武器としてのこころリテラシー【10】~こころと思考のつながり(前半)~

みなさん、こんにちは。

 

本日は考えるという行為、つまり「思考」の問題について取り上げていきたいと思います。

ちなみに最初に触れておきたい話としては「思考」というものにまつわる語感的なイメージについてです。

みなさん、思考というとどんなイメージを連想するでしょうか?

 

ランダムに私が日々会う人にこんな話を投げかけると下記のように返ってくることが多いです。

 

・日々の仕事の問題を分析するために必須の能力である

・自分はよく考えが浅いといわれてちゃんと冷静に思考しろと言われる

・思考といわれると感覚を排除しないといけないという気がする

・論理思考が大切だと思っています。

 

などなどです。

 

私も一部ではこうしたイメージを持っていますが、おおむね思考とは「論理的に」考えるということが一つのイメージになっていることがうかがえます。

 

確かにこのイメージは思考という行為の一側面を確実にとらえていると言っていいと思います。なぜならいまだ不明瞭な事柄にたいして新たな側面に光を当てて本質に近づいていくのが思考という行為だとすると、曖昧模糊とした現実を順序だてて、体系的に検証していくことが必要になるからです。

 

「明日までに売上アップについて考えておいてください!いいね!」と言われれば、このよくわからないあいまいな問いに対して、

・売上アップの定義とは何か?

・売上の構造はどうなっているか?

・売上不振の原因は何か?

などと分析して考えねばなりません、しかも何度も同じことを考えていても仕方がないので考える事柄を体系化する必要があるというわけです(ロジックツリーなどですね)。

要はこれらは論理的に考えを進めるということなのですが、実はこれは思考の一部にすぎません。

 

なぜならば「どう思考するか」はある程度論理的な処理のプロセスが多くの人たちに共通で当てはまるものの、「何を思考するか」は多分にその人の個性によるところがあり、論理的な側面に焦点をあてるだけでは思考のメカニズムを説明したことにならないからです。そしてその人の個性による、というのは端的に言えばその人のこころのあり方に依存しているということです。

どのような知・情・意のあり方をもっているかによって「何を」思考するのかが変わって来るわけです。(下記ブログでカマス理論をお伝えしましたが、無能力であることを学習したカマスが考えることと二匹目のカマスが考えることは違うだろうということは容易に想像できるのではないでしょうか)

※参考ブログ『武器としてのこころリテラシー【9】~LIFTモデルの根幹である意を「調整」する(後半)~』

武器としてのこころリテラシー【9】~LIFTモデルの根幹である意を「調整」する(後半)~

 

ということで「論理」「ロジック」などのイメージと強く関連づいている「思考」の問題について、武器としてのこころリテラシーとしてご紹介していきたいというのが本日のテーマです。

 

~理解の段階~

さて、密接にこころと関わりを持つ「思考」ですが、思考をするためには物事を認識し、理解しなければなりません。物事を「理解する」というと普段当たり前にやっていることのように思えますがよくよく考えるとよくわからないことでもあります。皆さんも改めて何かを「理解しているか」と聞かれると戸惑って答えに迷ってしまうのではないでしょうか。

これは難解な事象を理解することは当然難しいので理解という言葉にハードルを感じるという側面もあると思いますが、それよりも「理解しているのかどうかを何で判断していいかわからない」というのが大半の場面での本音なのではないでしょうか。

 

実はこの点は別のセミナーに参加する場面で考えさせられることがありました。そのセミナーはある概念についての研究成果を紹介するものだったのですが、概念そのものはそこまで難解ではなく感覚的に理解できるものではあるものの(要はいきなり相対性理論を理解しろ、というような類ではないテーマ)、セミナーで講師の方が話される内容がとても抽象的で具体的なイメージをつかみづらいのです。

私自身は「このセミナーは何かに役立てようと思うとかなりの部分で自分なりの補足が必要となるなー」と感じながら聞いていたのですが、ほかの参加者は違ったようでした。なんと「非常にわかりやすかった」という意見が多かったのです。自分との感想の違いに戸惑った私は、よくよくまた周りの反応を見て検証してみました。すると「非常にわかりやすかった」と言っていた方々はセミナーで話されていたキーワードやアジェンダ(フレームワーク)がわかったというような意味で「理解ができた」という感覚を持っていたようでした。

 

なるほど、と思ったのですが、考えてみれば当たり前で同じ「理解する」という行為でも人によって理解の段階が異なるというわけです。

理解にはおおむね4つの段階があります。

次回、詳しく見ていきます。