社会や組織を実際に動かす政治を考える

政治という言葉があります。日常のイメージからかこの語彙を嫌う人もいらっしゃるようです。しかしその言葉の意味をしっかりと認識して判断している人はとても少ないように感じます。

政治とはその字の通り「政を治める」という事です。ではこの政とは一体どういうものなのでしょうか。「政」とは元々「祭り事」と同意で「神様の意思を伺う」という事です。つまり何らかの施策や意思決定に向けて神様に判断を仰ぐ行為のことです。それにしてもどうして神様に判断を仰ぐ必要があるのでしょうか。

皆さんも周知のように物事には正解があるものや過去に判例があるものもありますが、これまでに経験値の無いものや未来に向けて正解がないもの、更には両面価値があってどちらを取っても正解になり得るものが沢山あります。正に答えは「神のみぞ知る」といった按配の状況が多々あります。そういった場合何をどのように判断し、事を治めれば良いのでしょうか。

 

文明が発達した現代において、まさかアニミズム的な意思決定を行うような茶番が通じるとは誰も思わないでしょう。政治とはこのような状態に遭遇した時に求められる問題解決の在り方なわけです。専門力や情報力を持ち寄って命題を最善解に導いたり、駆け引きや心理的な融和を図って一定の妥協点を見出したりして事を進めていくのが政治的な問題解決の役割です。
心理的な融和を図るには、単に論理を話し合うのみならず、関与する人達の経済的、野心的な利害を調整することも必要になります。人は未だ感情を完全には抑制出来ない存在ですから、理論通りにことは進みません。
政治とは、そういった様々な要素が絡み合った状態を全体にとって最善となるように問題解決を行う活動です。ですから政治そのものに良し悪しはありませんし、むしろ現実の問題解決の場面において政治は必須の実務活動と言えます。

政治において問題となるのは、その活動において求められる判断基準の取り方です。明確な正解や客観的な基準がない中で意思決定が為される場合、その判断は主観に頼らざるを得ませんし、そこには判断する人の価値観や好みが入ることは避けられません。そして好みは自己のメリットにも結びつきますから、他者の認知として利己に映る場合があるということも否めません。また実際には本当に利己的に活動する輩もいますから、基準を考える時にそれが利己的かどうか、どれ位全体にとって最善になっているかどうかを見極める線引きが非常に難しいわけです。

特に利己的かどうかを見極める上で難しいのが権力の取り扱いです。権威と権力は時に一致することもありますが、そもそもは別の存在です。権威は社会的に他者から許容されている力で誰しもが違和感なく従う客観的な影響力です。むしろ発揮して貰いたいと請われる力です。例えば専門力や情報力、人間力といった力です。
一方権力は相対する責任との関係の中で公として形式的には認知されていますが、必ずしも万人が許容しているとは限らない非常に主観性が高い影響力です。従わざるを得ないから従うといった後ろ向きの力と言えます。強制力や報酬力、関係力、そしてどちらかといえば地位力も多くの場合こちら側に入ってきています。権威のある人は後者の力でも他者は進んで従う場合もありますが、例え権威ある力があっても権力的な態度行動が強い場合、他者から受容されなくなってしまい、権威的な力の方まで発揮することが出来なくなってしまうこともあります。

 

問題解決において権威がモノを言う場合は、そうそう波は立ちません。しかしどちらの言い分も是である場合や権威が発揮できない命題の場合、どうしても事を進めるには権力が求められる事になります。人の気持ちにとってネガティブな領域の側面が強い権力の行使は、人間社会において必要不可欠なダークサイドと言えます。その為利己的な人以外はあまり携わりたくない活動です。しかし誰かがそれを担わなければ事は進みません。また利己的な人がその力を濫用すれば問題解決は遠のくばかりか、返って混乱の度を高めることになってしまいます。

嫌ではあるし苦手ではあるがやらなければならない、とすればどうすれば良いのでしょうか。その一つは権威と権力の境目にある力、権力であっても権威に近いポジティブ的な力を有効に活用する事です。それは地位力と人間力です。地位力は最も分かりやすい論理的な力です。私たちが属する社会の殆どは「組織と名付けられたピラミッド構造をしたヒエラルキー社会」で、そこでは上位下逹の権限体制になっています。従ってその決まりに則って粛々と権力を行使すれば大きな反発や混乱は生じない筈です。

さてここで「筈」というところが着眼点です。先に権限体制と認めましたが、現実には組織は体制通りには動きません。態勢で動くわけです。では態勢とは一体どういうことでしょうか。人は誰しもがその心理に自我地位に対する欲求を持っています。自我地位とは社会の中で自分は他者よりも価値や力があり、容易に他者から支配されたくないという意思です。
その為面従腹背の如く、論理的には従属的に振舞っても心情的には独立的主体的な心持ちでいます。ですからその心情を軽視して従属させようと権力を行使すると、例え上位の地位にあっても恨みや反発を買い、何処かでバランスを取ろうと抵抗されます。人間音痴な人や対人の苦労を知らない人はこの機微が分かりません。そうして何処かで足元を掬われたり反逆の憂き目にあってしまったりするのです。

まして地位力は上位下逹の関係になければ機能不全となります。それ以上に社会における人間関係の殆どは横同士の横断的な関係です。そこにあるのは信頼による求心関係か、利害による牽制関係、その他の敵対関係といった力関係の嵐です。地位の力など及ぶものではありません。

そういった人間の本質を突いた存在が人間力です。他者に信頼や尊敬といったポジティブな心理状態を作り出し、それによって前向きに人に影響を与えて行ける力です。権力行使にとって最も有効な力と云えます。ですから政治的な問題解決を有効に行うには、まずは人間力を基底に持つことと云えます。

それでは人間力を持つには、それを磨くにはどうすれば良いのでしょうか。人間力の源泉は人への関心、それもポジティブな見方です。それにはまずポジティブに自分を見られるような自己観念の構築が求められます。そしてそれを論理的にも気持ち(行い)的にも他者に波及出来るような自己概念が要ります。一般にこれを哲学観とか信念と称します。こういった人生に対する世界観を身に付けていないと人間力を発揮させることは出来ません。

では哲学観とはどういった内容によって組み立てられるのでしょうか。これには3つの要素があります。

残念ながら今回はだいぶ紙面が多くなりましたので、これについての話は次回に回させて頂きます。皆さんは政治や権力、そして哲学をどのように整理して日々上手に使いこなしているのでしょうか。

 

さて、皆さんは「ソモサン」?