意を高めて行くにはどういったアプローチが良いか

頭がいい人は意があるのか?

これまで約3ヶ月にわたって心における「意」の持つ作用について言及してきました。意とは知情意という人の心を形成する3要素の中で最も中枢的な役割を担っている領域です。
意には、「思想」という表現や「思い」「考え」「観念」「意思」など様々な表現がありますが、どれを選んでも全体を表す良い語彙がないので私は単に「意」と云っています。

「意」は一般に「心」と称していますが、人の精神的な作用においては「知」や「情」といったそれだけでは無機的な「能力」を「目的付け」「意味付け」て有機的なものとする「中核的な存在」であり、まさに頭脳としての役割を担っています。
「意」は後天的に知の蓄積と情の発達によって複合的に徐々に生成され、「物心が付く」という言葉に代表されるように、ある時点を機に知の働きや情の働きに影響し始めます。
そして知と情は意を基点として相互に関係し合いながら認知や表現を形作り、それぞれ「理」や「気」という形で外面に表出されます。従って「意」が乏しかったり弱かったりする人は、丁度運転手のいない乗り物のようなもので、在らぬ方向に進んだり暴走したり全く動かなかったりと、存在そのものが害になってしまいます。まして能力が秀でていればいるほど被害は甚大になります。

このことは昨今の宗教団体の犯罪が高学歴の人達によって引き起こされた事例から容易に推察されます。
最近では有力新聞の社会部記者が韓国の元徴用工問題で日本の外相が抗議したことを「三権分立を無視した発言」と頓珍漢な批判をするといった事件も発生しました。この人は外相の言を「韓国政府に最高裁を何とかしろというのか。三権分立の無視も甚だしい」と言ったわけですが、「国際条約を国内法で反故には出来ない」という、新聞記者としては常識的なことすら身に付けていない発言をするような学習レベルなわけです。
私は農協などでも、農協法も知らないのに批判をする新聞記者を知っていますが、最早マスコミとしての社会的責任意識は地に落ちようとしています。しかし怖いのは、そういったマスコミが居るにも関わらず、その言を鵜呑みして自分の意も持たずに大勢に流された判断をする民衆の意のレベルです。最近はこういった、知には秀でているが意が全く貧困な人達が世間を賑わす事例が増えています。

巷では時折「彼奴は頭が悪い」という物言いがされますが、その際「知」が足りないのか「意」が足りないのか明言して話していない場合が殆どです。しっかりと話の筋道を聴いていると、過半数が「意」が足りない場合を指しています。

 

意の発動メカニズム

さてその様に人の言動や行動の肝となる「意」ですが、果たしてそれはどうすれば鍛えられるのでしょうか。巷を見渡す限り、「知」と「意」を混同して捉えている人が多いのと平行して、「知」を磨けば「意」が開発されると勘違いしている人が多いのが実際の所のようです。しかし論理的思考や財務・会計知識・マーケティングなど知を高めるようなアプローチから、実際に生身の人間を説得し組織を動かすとか、特に感情に大きく影響される人間の業に影響を与えることは出来るでしょうか。

意は理と気という二つの側面を支配しています。ということは意を形成するには気の鍛錬、情という領域の発達が必須と云うことです。ところが戦後の日本において気を強化する真剣な取り組みと云うことを目にしたり耳にしたりすることはありません。寧ろ気とか情と云った領域を忌み嫌うような風潮さえみられます。
そしてそういった風潮が続く中で、知の強化も理のための知と云うよりも、それだけでは意味を持たないような知のためだけの知の強化に邁進するようになってしまったのが現代であるように思われます。その典型が受験用の知識であり、それだけでの人間の評価を安易にしてしまい、組織を脆弱化させている学歴社会の闇です。我が社にも高学歴の人材が入社したことがありますが、与えた演算問題を処理するような思考には長けていても、自ら課題を形成したり、他者に働きかけたりしていく思考や行動が全く取れず、仮採用後に不採用になった者まで出てくる有り様です。

意を開発するには、意のための「有機的な知を増やす」ことと、知を意に向けて活かせるように「考える力」を養うことが必要になります。「有機的な知」とは、換言すれば「哲学観」「思想観」「人間観」の基盤となる「道徳や社会常識(リベラルアーツ)」です。そしてもう一つ不可欠なのが情を自由闊達かつ柔軟に操れる「気の醸成」です。この側面の力は組織や人を動かす上で最も重要となる「政治力」を駆使できるようになる前提条件でもあります。

JoyBizが開発した「LIFT(Life Intention & Force Treatment)…人生を活性する為の意思と活力の調整」というプログラムは意を開発し、革新を産み出す上で必須となる「創造力」「胆力」「活性力」「行動力」「積極性」「レジリエンス(耐久力、復元力)」の為の「マインドヴァイタル(心の活力)」を鍛えることから、事業開発や組織開発を現実化させることを目的に普及を展開しています。

 

具体的な手法

それでは数あるノウハウの中から一端をご紹介しましょう。

【意の開発①:有機的な知を増やす】

最も簡単なレベルは「有機的な知を増やす」です。知識が増えれば思考の幅が広がります。そうすれば認知の在り方が変わります。ここで云う知識とは教養のことです。ただ人は受動的な情報による知識の場合、自分に都合の良い解釈をして合理化を図ったり取捨択一をしたりして、自分の持つバイアス内で自己保身を働かせようとする意識を持っています。ここでも意と知が別の存在であると云うことが識別できます。意にガツンと影響するまでの情報や知というのはなかなかありません。凝り固まった知の枠組みを外させるには情の領域からのアプローチが必須になります。
詳しくは講座内で紹介しますが、一つは行動を変えさせて能動的に気づきを起こさせ、視座や視点を変えさせ視野を広げるという方法があります。自分で意識できない暗黙知や未知の情報を体験によって触れさせることから、知識の立脚点や流れを変えさせるアプローチです。

皆さんが今日すぐに出来ることは、ともかく外に出て情報接触することです。収集ではありません接触です。収集はその時点で自分の恣意が入る行動です。何でもそうですが慣れない行動は、最初は違和感があります。それを少しの我慢で乗り越えられるかどうかが変化の第一歩です。実はこれも情が深く関わる鍛錬の領域になります。
その話は後にして先ずは知の話を続けましょう。

 

【意の開発②:哲学を知る】 

皆さんは人が動物と異なる最も人らしい活動とは何か理解されていますでしょうか。それは芸術です。絵画、音楽などジャンルは様々ですが、芸術的思考は人の意を最も豊かにさせる力です。LIFTではその意味を詳しく伝授しますが、まあ騙されたと思って一度は芸術の世界に足を運ぶことです。そしてそれに肩を並べるのが哲学です。自信の哲学力を高めるには「評論力」と「内観力」を収めるしかありませんが、まずは「哲学」を知ることです。それによって自分の内面に自他共に納得できる「目的観」「意味意識」を作り出すことです。
意の作用とは元来物事を方向付けするときの自己概念の表出です。最も簡単なのは答え、それも正解があることを模倣することです。それには自分の意思などはさほど必要ではありません。しかし現実の世界は答えが分からない、それ以上に答えがない中で答えを作っていくことが殆どです。誰も答えを持っていないのですから自らが作り出す以外に方法はありません。そしてそれをもって周りに影響を与え、実現化させていく必要があります。
そこには自分とは異なる答えを想像している人もいるでしょう。そうするとそこでは駆け引きや合意形成などの政治力が問われることになります。未来はそうやってしか紡ぎ出されません。「自分なりの意思」、すなわち哲学観こそが人が人たる所以なのです。芸術は哲学の具象的な発露の姿です。そういう哲学を身に付けるにはまず評論の目を身に付けることです。これも詳しくはLIFT内で紹介しますが、まずは哲学書、或いは文芸書を手に取ってみて下さい。

 

【意の開発③:「認知の修正」と「体感」で気を高める】 

さて、意を磨くには気の醸成が必要になると話しました。情の世界において最も重要なのは、負である気を押さえて正である気を高めることです。言い換えると気持ちを「ポジティブ思考」に留め、更にそれを高めることです。理は解することから普及されますが、気は波動的に伝播していきます。ネガティブな気はネガティブを産みますし、ポジティブな気はポジティブな雰囲気を産み出します。
人を始めとした生物はその本性として発達と成長を基盤とした内在意識を持っています。従って発達や成長にポジティブな気であればあるほど物事はスムースに動くのが摂理です。多少のネガティブもスパイス的に大事ですが、基盤はポジティブです。活力も能動も全てポジティブがもたらします。
人はネガティブになると思考も意識も沈滞し、やがては病んでしまいます。このポジティブ状態をマネジメントするのが気の醸成の真骨頂です。人がお互いに、また全体的にポジティブな世界を望むのが本性であるという真理から導き出されるのは、哲学の本質は万人のポジティブな状態の創出ということです。であるならば、哲学を理として紡ぎ出す原動力はポジティブな気によってでなければなりません。まさに意は知と情という二つの要素が合わさってこそ作り出せる存在といえます。情の醸成を外した意の形成はあり得ないのです。文武両道、文武不枝、昔の日本の思想観は真理を突いていました。

 

では気を醸成するにはどうすれば良いか。気には安定と向上という二つの領域があります。先ずは気を安定させる力、そして気を高める力が求められます。JoyBizでは前者をレジリエンス(resilience)、後者をモメンタム(momentum)またはビガー(vigor)といっています。モメンタムは瞬発力、ビガーは持続力です。気を高めるにはまず自己の認知パターンをポジティブにする必要があります。
人は幼少期からの様々な経験を経て千差万別にネガティブな側面を持っています。それはみな認知の問題です。それを知識と内観によって矯正することが効果的なアプローチです。このアプローチはすでに療法として国の保険も付いているやり方です。しかし何よりもそういった認知を持続させるには、やはり五感を使った体感的な境地の会得とそれを産み出す技法の習得が一番です。
これもLIFTの中には実践を踏まえた伝授がありますが、レジリエンスの領域は禅の技法、モメンタムはヨーガの技法がもっとも適切だと云うことが分かっています。こういった実践的技法は、最近では医学的にも脳科学的にも証明されており、療法的に取り入れられています。

因みに日常的には、レジリエンスはウォーキング、モメンタムにはジョギングが最も効果的と云えます。サーキットトレーニングも良いです。いずれも日光の下でセロトニンの分泌を増やすとより効果的です。運動はそれだけで情がポジティブになり、気が高まります。

さて、皆さんは「ソモサン」?