考えるという行為を考える

恩田 勲のソモサン:第十回目

考えるという行為には3つのアプローチがあります。「頭で考える」「手で考える」「足で考える」です。

頭で考えるとは、
単純に脳内で思索することです。記憶されている情報を駆使して分析したり、整理したり縦横に組み立て直したり、異なった情報を加えたりしながら、新しい情報価値を創意したり生み出したりする行為です。これは一方で意識的な情報でのやり繰りに偏ったり、形式知的な情報に偏った思考に陥りがちな思考行為です。

手で考えるとは、
いわゆる書くという行為です。書くという行為は単に記憶を追体験するだけではありません。反芻によって今の自分の状況を俯瞰することから、記憶が作られた渦中にいたときには見落としていたものに気付く行為です。得た情報や記憶に対して自身の思想を持って思考を多面化する行為でもあります。

足で考えるとは、
現場に足を運んで実体験をするという行為は、単に感覚的に物事を捉えるのみならず、五感的な情報をもって暗黙知を捉える行為と云えます。そこで積み上げられた経験は、思索だけでは得られない情報を入手することに繋がり、そこへの気づきがこれまでとは全く異なった情報価値を形成することに繋がります。足で考えるという行為には人と対話するという活動も含まれます。

考えるという行為は単に機械的に情報をくっつけたり離したりという作業ではありません。何に基づいてと云う考えの柱が必要になります。特に意味を見いだす考えは、自分の意識下で何を軸として採用したかに影響されます。それは自分自身としては無意識的に作動する場合も多々あります。こういった軸の選択のことを価値観とかメンタルモデルと称します。更に幼少期から癖付けされた領域としてスキーマという観念があります。スキーマは感情的反応までに落とし込まれた条件反射的な固定観念、思い込みです。人間はこういった心理的な現象によって自分自身を規定した軸の上で日々の判断や思考の選択をしています。これは自分自身で内観してそのことに気付くか、何らかの肌感的な違和感の体感によってハッとするか以外に容易に変容はしません。この事実は「頭で考える」ということだけによる問題解決アプローチの危険性を明確に示唆しています。

「考える」という行為を単に「頭で考える」のみによって成り立つ論理的な思考作業のように捉えている人がいます。そしてそういった思索の仕方が合理的でさえあれば問題解決の在り方はベストであるという人を沢山目にします。またそのための技法を磨く研修に精を出す風潮も至る所で目にします。知的エリートが集まっている筈の大組織の中でもそういった有り様です。

そして現実的には全く問題解決が出来ず、同じ所をぐるぐる回っている姿を垣間見ます。本当に深い嘆息を禁じ得ません。果たしてそれが「頭が良い」と云われる所作なのでしょうか。実際にそういった研修を受けた人の感想は、「とても為になった。でもこれを実践でどう活用すれば良いのだろう」「思考法は身に付いたが現実の問題解決に繋がらない」といった声です。実践的でないというのが殆どなのです。これは自腹を投資して自ら能動的に受講した人から出ている声でもあるわけです。これでは何のための研修なのかと言わざるを得ません。研修は担当者の自慰行為ではないのです。

何故こういったことが起きるのでしょうか。これは明らかに「考える」の3要素の内、大切な2つの要素が抜け落ちているからです。「手で考える」ことによる自分の観念の偏りや抜け落ちへの気づき不足の解消、「足で考える」ことによる自分が認知していない情報や知識の欠落から生まれる思考の脆弱さの解消といった思考過程が「頭で考える」だけのアプローチでは満たされないからです。

手や足を使って考えることは、受動的で静態的な『知的思考』ではなく、能動的な『意的思考』の領域に属します。そしてこの2つの思考は自ら思考の軸となる仮説を設定し、それを知的な思考によって肉付けし、更に体験によって検証し、仮説を立証したり修正する流れを通して、自らが主体となって問題解決に着手していくという、動態的で本質的な思考の在り方を生み出します。このような学習プロセスがあってこそ人は思考を実践に移すのです。

今、社会的には「頭で考える」アプローチの偏りや欠落を補うため、経営者層が「禅」という取り組みを活用しようとしています。「禅」のアプローチは3つの「考える」という要素が修行の中に全て組み込まれているからです。しかしそれを、それこそ「頭で考える」ことしか出来ない担当者が「思い込み」「先入観」という偏りによって理解することが出来ず、経営者の慨嘆の源になっています。また、先に述べた意的思考の方法として「リベラルアーツ」という世界がありますが、それも巷では余り理解できていないように思えます。

ともあれ、今のビジネスマン、特に中堅層に求められるのは、知的思考よりも意的思考であるのは確かです。ただでさえ学歴社会の日本において、それなりの学才が集まった組織の中で、何故現実的にイノベーションが起きないのか、能動的な実践活動が起きないのか、経営管理に関わる責任者の人達は真剣に考えた方が良さそうです。
まずは思考訓練の在り方から見直してみては如何でしょうか。

さて、皆さんは「ソモサン?」