「健全なパワー欲求によって人生の成功をより豊かにする」

達成欲求の限界

今からもう30年近く前になるでしょうか、アメリカで「人生の成功をもたらすパワー動機について」という論文が発表されました。今回はその論文から、近年のマネジャーがその資質として一考しなければならないと思われることについて触れてみたいと思います。

 

この論文が出るまでは、人生の成功に繋がる動機の鍵は「これまでよりも、より良く、より効果的に物事をやりたいという願い」としての達成欲求であるとされていました。そのため企業では社員の達成欲求を刺激するための手立てを、人事管理などを通じて講じてきました。

しかしより深く考えるに、達成欲求はそもそも個人としての向上・成長や自分自身の独自力で物事をより良くやり遂げることに価値を置いているため、どうしても全てを自分一人でやろうとする面が強く出るという特徴があり、それが組織行動という観点において様々な弊害も生み出してきました。また達成欲求を根元とする人は、どうしても自分がどれ程上手くやっているかを知りたいために自分の業績に対して短期で具体的なフィードバックを欲しがるという反応を強く持ち、それが目先の結果に執着してしまうという問題も抱えていました。
しかし企業が組織として成功するには必要な全てのタスクを自分一人の力で遂行するわけには行きませんから、個人レベルでの欲求を満たす範疇である達成欲求では組織レベルでの欲求は満たすことは出来ません。また短期的な反応に拘泥すると云うことは、即ち中期的長期的なレベルでの目標遂行が疎かになってしまうことと云えます。つまり達成欲求による組織成長には一定の限界があるということです。

このことは、創業者が陥る罠の最も顕著な事象で、かの京セラの稲盛さんも、創業直後にこの価値観への執着によって組織成長に多大の影響が出てしまったことを著書で述懐されています。今もITベンチャーの社長や若手の創業者がせっかく事業開発には成功したのに、組織的な障害で企業が膨張化してしまい、帰郷にさらされているケースが至るところで見られます。

当然のことですが、組織活動は様々な能力や価値観を抱える人々の力を結集して一人では成し得ないタスクを処理していくプロセスですから、その諸処の力が最大のパフォーマンスに繋がるようにマネジメントしていく必要があります。組織をリードする立場の人は、組織に所属する人々をマネジメントして、彼らが組織のためにいろいろなことができる様にしなければならないし、それが最も優先的なタスクになっていきます。
また組織が成長すると、次第に人々へのフィードバックは漠然としたものになり、時間的にも遅延が生じてきます。そうならないためには、これまでとは異なった問題解決や価値観が求められることになってきます。しかしそうして組織レベルとしての成長が始まると自分個人では成し得なかったひとつ上の個人的な成長も見えてくることになります。

そのレベルにステップアップすると、人生の成功の鍵は自分という個の錬磨するレベルのことではなく、自分が生み出した組織という集団をきちんとマネジメントすることになります。そしてそこに所属する人々をしてその組織に上手く歩調を合わせ、組織的な貢献が最大の目標となるべく自分の価値観を転換する必要が出て来ます。

稲盛さんも言及していますが、京セラが現在のような企業に成長し、稲盛さん自身が日本テレコムの飛躍や日航のリ・ボーンを成し得たのは、自分の価値観を個人的な達成欲求から他者を盛り立てるパワー欲求にシフト出来たことといえます。

しかし言うは易いですが行いが難しです。実際組織におけるマネジャーの仕事は、自分自身の仕事をより良くやるというより、他者に対して何らかの影響を与えたりエンパワーしたりすることですが、きちんとそれを理解して活動しているマネジャーは非常に少ないのが現状です。それ以上に日本では、パワーはイコール政治となり、寧ろパワーは忌み嫌われる傾向があります。

 

パワー欲求

現実問題として、例えば部門の業績達成に対して、部下を効果的に活用することを前提に計画的に部下を査定して、そのパフォーマンスを最大化させることからチームとして全員の目標達成を成し得ようとするマネジャーがどれ位いるでしょうか。またそのために自分のパワーを効果的に活用したり、その為のパワーを開発しようと欲求し錬磨するマネジャーが適正に評価されているでしょうか。
私の知る限りでは、大凡型通りには部下に目標設定をしますが、実践では殆ど部下を放ったらかしで、最終的に自分自らが個人としての目標を達成させることからチームの目標達成をリカバリーするといった行為でその場凌ぎを続けるマネジャーが大勢です。部下育成など二の次で、寧ろ部下を愚弄することで自分を賞賛するといった欺瞞的な人材を目にするばかりです。余程の承認欲求瑕疵から来る対人コンプレックスがあるのかと見間違うばかりです。

ところが結果主義が強すぎると、そういったマネジャーが目先で評価されてしまい、組織の成長を後押しするような態勢に組織自体がなっていないのも現実の光景なのです。

何故そうなるのでしょうか。人は誰しも自我地位の欲求があり、真にパワーに無関心な人は稀です。私の周りでも他者に対してマウンティング的な行動をする人がいます。人はパワーに対して肯定的な本性を持っているのは確かです。従って誰しもがパワー欲求を持っていることは間違いありません。

そう欲求はあるのは確かなのでしょう。但しそのパワー欲求は、マネジャー自身の個人的な勢力の拡大や増強ではなく、組織全体の利益に向けられる様に鍛錬され、統制されたものでなければなりません。更にここでいうパワー欲求は、人々に好かれたいという欲求を凌いでいなければならないという条件が求められます。換言すれば、利己主義は御法度ということになります。

もともと達成欲求や創業者の欲求は利己主義に端を発しています。幾ら世のため人のためと抗弁しても根っこは承認欲求であったり、興味関心に対する自己実現動機が原動力です。パワー欲求も影響力ですから他者との関係の中から生み出される動機です。ある意味組織で求められるパワー欲求や成功のための行動は矛盾を孕んでいるわけです。

いやはやパワーとは難しい存在です。しかし組織を動かす力はパワーによる相互関係であることは厳然たる事実です。パワー問題抜きに組織は語れませんし、パワーを否定していては人間社会において人生成功は成し得ません。そもそも達成欲求も、元を正せば「誰に向けて」と云う観点で見ると他者へのアピールが潜んでいます。より努力するのは誰かに認められたいからです。
生きるにおいてパワーの取り扱いは必要不可欠なのです。人はパワーとパワーとのぶつかり合いによって成長していきますし、関係を構築していきます。だからこそ組織をマネジメントする立場にいる人は、より大きなパワーを持っている必要があるわけです。

今日のように価値観が多様化してきた社会においては、個人の求める価値観や目的を組織の求める価値観や目的に向けて全員がピッタリとなるように動機づけるのは至難の業です。

これからはますます多様なパワーの取り扱いが求められるようになることでしょう。だからこそより人生の成功を確かにしていくには高いパワー欲求が求められてくることになります。

最近の若い人はパワーを忌諱し、妙に競争を嫌い、パワーを悪のように見立てる基調があります。そして統制と強制を履き違えた観点でパワーや組織を批判する人が増えています。しかし俯瞰すると、どうも自信の無さによる保身でのパワーに対する恐れや無知から来る視野狭窄的な嫌悪感を強く感じます。

パワー抜きでは企業も社会も関係維持や成功は望めません。パワーは人間の成功の原動力だからです。パワー欲求がなくなった若者が、成功体験を持たず、それ故に人に関心がなく覇気のない人材として企業や社会の未来を暗澹たる存在に導いていく姿に企業組織はもっと危機感を持つべきだと思う今日この頃です。企業はその成功を目指してもっとパワーに関心を持ち、パワー欲求を開発していく必要性を主張したいところです。勿論利他的な価値観で自己統制が効いたパワーの開発ですよ。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。