父性や母性と云った親性の復権を考える

恩田 勲のソモサン:第二回目

私事になりますが、私は少年期の頃入学した学校と出た学校が全て異なるという経験
をしています。いわゆる転校生です。まあ大学もそうでしたがそれは自身の問題で、
高校までは全て親の仕事の都合でした。お陰様で今でも「出身は?」と聞かれると答
えに窮します。時には「自分の経験観だけを押しつけるな」と捻くれるときもありま
す。ともあれその為に人付き合いでは結構心砕いた子供時代でした。

中でも悩んだのがいわゆる「虐め」の標的です。周りに助けてくれる幼なじみもない
状況ですし、頼れる友人も未だ作れていない頃に屈折した連中に絡まれるのは苦痛な
ものです。こっちこそがストレスでぐれたくなってくる心境になります。それでも
「うつ」的にならなかったのは、自分はそういう連中に屈しないとかやり返そうと思えば
やり返せるという妙な自信があったからです。「正しい方が負けたらおかしい」という
今考えると根拠は脆弱だったのですが自信があったのです。

それを幼少から仕込んでくれたのは一昨年亡くなった父親です。夜食事の時に語る父
親の言葉は幼少期には威厳を感じて聞き入ったものでした。今考えるとその父親の意
見や姿勢を常に母親が裏付けるように時折解説していたのも功を奏していたと思いま
す。ともあれ20代位までは父親を畏怖していたのは確かです。

私はそういう少年期を過ごして今日があるわけですが、振り返るに昭和30年代位まで
の子供は私と似たような感慨を父親に持っている人はかなりの数に上っていると思い
ます。あの頃の父親は何処の人も威厳がありました。「サザエさん」という漫画は昭
和20年代からの作品ですが、その頃書かれた波平さんもかなり威厳のある風体で描か
れています。

さて今回私が着目しているのは、父親が持つ威厳がもたらす世界です。始めの方に
虐めに我慢する状況を書きましたが、私がいじめっ子に手を出さなかった理由がもう
一つあります。それは「父親に恥をかかせてはいけない。父親に迷惑を掛けてはいけ
ない」という思いです。私の父親はお国に関わる仕事をしていて、それで全国レベル
で転校を繰り返していたのですが、地元の悪ガキに手を出してそれが父親に波及する
のを危惧したわけです。また次の転校にも支障が出ます。尊敬する父親に自分の不徳
で影響を及ぼしてはいけない。この思いが一定の抑止力となって自分を衝動から一歩
引かせる行動を選択させたわけです。

長幼の序とか親を敬うというのは儒教の教えと云えます。日本では江戸時代以降武士
道の中核として教えられていました。私のご先祖様は岡山と鳥取の間にある藩に属す
る武士でしたから、代々こういった教えを当たり前と教えられてきたと云えます。
ただ武士階級に限らず、日本においては明治以降修身教育においてこういった儒教的
な教えは一般社会に広く流布されていたといえます。修身教育には現代にはそぐわな
い思想的な内容も多々ありますが、日本人の社会活動において西洋の宗教教育に代わ
る道徳心や意性の形成に大きな役割を担っていたのは確かなことと云えます。

戦後73年。そろそろ戦後のGHQによる従属のための洗脳的な指導から脱却し、良いモノ
は良い、悪いモノは悪い。日本人の生き方はこういう生き方が合っていると云った
主体性を持った弁別をすべきと思います。
戦前の日本も敗戦によって何でも悪になっています。度が過ぎた面は確かですが、
西洋列強によって致し方なかった面もあります。戦後の日本は自虐観から寛容の精神
までもなくしてきており、それは意性の放棄によってますます拍車が掛かってきてい
ます。日本は真の意味での自信の復権が必要だと私は思います。
皆さんは、「ソモサン?」