「情報革命の本質とレジリエンスを考える」

~情報革命がもたらす真の変化とは~

皆さん、こんにちは。

アメリカの未来学者アルビン・トフラーが「第三の波」を書いて既に40年という月日が経ってしまいました。

この中でトフラーは、これまで人類は農業革命(人類が初めて農耕を開始した新石器革命のこと)、産業革命と大変革の波を二度経験してきて来たが、今我々は第三の波として情報革命による脱産業社会(情報化社会)という大変革を迎えている、と唱えました。まさにドンピシャの読みでした。

此処で云う「波」とは、物理的な生活様式の転換よりも価値観や思考形式といった心理的な生活様式の転換を指しています。例えるならば、丁度レコードやCDといった物理的な記憶媒体がクラウドのような媒体にシフトし、それまでと使用する機器や使い方の有り様が全く変わってしまった様なことです。

 

日本でもトフラー氏に触発されてか、先般ご逝去された堺屋太一氏が「知価革命」とか「大変な時代」という書籍を出版して同様のメッセージをされていました。これからは物財というハードではなく、目に見えない知というソフトが価値の中心となる時代となるという趣旨で、事実これまでは目に見える物財に価値を見いだしてお金を払っていた状況から、目に見えない知財にお金を払う、寧ろそちらの方が高額という時代になっていきました。

情報革命とは、インターネットを中心としたグローバルでのネットワーク社会の到来です。私は当初、これによってまさに地球が球体一体となって夜昼構わず同時並行的に物事が進む社会が到来すると考えていました。
例えばニューヨークで、9時から5時感覚で動いていたことが、ネットワークで繋がった地球の反対側のインドに引き継がれて24時間感覚で動くようになり、これまではバッジ的に動いていた処理が四六時中リアルタイムに処理されていく世界になるわけです。150年前ならば1ヶ月、100年前ならば10日掛かって流通していた情報が最早一瞬で世界中の何処ででも伝わり処理される時代になったわけです。
しかしこれは情報技術革命(IT革命)というのが正解で、実はその裏に本質的な情報革命が進行しているということにまでは頭がついて行っていませんでした。

 

情報技術がもたらしたのは単にスピードのような時間短縮に留まらず、多様な価値観を持つ文化を一挙に統合させてしまいました。例えば発展途上国は先進国の技術を瞬時に手に入れ、先進国が100年掛かって得た世界を10年で得る状態となり、あっという間に知的な格差が無くなっていきました。この流れは人材のグローバル単位での移動を生み出し、これまた何処の国もがあっという間に民族混合を生み出しました。

しかし、知は瞬時でも人の意識は瞬時というわけには行きません。それが数々の谷間を生み出しています。情報革命とは知性以上にこれまでと心性の有り様が変わる事態なのですが、それに対してそれこそ世界中でその変化について来れていない人が頻出しているのです。

その典型例が昨今のSNSによる「罪意識無きハラスメント」とそれを受けての「正義感ごっこ」です。両者に共通なのは「つぶやき」が「つぶやき」でなくなっていることへ思考が付いて行っていないということです。

 

ところで、心理学的に人が最も身を切るような悲しみを覚える距離感は、「身近な身内の死」だそうです。身近でない人の死には同情以上の感情は抱かないのだそうです。意外と自らの死に対しても人は冷静なのだそうです。つまり人は身内であっても直接対面しない人へは冷静だということです。こういった感覚が従来のコミュニケーション空間を超越した場合、どう云ったことが起きるでしょうか。今まさにそういった事象が蔓延し始めています。これは足が着かなければ海の深さは何処でも同じという感覚に似ています。

そしてSNSのインフラ化による日常性は、仮想空間としてのコミュニケーション空間とリアル空間との区分けを困難にし、「どうでも良いこと」に粘着しやすい心理を生みだしています。その背景にはリアル空間としての社会的な繋がりの希薄化や社会的な承認の不足感から、若くなるに従って自己肯定感が持ちにくくなり、不安やストレスに晒された際の避難場所としてSNSへの依存度合いが高まっているということがあります。

そしてストレス発散や無責任発言の温床としてSNSが利用され、異様なまでの個人攻撃の加速化が起きているわけです。

 

最近関西で、とあるラーメン店に来客した芸人さんに対するそこの主人の「つぶやき」がSNSで罵倒される事件がありました。この店主も自分の発言の内容以上に、SNSが持つ社会的影響力が理解出来ていなかった一人、つまり情報革命の真の姿に頭が付いていっていない典型例と言えます。
一方それに対してそれを炎上騒動化させる愚衆の多くも、ちょっとした鬱屈のはけ口として、自己肯定感を満たそうと便乗的に投稿しているのが実態で、それこそある種虐めの構造そのものですが、なまじ不特定多数という立場、仮想空間という実在感の無さ、そして正常化バイアスに支えられた利己的な正義感が後押しをしているので始末に負えません。
最早オンラインとオフラインがごちゃ混ぜになった群集心理の構造となっています。仮想空間という「身は傷つかない」中で、ドローンで遠隔操作をしながら相手の心を攻撃している戦場のような無法地帯がSNSの世界なのです。

ところがこれまでの社会的な秩序は物理的なことを統制するインフラに偏重していました。身体を傷つけることには厳しくても心を傷つけることには余り目をむけて来ませんでした。これでは第三の波に人間社会は溺れてしまうことになります。

これは日本だけではなくグローバルで起きている実態です。興味深いのは中国や韓国などストレスが強い国ほどこの動きが極端であることです。何れにせよ第三の波とはこれまでの物質的価値が中心であった社会的な枠組みが、心理的価値が中心である社会的枠組みに変わる「うねり」ということです。

 

私的には情報を商売にしてきた機関ほど、惰性の中で事の重要性に鈍感になっているように思えます。SNSを操作しSNSを活用しているつもりで、却ってSNSに振り回されたり踊らされたりする報道機関や、主体側にありながら公私が分からずSNSで巷間を煽る無知な著名人などの無責任発言がSNSの不法地帯化を助長しています。更にSNSはゲーム感覚的な刺激ももたらすのでストレスが高い人ほどそこにのめり込みやすい危険も孕んでいます。

 

~新しい変化に適応していくには~

ではどうすればこういった状況を越えていけるのでしょうか。

それはまずリアル空間の充実を行い、対面関係の再生を行うことです。どんなに知的に技術を進めても、人の心は有史以前よりもそうは変わっていません。世の中には変えて良いことと悪いことがあります。「ハイテック、ハイタッチ」という言葉もありますが、全てはバランスの中にあります。ハイテックに浸った心を安定させるには、時折仮想空間から離れて繋がりの中のストレスから解放されることです。
つまり、何らかの対応に追われる心を休めることです。オフラインの時間を作り、心をリ・セットさせることです。最近瞑想が重視されるようになったのはそういった背景があります。そしてニュートラルな姿勢から、「どうでも良いこと」や「どうでも良い相手」からの粘着を断ち切ることです。

 

しかしそれだけでは、また元の木阿弥になってしまいかねません。この根っこには思考速度を超える情報処理と伝達がもたらすグローバルでシームレスな経済活動が、人間の心理成長を凌駕してしまったという進化の負の側面が露呈しています。これを是正しなければ、恒常的な心の安定はもたらされません。

経済を始め、本来人間の活動は人間のためにあるという原点を忘れてはいけません。産業革命の機械も情報革命の情報技術もそれそのものの為にあるわけではありませんから、振り回されていては本末転倒になります。人間にとっての滋養は社会的繋がりであり、社会的承認であるのは古今東西変わりません。ポイントは、人はネガティブで成長するのではなく、ポジティブで成長するということです。昭和世代はこれを勘違いしている人が多いようです。自分はネガティブを乗り越えて成長した。
しかしその前提は社会的基調がポジティブであったということがあります。未来が見通せて保障されるから、そこへ向けて苦労することができたのです。報われると確信したから我慢も出来たわけです。浅慮な人は目先や経験に拘泥し自分を押しつけます。しかも本心には現代の情報社会についていけていないストレスを正常化バイアスによってねじ曲げ、弱者に発散しているという哀れさもまとっています。こういった人材を老害と云います。

 

何はともあれ、老若男女を問わずに自分の身の回りをポジティブな空気にする様な取り組みをすることが重要です。ネガティブに打ち勝てる気概を心に芽生えさせることが、現代の成人には知能以上に重要な取り組みです。そうして常に自分を自己肯定的な心理に維持し続けることから、次への成長やお互いに心地良い人間関係が育まれ、第三の波をサーフライドさせることに繋がっていくのです。
今一般にこの取り組みがレジリエンスという名称で普及し始めています。最近怪しげなレジリエンスの紹介がありますが皆さんもしっかりとした定義をご理解下さるように切に願う次第です。

またレジリエントな社会のための取り組みは個々ではなく、集団でのうねりを生み出すことが必須です。JoyBizは「チーム・レジリエンス」という名称で集団でのレジリエンス向上をこれからの組織開発の中核的な取り組みとしてご紹介しています。皆さんに置かれましても是非ご興味を持って頂けますと幸いに存じます。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。