、その逆もしかりなのです。第一の錯覚でも触れたポジティブ感情が思考力や創造性を高めるということを考えても、感情が入り込む余地をなくすということはもろ刃の剣と言えます。属人的にもともとパワフルで仕事のできる人であれば解釈の多義性がなくなったほうが楽かもしれません。なぜなら感情エネルギーは自分自身でうまく扱えるからです。

しかし私も含めて世の中の多くの人たちはそうではなく関係性の中でエネルギーをもらったり、逆に削られたりしているわけです。そう考えていくと、感情問題を排除するというのは一見合理的にみえてしまうのですが、気づかぬうちに活力が奪われているということが起こりえます。それならば、こころの扱いを知って、ポジティブは最大化、ネガティブは最小化するというアプローチを習得していった方がどう考えても「科学的」だし「合理的」だといえるでしょう。

 

◆錯覚5:自分の心くらい自分でわかってるよ

実はこれがもっとも本質的な錯覚かもしれません。私たちは仕事の中で自己理解(こころの理解)を手助けする場面が多いのですが、そこでよく聞かれるのが「自分のことは自分が一番わかっている」というご意見です。

有名な自己理解のフレームである「ジョハリの窓」という言葉をいまや多くの人は知っていると思います。そこでは「自分が理解している自分」と「他者が理解している自分」は違うということが説かれていますので、一般論としては他者から見えている自分と自分が見ている自分は違うとはわかっているようなのですが、実際は、「結局は自分のことだから自分が一番よくわかっている」という言動が多いように感じます。

 

よくハイパフォーマーの条件として「自分を疑う力」なんてことも言われますが、実践できている人はどれくらいいるのでしょうか?先日のブログでも触れましたが、なぜ実践が難しいかというと自分のことを疑うことは限界があるからです。人には必ず気づきたくない領域があります。見たくない自分は何をしても見たくないのです。そしてみない理由を合理化します。それは「気づきたくない」という感情すら気づかない無意識の状態で自分の目をそこからそむけてしまうわけです。

 

自分のこころを自分で分かるというのは一面では確かにそうです。人からは見えない、人には打ち明けていない自分がいますし。しかしこうした考えを下地にするとこころの問題は、ある程度フレームを理解すればうまくいく、という浅い理解にとどまってしまい、認識の枠組み変容までいかないということがいたるところで起きているように感じます。

そしてこれは実際には他者とのかかわりやサポートが必要なことがあったり、体感的経験が必要なことがあったり、などある程度専門的な取り組み方が必要になってくるのですが、「自分でわかるよ」という錯覚をもってしまうとこころの問題で苦しくなってきたときになすすべがなくなってしまいます。

 

 

さて、いかがでしたでしょうか?あなた自身はどんな錯覚があったでしょうか?本日は「こころの問題」をテーマにしたときに私がよく出くわす世の錯覚を話題にしてそれに対してお答えするという形でブログを書きました。

ちなみにもしそれ以外にもよくわからないことや「こころ」をとりまく持論などをお持ちでしたら、弊社LINEアカウントを追加していただきそこにメッセージを投げていただくとお気軽にご意見をさせていただけるかと思います!

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もし上記の錯覚をお持ちの方がいましたら是非惑わされず、より充実した生き方・仕事と高い成果を両立する可能性を最大化していただいたらと思います。