政治を有効にする人間力を発揮させる3つの構成要素とは

前回、集団社会の中で円滑に問題解決を行っていくのに必須となる政治活動において、最も重要な力としての「人間力」を身に付けるにはどのようなアプローチが有効かと云うところで今回に繋ぎました。

「人間力」とは「他者があの人のためならば尽力したい」と思う魅了的な力です。人にはもう一つ「関係力」という力がありますが、これは別名「コネ力」と云われる「ご縁が持つ力」です。この力は必ずしもポジティブな力とは限りません。利害関係も関係の一つですから、「お前、俺のバックに誰が付いていると思うのか」といった負の影響力も含んだ力の概念です。人間力の源泉はあくまでも人がポジティブに引き寄せられる魅力であり、人に信頼や尊敬の念を懐かせる力です。
人間力とはまさに人の信念や気持ちから滲み出てくる力ですから、そこにはその人の生き様が投影されます。これを西洋では「キャリア」と表現する人もいます。米国MITのE.シャイン教授はその論文「キャリア・マネジメント」の中でこういった生き様について「キャリア・アンカー(生き様の錨)」という概念を提唱し、その構成として3つの要素を上げました。
一つは「生きる上での価値観」、もう一つが「志向する希望」、そして最後が「保有する能力」です。人は「何を大事にしていて、何を求めていて、そして何が出来るか」の3つの混沌の中で人生の錨(アンカー)が形成され、生き様がつくられるというわけです。

この考えは「人間力」のフレームとしても有効です。キャリア・アンカーの概念は日本的には人生哲学と近似しており、その構成要素は人生哲学のモノとかなりの部分で重なります。

人生哲学は哲学観の一つとして信念体系に強く影響します。そしてこの哲学観が確立するに連れて人は心が強く安定し、そこからもたらされる様々な言動や立ち居振る舞いは他者に対して影響を与えます。因みに安定するとは頑なで微動だにしないということではなく、柔軟でしなやかでありながらも芯は堅牢で折れにくいということです。日本では一般に不動心と称されています。
最近、西洋を中心に着目されている「レジリエンス」といった「マインド・ヴァイタル」も、このしっかりした哲学観を基盤とする信念体系がその支柱にあると云うことが、禅などを通して理解浸透されるようになってきています。

 

さて、では人生哲学観においての構成要素としての3つをご紹介しましょう。

一つは「生きるにおいて何を大事にし、思いを持っているか」です。

人は生来、安楽と怠惰を希求する動物的な存在です。ライオンなどの動物は必要なときだけ狩りをし、後はひたすら眠っています。また、自活できる動物は群れを為さないのも本能です。つまり動物は生きるための知恵として必要に応じて群れを為したり、社会的に勤勉する存在であるのが基本前提と云うことです。ということは、喰うに困らなければ労働はしたくないし、必要以外は群れずに単独でいたいし、快楽を享受することに専心して生活したい本性を持っているということです。人もその動物の一種である事を外して考えるわけにはいきません。
しかしもう一方で知恵を授かった人間は、そういった怠惰を社会的に続けると中長期に堕落を招き、文明の退廃や滅亡を招くと云うことも学習しています。従って人間は自己の生命や文明を維持存続させるために、そして成長と繁栄を産み出すことからより質の良い快楽を享受するために、自己や他者を戒め、勤勉を励行し、他者との関係を円滑にするために様々な約束事や通念を産み出してきたのです。
つまり、人はその生き方においてそれぞれに多様な人生観を持つことは構いませんが、その根底として万人誰しもが必ず守らなければならないルールや約束事を道徳観や倫理観として持つことが、人間社会において生きていくための条件として課せられています。それが利他心の心肝であり、利己が最も忌み嫌われる所以です。そして洋の東西を問わずその役割を担っていたのが宗教であったのは間違いのないところです。

ところが戦後、グローバルな経済活動が営まれる中で貧困格差が広がると同時に、先進国では飽食状態となり生命への危機が弱まったことから、こういった約束事が破戒されて浸食されていっているのが実状となっています。宗教は退廃し、人との交わりも独善的・利害的となり、利己を前提とした社会的な風潮の度合いは高まる一方です。無機的な知の強化に偏り有機的な意は軽視される中、日産のゴーン会長のような立ち居振る舞いが横行するばかりです。
日本が文化的にも経済的にも存亡の危機から逃れるには、しっかりした社会的な哲学観の再興が望まれます。そして危急の課題として、意の教育によって未来がポジティブに展開されるような思いを持った人材の輩出が、家庭的にも学校的にもそして企業的にも望まれています。

 

二つ目は「生きる上での活力源となる人生の目的を持つ」ということです

人は高等と呼ばれる生物として知恵を授かった瞬間からその知恵をより高め、自己や社会的な生命を安定的に維持し、成長発展し、そして進化するために常に「目的」を持った活動をすべく使命づけられた存在です。人は誰しも「目的的に動く」ように動機づけられているのです。その為心理的にも目的がないと不安定となり、そのまま放置すると病質的な状態にまで陥ってしまいます。また人は、その生物学(脳科学)的進化の中で、選択肢の限界点を身に付けています。

実験によりますと、人は5つ以上の選択肢を与えられると混乱状態が生まれだし物事の弁別決定が出来なくなってくることが分かっています。つまり選ぶ機会が多くあると云うことは実は自由ではなく、何を選んで良いかが分からなくなって不自由になっていくという皮肉な面を持っていると云うことです。選択肢の少ない時代には、何となく不満を持ちながらも、実際には生きるにおいては楽であったということです。
現代は目的をどう選んで良いのかが分からなくなるような情報過多の社会になっていると云うことを理解する必要があります。何でも出来ると云うことは実は何にも出来ないに等しいのです。ともあれ「やりたいこと」という目的を明確にしないと心は安定しません。ただ気をつけなければならないのは、目的選択には社会的倫理や道徳という枠組みの中での考察は忘れてはならないと云うことです。

 

迷うことの多い「目的」の選択ですが、これと一体になっているのが3つめの「やれると思える心意気」です。

ここで重要なのは「心意気」という気持ちの在り方です。シャイン教授の概念では、ここは「能力」です。キャリアという実存的な世界では「できる」とは実力のことですが、哲学観においては実力ではなく「できる」は良い意味での思い込みです。自信と云っても良いかもしれません。ただ自信は「過信」という意味合いを含む場合もありますが、心意気は冷静に自分を自己認知した上で「未だやっていなくても」これまでの経験や論理として「やれる」と確信できる心構えです。「やりたい」し「やれる」。これが「モメンタム」です。
行動を奮起させる源泉となる哲学観の領域です。この観念をしっかりとさせ、また高めるのに必要なのが「自尊観」の内観と向上です。「自尊観」には「自己存在観」と「自己効力観」という2つの観念があります。自己存在とは自分が集団の中で大切な存在として受容されているという観念です。これは特に家族などの集団や学校初等期での集団生活が大きく影響します。もしもその時期に瑕疵がある場合、カウンセリングや内観訓練などで心の修正を行う必要があります。

次が自己効力です。これは集団社会で自分が能力的にお役に立っているか、または立てるかといった気持ちの有り様です。これも幼少期に褒められたり、ポジティブに接してもらったりしたかなどが大きく影響します。これも内観して何処かに不安がある場合、自己探索して修正することが大切です。
こういった心構えは自分で自分をどう見るかですから、他者からの再評価はあまり効果を持ちません。あくまでもまずは自分で自分の見方を変えることです。そして安定した自尊観を持つことから、自己肯定観の向上を図ります。自己肯定観こそが心意気の源泉であり、モメンタムのエネルギー源です。

以上の3つがバランス良く存在して「人生哲学」がしっかりしているということになります。これが「人間力」の原動力になります。

 

JoyBizではこういった「人生哲学観(信念)」がしっかりした状態を「プライド」がしっかりしていると称しています。「セルフ・エスティーム」という「自尊心」が受け身な視点からの言葉であるとすれば、「プライド」は「自尊心」を能動的(リーチ・アウト)な視点から捉えた言葉であると云えます。世の中にはこのプライドという言葉をネガティブに捉える見方もあるようです。JoyBizではそれを「変なプライド」と称しています。変なプライドとは、「価値観が社会的な倫理や道徳心、通念からずれている状態。
例えば利己心に塗れた変に拘った観念」「不明瞭な夢物語や現実に金縛られた、或いは変に拘った観念に導かれた人を惑わす目的観」「自尊観や自己肯定感が低い中で出てくる虚勢に基づいたはったり」といった3つの構成要素の中でどれか一つ以上が狂った哲学観のことです。良く巷間に出る「彼奴はプライドが高い」といった使われ方はまさに変なプライドの真骨頂です。

プライド自体はポジティブな存在です。人はプライドがしっかりとしていて、かつ品格が高ければ高いほど、人間力がより魅力的に発揮されます。そしてそういう中で発揮される政治こそが人間社会で未来を構築していく上で必須の問題解決力であり、リーダーシップです。これこそが組織開発という、入り組んだ社会構成的な問題解決の核なのです。

 

組織開発の実践は、リーダーシップの根幹である「人間力」を開発し、それによって好ましい「政治力」を駆使することから、生み出されます。もう計画倒れで頭でっかちの施策からオサラバしませんか。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?