武器としてのこころリテラシー【11】~こころと思考のつながり(後半)~

みなさん、こんにちは。

 

さて、前回は【理解】という行為はおおむね4段階あるということをお伝えしました。

具体的には下記のような段階になります。

 

~理解の段階~

 

①言葉や事象を認識する

ある物事や事象に接したときに、それを自分の記憶の引き出しと照合している段階です。これは実は理解しているというよりは知っていることとして認識ができたという段階なのですが、知っているものだと認識するということが理解したという感覚を生み出していることもあります。例えば、駅前でモデルの看板を見たときに、「女優の〇〇さんだ!」というのはある意味、その看板を理解していることではあります。しかし実際に起こっているプロセスは目で拾った情報を自分の記憶と照合して認識したということです。つまり理解の第一段階は知っていることと照合する、関連付けるということになります。

 

②認識した言葉や事象の周辺を知る

自分の記憶と照合して事象を認識した後、それに関連する様々なことを想起して認識した事象の様々な側面をとらえていくというのが次の段階でしょう。例えばセミナーなどでキーワードに出会ったときに、類似する知識や関連する知識を照合して、それとの関連付けからキーワードの意味をまた別の視点で理解しようとする、ということがあると思います。例えば、ストレスマネジメントという言葉に出会えば、当然キーワードとしてはストレスをマネジメントすることだと理解しますが、関連する「メンタルヘルス」「ハラスメント」などの言葉を思い浮かべて「ストレスマネジメントとは権力を持った人との関係づくりの側面があるだろう」などと理解するようなイメージです。

 

③見えていないものを想像する

次は、認識した事象やそれと関連する事象だけではなく、自分が認識していない事柄に思いをはせて、文脈を読み取っていくという段階になります。例えば、最近では弊社の事業領域の一つでもある「組織開発」という言葉がキーワードが流行している感がありますが、よく関連する言葉として1on1やファシリテーションという言葉と関連付けれたり、「組織の開発」なのだから人事制度などの仕組み・システムの言葉と関連付けられて理解されたりします。

これらは既存の記憶と照合し組織開発についての理解を深めていることは間違いないのですが、本来であれば自分が知らない関連付けが存在するはずで語られていないことを想像するということも大切になります。

例えばですが、歴史を知るということも見えていないものを想像することの代表的な行為です。組織開発の例では様々なキーワードと紐づけて語られることが多いものですが、歴史的には経営学や心理学などがベースになっているし、代表的なものではホーソン実験という人間関係と生産性に焦点を当てた実験から領域が切り開かれてきたことやトレーニンググループ(Tグループ)の手法の開発がきっかけとなり組織開発手法の先鞭をつけてきたという歴史をしることで「関係性を自ら変えていく」ということが組織開発の根本にあるのだというような文脈的な理解も進んできます。

 

④自分にとっての意味を落とし込む

最後は、こうしたことを自分にとってはどういう意味があるかということと紐づけて理解して新しい可能性を生み出していくという段階です。例えば先の「組織開発」という言葉の理解をしていくにしても、それが自分にとってどういう意味があるかによって理解の仕方は変わってきます。事実、多くの人は組織開発を組織をよくするために活用しようと思いますが、誰かを利用してやろうという人は「洗脳的な手段」として理解し悪用のための新しい筋道を構築していくかもしれません(事実、歴史的には組織開発、というかおおもとにある心理学的な研究成果が悪意を持った洗脳的手段として発展してきています)。

 

※先のセミナーの例でいうと違いがあるのは当たり前で「理解できた」という実感のラインが理解の段階の中でどこにあるかということだったのです。

(参考ブログはこちら)

武器としてのこころリテラシー【10】~こころと思考のつながり(前半)~

もちろんこれらの段階は個人個人で深めていけばいいもので、どの段階だから良いとか悪いとかはありません。しかし段階が進んでいないことに無自覚な状態で「わかったつもり、理解したつもり」にとどまってしまうことはあまりよくないことだと思います。

 

~こころと思考~

さて、こうして理解の段階が深まると当然思考も深まってきます。ステージが深まるほど物事の新たな側面を想像し、本質に近づいてくるためです。そしてここで大切なのは、段階が深まれば深まるほど、こころのLIFTモデルでいうところの意が関係してくるということです。

 

①②はどちらかというと情報のデータベースとしての知の領域がかかわりますが、③に至ると何を見えていないかという勘所をつける、とか、語られていないことを想像してみる際に何に着眼するかなどは自分なりの認知・解釈のシステムに大きく依存します。さらに④にいたっては自分にとっての意味に落とし込むとは自分の方向性(アイデンティティ)との対話そのものです。

つまりより深く思考をしていこうと思えば、論理的な処理を行う「知」ではなく自分の方向性や着眼点に影響する「意」に目を向けてそれを調整する力を開発していくことが非常に大切になります。平たく言ってしまうと、「自分がどうしたいか」の実感が弱ければ深い思考のステップは進んでいかないということですね。

 

このことを逆の視点からいうと何かを思考するときに「今自分が思考していることに自分なりの意味を与えられているかどうか?」この点での自分の中にアラームが鳴るかがとても大切です。このようなアラームが鳴らない状態とは、「わかったつもり、理解したつもり」の状態です。さすがは偉大な哲学者のソクラテスは「無知の知」という非常に含蓄のある言葉を残してくれています。この言葉は、いい意味で自分の理解を疑い、見えていないことを想像し、自分が無自覚に持っている意を見つめながら、物事の理解を深めていくというステップと通ずるものがあります。

 

しかし残念ながら、ビジネスの現場では、ここ10数年で環境変化も激しくなりVUCAの時代と呼ばれるようになり、成果へのプレッシャーも激しくなってきました。正解のないなかで新しい価値を作り出さねばならなくなったからです。しかし時代は逆行するように成果を確かなものにしようとして論理に依存するようになりました。ロジカルシンキングの流行などはその一端を表現する事象と思います。

しかし論理はあくまで万人で共有化するためのツールであり、新しいものを生み出せません。そこで水平思考、創造思考などの強制的に発想を飛ばして「オモシロアイディア」を案出していく発想法・様々なツールが開発されてきました。しかしこれも思うように効果が得られていないというのが様々な人から聞く実感です。ツールばかりが開発されて、こころと思考の結びつきが見落とされてきたなれの果てという感じでしょうか。

私の感覚では、上記のように思考はこころ、特に自分の意と密接に結びつく行為であるはずなのに、意に目を向けずに手法やツールばかり導入していることが背景としてあると思います。結果として先に書いた理解の①②の段階で「わかったつもり」になってしまう人たちの増加につながっている気がします。

 

表面的な思考でことにあたるとどうなるでしょうか? まず時代の要請である「新しい価値を作り出していく」ということが進まなくなってしまいます。要は問題解決にならないのです。問題が放置されるだけならばまだしも、浅く中途半端な理解のためにかえって悪影響が及ぶ場合もあるように感じます。ダイバーシティ&インクルージョンを標榜していく時代の潮流の中で、独善的な正義心や誹謗中傷が拡散していくのはその最たる事例だと思います。

アンコンシャスバイアスがダイバーシティ&インクルージョンの阻害要因として取り上げられることが増えてきましたが、浅い理解で「わかったつもり」になっているままでは、自分のアンコンシャスバイアスに気づくということもままなりません。現在はこの問題がますます深刻化していっていますが、それはこころと切り離して「思考」だけに焦点をあててきたつけが回ってきているとも思います。

 

今後の時代は、自分の実感を大切にする思考を開発していく必要があり、それはこころをLIFTUPさせていくための大きな要件でもあるのです。

※当社ではこうした考え方を背景に様々な思考法やツールを活用しながらこころの側面から「思考力向上」のご支援として、新規事業開発のワークショップや思考力トレーニングをご一緒しています。