きっちり頭を使えば身も心も楽になる

恩田 勲のソモサン:第十二回目

日本企業の筆頭に上げられるトヨタさんでは、問題に解決において「何故」を5回繰り返せと教えているそうです。例えば、「生産性が低いのは何故か」と問われた場合、単純に「手持ち(待ちの時間のこと)が発生していた」と応えただけでは、「では手持ちが発生しないようにしろ」という応えになってしまいます。本当にそれで手持ちが発生しなくなるのでしょうか。トヨタでは問題が確実かつ根本的に解決するように、更に問いを続けます。「何故手持ちが発生するのか」。そうすると個々の作業現場だけでは解決できない問題が見えてきます。「前工程からの部品がタイムリーに届かないからである」。更にそれを追求的に問いかけると面白い問題が浮き彫りになってきました。「届かないのならば取りに行けば良いではないか。何故取りに行かないのか」。その応えは「前工程でも同じように待機している」だったのです。この場合樹木が広がっていくように「工程間のリレーションやコミュニケーションが悪い」といった別の問題が浮き彫りになることもあります。この場合は「作業現場の起点からが待ちになっている」という実態が見えてきたわけです。
そこで更に「何故待機しているのか」と原因を調べてみると、「倉庫からの材料払い出しに時間が掛かっている」という他部署が起因する問題であることが発覚してきました。では何故倉庫は材料払い出しに時間を掛けてしまっているのでしょうか。今度は倉庫に問い質します。「何故払い出しに時間が掛かっているのか」。結局は原料の置き場が一定しておらず、探し出すのに時間が掛かっている」ということや「材料切れが発生していた」ということが分かってきました。最初の「何故」からは随分と深く幅広い領域での理由が浮き彫りになってきたわけです。これでは作業員個々に手持ちの改善を要求したところで何らの解決はしませんし、製造現場という縦割りの中でも問題は解決できません。却って不満や嫌気を助長するだけです。こういった問題は更に「何故」を進めるともっと違った問題が出てくる可能性があります。たった5回の何故を行うだけで問題の焦点が大きく変わってくるわけですから、トヨタさんの云う回数でも少ないのかもしれません。

実際に問題解決をより本質に行うにおいて、再発防止や普及を基軸に考えると問題の発生源を掴むと云うことは非常に重要な思考作業と云えます。このことは日常生活における問題解決においても大切な着眼点と云えます。問題解決能力の高い人、いわゆる頭の良い人はこの原因追及の論理性が実にシャープです。米国のコンサルタント会社のマッキンゼー社では、コンサルタントの問題解決力養成の中で「Why、So What」という論理思考の徹底を義務づけていますが、確かにこの「何故」と「どうして」に関する取り組み姿勢が問題解決力、頭の良さ力の90%以上を支配していると云えます。

論理的思考における何故とどうしてには、それぞれ2つの側面があります。一つは現状の分析、そしてもう一つがその遠因です。何故であれば、まず「何故そうなのか」「何故そうなっているのか」といった現状の因果分析が必要です。これは「何を意味しているのか」「どうしてそうなるのか」といった問いかけになる場合もあります。
頭が悪い人の場合、この作業すら頭が回転せずに、物事を見たままにしか受け取れなかったり、相手の言葉をそのままに受け取って反応したりする場合が殆どです。そうして狭い解釈力のままに年齢だけは重ね、固定観念や偏った想念でのものの見方や判断をする人と、問題解決を共にしなくてはならなくなった時の心労はかなりのものとなります。
ともあれ問題解決においてもコミュニケーションの円滑においても、物事や相手の本質を読み取る思考は不可欠な能力になります。さて因果分析と同時にもう一つ求められる「何故」思考が、「何故そうなったのか」「どうしてそうなっていったのか」という遠因を遡及していく思考です。「何故そうなのか」が空間的思考とすれば、「何故そうなっていったのか」は時間的思考といえます。この時間的思考が出来なければ、本質追究の過程を踏むことは出来ません。それでは対処療法的な手立てしか打てなくなってしまいます。トヨタさんのいうような5回もの何故の連鎖的究明思考は時間的思考が出来るかどうかに関わっているわけです。

こういった時間的思考には「So What」といわれる「それでどうする」という局面でも発動されます。空間的思考での「So What」は時間的思考では「それでどうなる」「そうするとどうなっていく」という表現になります。打った対策や打たなかった施策がそれによってどういう連鎖的な結果になっていくかを予測するためには必須の思考です。再発をさせない手を打ったり、影響を極力抑えるような手を打ったりするには、この領域においても時間的思考が出来ないと致命的になりかねません。
頭の良さという判断にとって、空間的思考は基盤と云えます。寧ろ問題解決や未来に向けて楽しい人生になるように機会を開発して行くには、時間的思考の方が大きく意味を持ってきます。しかしながら私のこれまでの経験からするとこの時間的思考が出来ない、出来ても非常にお粗末な人が多くいます。残念なことにこういう人は非常に短絡的で刹那的な発想や思考になっています。従ってせっかく経験をしても学習しませんし、同じことを繰り返したり、予測性が立つ失敗をしたり、何よりも思考に柔軟性がないので人の話が真摯に身に入りません。そうしてすぐに人生の隘路に引っ掛かってしまいます。

思考は訓練によって鍛えられます。大事なのは意識することですが、それには自分に対しての率直な気づきが求められます。そして気付くにはそれこそ自分に対しての謙虚な「何故」と「それでどうする」思考が求められます。まるで「卵と鶏」の話の如し、です。頭が悪いと云われるよりは良いと云われた方が気持ち良いことは確かです。
人生はきれい事ではなく率直にやり取りした方がスムースですが、これも問題解決力が高い人ほど、つまり空間的時間的思考力が高い人ほど率直なことも確かです。これは自分に対する自信が為せる技と云えるのではないでしょうか。まあ人がどう自分を判断したところで、大事なのは自分で自分をどう見ているかが全てですが。
少なくとも私はきっちり頭を使って日々をポジティブでかつストレスレスに生きたいと思っています。

さて、皆さんは「ソモサン」?