有名人の不祥事に隠れるストレス

恩田 勲のソモサン:第六回目

最近の報道をみていて、「何かおかしい。何かが狂っている」と思っていることの一つに「有名税は本当に対価となっているか」というのがあります。
有名人であろうが無かろうが、基本人は人です。有名人だからといって神の心を持っているわけではありません。ところが今の風潮は有名人即ち聖人という認識になっているように思えます。

そこから言いようのない臍を噛むような出来事が世相を賑わしています。現代のような情報社会においては公私の区別が非常に付け難い環境になっています。監視社会とも評されていますが、ともかく有名になればなるほど日常のあらゆる行為が世間の耳目に晒されています。このストレスはかなりのものだと思われます。おそらくは本人も想定が及ばないほどのプレッシャーがのし掛かる状況に陥っていると云えます。

通常ならばこの状態が数ヶ月も続けばうつの症状が出始めます。そこに睡眠不足や遠距離かつ頻繁な移動が加われば、間違いなく心が病みます。そういった状態の時に多くの人がストレスから逃れようとするのがお酒です。一時的な現実逃避です。ところが心が弱まっているときにお酒によって理性のたがを外すと押さえておいた欲望が爆発します。その多くは社会ルールからの逸脱行動です。例えば酒乱です。日常礼儀正しく振る舞う状況に強く支配されている人ほど大騒ぎしたり、暴れたり、絡んだり、横柄になったりといった行為に走ります。
そして最も多いのが異性へのセクハラ行為です。またその異性と不適切な状態になって世間を騒がせる有名人もいます。これもよく観察すると、単なるスケベではなくて孤独からの逃避、相手への癒しを求めての行為であることが殆どであること思われます。一方でその孤独感や精神の乱れを理解できず離別に至るケースも良くあります。カップルの両者が有名人の場合は尚更です。元より心がささくれ立っている者同士ですから「どうして私の気持ちを分かってくれないの」とばかりに簡単に関係が壊れてしまいます。こういったことはストレスからくる錯乱が中心であって、その人たちの人間性の問題ではありません。
ところがマスコミの報道をみていますと、それがその人の全人格のように叩きます。果たして自分の行為がどういった事態を招くかも分からない知性に劣る人がどれ位いるでしょうか。それでも歪んだ行為に走ると云うことは、明らかに心が病んでいるからです。

誰しも志があるならば有名人になりたいと思うのは健全な心と云えます。しかし有名人になる代償、有名税のあり方は本当に等価的な好ましい状態でしょうか。ここ最近社会的な正義に反したといって叩かれ舞台から降ろされ、その上損害賠償金といって数億円を負担させられる有名人が増えてきました。確かにこの人たちが取った行為は好ましいものではありません。しかし逸失したものは外部の方、しかも部外者が叩くことに比しているのかと
いう疑問が強く残ります。これは今の社会的な寛容さの喪失の方が大きな問題として誰かが取り上げないと本当に大変なことになると懸念する限りです。
最近公表されたことですが、といっても国家は認めていませんが、ロシアの英雄ガガーリンは英雄視される、あるいは英雄化される国家施策の中、そのストレスに揺さぶられ、酒に酩酊して女性に関する不祥事を起こし掛けたことがあったそうです。国家の威信を守るため出来事に箝口令を敷き徹底的に隠蔽し、ガガーリンを更に英雄化しよう画策したそうです。結局ガガーリンはそのストレスの中で事故死しますが、ひょっとすると自殺だったかもしれません。ただ宇宙飛行士として初めて宇宙に行ったということが、英雄になりたかったわけでもない人の健全な心を奪い取り、苦しめることになったわけです。生前ガガーリンは自分が有名になることがここまで自分の生活を制限するとは思っていなかったと述懐していたそうです。これはイギリスのローレンス大佐もそうでした(アラビアのローレンス)。

この問題は洋の東西を問わない話です。人はもっと人の心と云うことに目を向けて適切なアプローチをしていかなければなりません。21世紀は心の時代なのです。そういったことを語るにおいて、私には個々人の問題以上に気に掛かることがあります。それはこうった問題に対してその解決の先頭に立つのが本来の役割であるはずのマスコミという業界が、自らの姿勢に何ら疑問も感じず自画自賛的な正義面をして金儲けに走る報道へのあり方です。
確かにそういった偏った報道に対してフィルタリングを掛けられない今の大衆の無教養さも問題です。これはまさに社会人としての思想教育の欠落が生んでいる国家施策レベルでの弊害に端を持った話です。
今の大衆は思想として正義の意味や正義のあり方についての考えを持っていない状態です。その歪みは重いと思います。しかしそれ以上にその思想のない人たちに対してこれまた思想なく報道という心を殺すこともできる武器を乱用して社会を不寛容な状態に先導するマスコミの姿勢には身震いする思いです。
以前私はあるマスコミの編集長の取材を受けましたが、日本の最高学府という学歴を持っている人で、知能レベルはともかくその雑誌への思想のなさ、自分たちの使命に対する考えのなさに呆然とした経験があります。これでは誰も文章を読まなくなるのは必定です。ところがその部数の凋落をこういった煽り記事で補おうとする思想のなさには最早語る術がありません。

いずれにしても、私は、問題を起こす有名人も確かに心に隙があると云えますが、重要なのはその隙を作るストレスの存在、そういったことへの理解促進やケアこそが問題解決の一歩である考えています。今の功利主義に陥ったマスコミやネットワークによる報道は、心への殺傷力を持った武器を使用することであり、銃規制と同様に無知蒙昧な大衆や心の病んだ民衆に解放していることへの抑止こそが、言論の自由や報道の自由といったこととのバランスをどのようにとるかということを含め、喫緊な社会的問題解決であると切に考える次第です。
さて皆さんは「ソモサン?」