武器としてのこころリテラシー【12】~こころに関する錯覚を解く(前半)~

みなさん、こんにちは。

ここ最近はこころリテラシーの普及に向けてこのブログ連載もやっておりますし、対面で仕事の打ち合わせの場面などでもよくこころというテーマでお話をさせていただいています。

 

ちなみに私個人のミッションというか目標は社会にこころリテラシーを普及させることですが、その具体的な姿は

 

「毎日日経新聞(ニュースアプリなどでもいいのですが)を読むように自分のこころの状態と向き合う習慣を持つ人が増えること」

 

だと考えています。毎日の知的武装に加えて、情的武装を習慣にするということですね。(日経新聞の購読者が日本の人口の約2.5%だったのを何かで見ましたが、その意味では人口3%にこころリテラシーが普及するということが当面の私の目標ということになりますね。海外はどうするか?普及率はどう測るか?などは検討中です。よいアイディアがあれば是非教えてほしいです笑)

 

最近感じていることですが、仕事で成果を上げていく人は、知的武装力を上げているようにみえて実は自分のこころと向き合い、マインドバイタルを高めながら仕事をやるのが当たり前になっているように感じます。一方であまり成果が上がらない人はマインドやメンタルにあまり目を向けないので、気づかないうちにストレスフルな状況に追い込まれていたり、なんとなくけだるい感じになりやる気が出なかったりという状態になってパフォーマンスも上がらないというように見えるのです。

ただし、仕事ができる人はこれを非常に属人的かつ自覚できないくらい当たり前な感覚でやっていますし、逆にできない人はこころの領域に気づいてもいないし気づいていてもうまく扱うやり方がわからないというのが現状なのかなと。いずれにしても普通に過ごしているとわかる人はわかるけど、分からない人はずっとわからない、というようなエアポケットがあると感じていて、「こころ」に関する知見やノウハウがもっと普及すればより充実した状態で、成果も高めていく人が増えると感じています。

 

それでもここ数年では「こころ」に対する注目は高まってきていますし、これからもますますその流れは加速すると思います。しかし「こころが大事なのはわかるけども・・・・」というやや消極的な反応を示す人もまだまだ多いのが現実です。

ですが、その多くはある種の錯覚(情報不足)からくる反応だとも感じています。

 

そこで今回は日々感じる「こころ」というテーマにまつわる錯覚を取り上げてみたいと思います。知っておかないと損をする、というか非常にもったいないということもありますので是非ご一読ください。

 

※5つの錯覚がありますが、今回はそのうち2つを取り上げます。

~こころリテラシーにまつわる錯覚~

◆第一の錯覚 :生産性やパフォーマンスに直結しないのではないか?

まずこの錯覚が結構あると思います。こころの問題は大事だが仕事上での成果やパフォーマンスに直結しないのでついつい後回しになる(そもそも関心もない)というものです。

 

しかし、こころの問題は、生産性につながるということは多くの研究が示していることはもっと知られていいと思います。古くはホーソン実験もありますし、最近ではポジティブ心理学の様々な研究がこころと成果の相関関係を研究結果として提示してくれています。

例えばバーバラ・フレデリクソン氏の拡張-形成理論は、ポジティブなこころの状態(厳密にはポジティブ感情)が精神の働きを拡張し、利用できる資源や能力を形成するという考え方を研究結果とともに提唱しています。ざっくりまとめるとポジティブなこころの状態だと思考力や創造性が高まるということを示している研究です。

 

またこころの状態が成果にも直結するというテーマであると理解したら、逆にいうと、こころの問題は「無視するとやばい」と問題とも言えます。大きな損失や不利益を起こすものと言えるからです。私たちを取り巻く環境は様々な情報が爆発的にあふれるようになり、それとともにストレッサーが爆増しています。私たちは本能的にネガティブな情報に反応しやすくできているともいわれていますので、先日のブログでも触れた「学習性無能力状態」に陥りやすい環境に生きているとも言えます。

※参考ブログ

武器としてのこころリテラシー【9】~LIFTモデルの根幹である意を「調整」する(後半)~

 

そうなれば当然成果も上がりづらくなります。個人的にもっとも怖いと思っているのは、これが自覚なしで進行することです。自覚がないまま不安感や無能力観にこころが縛り付けられてしまうのです。仕事ができなくなるだけならばまだしも昨今ではこころを無視した痛ましい事件も起こっていますのでとても真摯に取り扱う必要があるテーマと言えます。私が知的武装だけでなく情的武装が大事だと思う最大の理由がこれです。

 

◆第二の錯覚:こころは個人の問題なのであつかうすべがない(科学じゃない)

こころの問題は確かに個人の問題です。そしてながらくこころの問題は文系・理系的な枠組みでいうと文系的な関心でした。そのため理解したりとらえたりすることが難しい問題でもありました。そうなるとどうなるかというと「個人の問題」という点が拡大解釈されて、「個人の信仰(?)の問題」のような扱いをしてきた時代が長かったのかなと思います。

 

例えば、「彼は仕事にやる気がなさそうだし責任感も足りなさそうだ」と見える問題に対して、「気合いややる気が足りていない」と指摘するだけのソリューションになってしまうなどはその例です。要は、こころの問題は気合いや根性の問題でしょ、というわけです。だから大事なのはわかるけど科学的に扱うこともしづらいし、まして全社的な施策としてもやりづらい、という感覚ですね。

 

しかしこれも錯覚です。確かに一時期前は、こころの問題は文系的な問題関心の元で心理学・哲学の問題と一緒に語られることがほとんどでした。しかし最近では、ニューロサイエンスや脳科学が急速に発達をしてきたことで、こころの問題を理系的な枠組みで語ることができるようになってきました。そして今はこうした文系的に思索されてきたこころの領域を理系的(実証的)に解明していくという流れが大きなトレンドとして生まれています。おそらく今後はその二つを横断し、統合していく様々な研究がますます増加していくものと思われます。

 

日本では、京都大学がこうした問題意識から2007年に「こころの未来研究センター」という研究機関を設立し、脳科学、医学、神経科学、社会心理学、臨床心理学、哲学、宗教学など非常に多様的、横断的な枠組みでこころの科学的な研究をすすめていますが、これなどは「こころ」の問題がいかにホットトピックになっていくかを示す事例だと思います。

 

私たちもこれらの脳科学、心理学、哲学や思想などの研究や実際のコンサルテーションでの知を統合して、この連載でも紹介している「こころのLiftUPモデル」を考案していますがこれらも科学的にこころにアプローチしていく一つのモデル・フレームだというわけです。