• 真の経営リーダーシップを作り出すには何よりも実存の危機を経験することである

真の経営リーダーシップを作り出すには何よりも実存の危機を経験することである

リーダーシップの在り方と意のコミュニケーション

今回は平素懇意にお付き合いさせて頂いている方々が社長や常務へと御昇進されましたこともあり、経営リーダーシップの根幹である「人を動かす」原動力についてお話をしたいと思います。

リーダーシップは人を統率する立場の人にとっては必要不可欠な能力なのは言うまでもありませんが、その定義をしっかりと認識している人は多くありません。多くの人は指導力とか統制力とか、どちらかと言うと個々人に内在している保有能力の様に理解している様です。まあ当たらずとも遠からずといった感がありますが、経営学においてリーダーシップにはきちんとした定義があります。正式には「一定の状況において他者に対して影響力を行使する過程である」という内容ですが、要は影響力ということです。

この事はリーダーシップの「力の源泉」は個人に内在するものではなく、人と人の間に発生し、しかも起点は他者側の認知であるという重要な意味を示しています。つまり他者に対して何らかのリーダーシップを発揮しようと思うならば、まずは他者に自分を認めてもらいかつ受容してもらわなければならないということであり、源泉はあくまでも他者側にあるというこということを理解していなければならないということです。これが分からずに無意味に身勝手な力を誇示し、返って空回りをしているリーダーが何と多い事でしょうか。
リーダーシップを発揮するには、何よりも相手がどういう力に反応して影響されるのかに気が付かなければなりません。その為には他者とのコミュニケーション能力は必要最低限の要件となります。ところがリーダーと言われるポジションの方の中には、このコミュニケーションとは何かと言った本質を知らないで他者と関わっている人たちも相当数いらっしゃいます。

コミュニケーションは意思疎通と日本語では表現されますが、意思疎通とはただ単に言葉のやり取りをするわけではありません。人に関心の乏しいリーダーはこれが全く理解出来ていません。人は言葉のみにて他者と疎通しているのではなく、態度や表情といった表現方法でも意思疎通を図っています。また共感や心酔と言った全く表には出ない深層で疎通を図ったりもしています。当然この疎通の在り方が深層であればあるほど影響も受け易い心理状況になります。

これまでも紹介させて頂いてきましたが、人は知情意と言う3つの世界観で心を形成しています。そしてそれに呼応する様にこの3つのレベルでのコミュニケーションを通して心を通じ合せます。

米国MITのビジネススクールの教授であったR・ベックハード氏は、組織を構成するシステムとして、インプット/アウトプットシステム、ソーシャルシステム、ポリティカル・パワーシステムの3つがあると論評しましたが、これらの要素も社会集団としての組織がその人間同士の繋がりとして、論理面、感情面、そして思想面としてそれぞれ知情意の3つの領域で成り立っていると説いているのに他なりません。

つまり、コミュニケーションは最も表層的な論理面として相互にしっかりと考えを話し合うのは大前提で、しかしそれによって理解し合うだけでは不十分であり、お互いが信頼を共感し合う様な感情面でのやり取りも必須であると言うことを認識する必要があります。但しそれだけでは利害的で、相互に価値が等価交換的な影響関係にしか至らないと言うことも知っておかなければなりません。それでは人を思う様に動かすと言ったレベルでのリーダーシップは機能しません。

人にとって最も影響し合う関係になるコミュニケーションは「人としての本質」に隣接する「生きる価値」という思想観・哲学観といった意思或いは意志に関する領域です。従って社会活動という存在の意味を理解し、集団社会を維持することから自己の生命の安全保障を確保すると同時に、至福な生活を恒久的に得ようとする知的素養のある人であるならば、利己を捨てて社会的な大義に生きようとするのが人間における道理と言えます。
更にそこで価値ある存在になろうという健全性を志向する人であれば、その考えを支えかつ強化してくれる様な思想や信条には自ら進んで影響されようと反応するのは必然とする所です。そして、そういったコミュニケーションを取ることから自分の意思を実現してくれる存在に大きなリーダーシップを認めるのは自明の理と言えるわけです。

 

ところでこの様なコミュニケーションが取れるか否かは、何よりもリーダーシップを取ろうとする人が相応の思想観を持っているか否かにあるということは言うまでもありません。しかも実践的な力となると、その思想を具現化させようとする牽引力が備わっていることが求められます。

 

先述した様に人は口先だけでは影響されません。感情的に共感できる態度や行動を常に査定しています。
メラビアンという心理学者は人のコミュニケーションの7割は非言語的に行われると分析していますが、思想実現の場合は直接的だけではなく日常での間接的な立ち居振る舞いの全てを評価されています。何せ皆さん人生が掛かっているのですから誰に付くかは死活問題です。いざという時に逃げる人、立ち向かう人。陣頭指揮する人、銃後で掛け声だけの人。こう言った日常のあらゆる素行を360度的に査定されているのです。
これこそが意におけるコミュニケーションの本質なのです。

 

そういった無意識的な反応行動に現れるのがその人の器であり、その人のアイデンティティの所作と言うものです。アイデンティティとは心理学で言うところの「自己同一性」というもので、「自分は自分であって他者とは異なる」という自己存在(実存)のことです。
自分は自分という思想観や哲学観がしっかりしている人は、アイデンティティが確固としていてブレません。従って安定感があり、強い信頼感が滲み出てきます。コミュニケーションも一貫していて力強く魅力的です。知行が一致しているので知としての相互理解も情としての共鳴感や影響感も大きく、心底惹かれます。これこそが意の影響をもって経営リーダーシップが機能している姿と言えます。

 

ベックハード氏は、この意のコミュニケーションによる深層的なリーダーシップが影響力を発揮出来ている組織状況をポリティカル・パワーによるシステムが機能していると分析しています。これこそが本当の意味での組織の政治的側面であり、政治力が集団社会を導くのにおいて非常に有力な要素で、この政治力のマネジメントを抜いた組織運営はあり得ませんし、経営リーダーシップの発揮は政治力抜きには語れません。

さて、リーダーが陣頭指揮をした時にその集団が勢いづいたり、逆に大将の首を獲られた瞬間に百戦練磨の軍隊が蜘蛛の子を散らした様に負け戦に転じたりするのは、それ位人にとって意の影響によるリーダーシップが大きいということです。錦の御旗が立ち、官軍になったというだけで士気が上がるということは昨今のNHKの西郷どんでも表現される通りです。

思想観と実存の危機

このような深層でかつ中核な意の影響によるリーダーシップですが、巷を見る限り行動的な実効性を司る知よりも、エネルギーの情の側面から作り上げた意に欠ける人が最近は非常に増えて来ている様に思えます。その為経験を踏まず頭の中だけで捏ねくっただけの意志や思想を口先だけで弄するばかりで、腰砕けで人がついて来ないひ弱な似非リーダーや経営者が会社を存亡の危機に導いている状況を至る所で目にします。

この状況は、最近の後継者や若い人の殆どがアイデンティティ・クライシス(実存の危機)の経験が極めて乏しくなっていることと直結していることは間違いのないところです。人がその生命を維持するにおいて社会集団に帰属する方法を選択した進化を遂げている以上、孤立への恐怖、いわば心の死との直面は自分のアイデンティティを固める上で必要不可欠な要素です。
人は死と向き合ってこそ始めて真剣に生きるということを直視し、そこから自分という存在の枠組みをリアルに形成します。それを経ていない人は、生きる苦労知らず現実知らずの甘ちゃんで、実存感がないので迫力もなく信頼を感じさせません。事実殆どの場合こういう輩は、壁にぶち当たるとヘタレにケツをまくろうと足掻いたり、自分だけが助かろうと平気で下を犠牲にしたりします。
人間は誰しも生きることには平等で真摯ですから、大抵こういった輩の日常の素行をみて面従腹背します。表向きは従っても本当は誰もついては来ないのです。当然日々の延長的な行動以外は陰で抵抗し、なし崩しに動くのは自明です。経営者は、部下が動かないという場合、まず日常の自分の行いを内観する必要があります。

 

ともあれ、実存の危機の経験のないリーダーの言葉ほど怪しいものはありません。先人が修羅場の経験を重視したのは正しい見方なのです。実存の危機を乗り越えて生み出された思想観こそが地に足が付いた意と言えますし、そこから滲み出るリーダーシップこそが本物のリーダーシップなのです。思わず知情共に反応してしまう行動を伴った意志の発露、これが経営リーダーシップの真髄です。

 

因みに蛇足的ではありますが、経営組織も法人としての実存の危機があります。企業が生き残るには売上を上げるしかありません。それは新規客を見出すか、売れる商品を生み出すかです。それさえあれば会社は存続します。経営者にとって実存はそれだけです。例え社内の評判が悪くとも問題児であっても、経営者にとって大事なのはお金を生み出す人材です。
中期で見ればそれが最悪だと分かっていても今が大変な状態であるならば、金になるネタを新しく生み出す奴が最も大事なわけです。何せ経営者にとっては組織の実存の危機に瀕しているわけです。それがいやなら、そういう人材を放逐しても生き残れる組織にすることです。それが分からず、そして新しいネタを見つけることもできず社内でピーチクパーチク言っている連中は、それこそ実存の危機を共有出来ない存在です。
運命共同ではない人材は何人いても意味がない。瀕死の経営者はそう考えます。それが実存の危機なのです。これは私の実体験でもあります。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?