チープアダルト人材が招く社会的影響とは

  前回「広汎性発達障害という領域への理解や対応」という社会的な課題に便乗して横行する「チープアダルト人材」へのアプローチについて触れましたが、今回はそのテーマをもう少し深掘りしてみたいと思います。

  前回も案内しましたが「チープアダルト人材」は人としての基礎教育が不足している中から生じる後天的な問題です。人が社会的な存在であることは誰しもが前提とするところですが、そういった社会的な行動ということに対しての基礎知識の習得も訓練もされておらず、本人的には悪気がなくても周りに対して弊害を生み出します。またチープアダルト人材には、基礎知識はあっても甘やかされて育ったことからもたらされる意、一般に云う精神力の脆弱さによって自己制御が出来ず、社会的に有害となる発想や行動を平気で行うといったケースもあります。

  いずれにせよ、チープアダルト人材は社会的な努力によってある程度是正や改善が出来る問題です。

 

チープアダルト化する2つの要因 〜知性と意性〜

  例えば基礎知識がない場合です。これは良く「無教養」がもたらす弊害と云われる場合です。例えばスポーツなどの領域で、狭い社会環境の中だけで通用する常識しか認知出来ない人がいます。中学卒位からそういった社会の中だけで生きているのですから、領域外から何を云われても理解が出来ません。またそういう人だけで領域を形成しているわけですから、集団思考という心理が歪んだ形で働いて、集団内の全員がことの是非に関わらず自集団を維持することだけに終始するばかりで、自己改革など起きるはずもありません。更に深掘りしますと、運動中心の生活で論理に対する思考訓練など為されていませんから、ことの原因究明とか解決に対する論理思考などが出来ず、論理的探求や合理的解決の立案などほど遠い状態になる、などは自明の理と云えます。そういう人達に自律的問題解決などを求める方が野暮というモノです。まさに「それ位顔付きを見ていれば分かるでしょう」と云った案配です。こういった人達は変化や外圧に対してはただただ自己保身に走り、その為の集団凝集性を発揮するばかりです。

 

  さて、チープアダルト人材の問題は、こういった無教養といった知性面からもたらされる内容よりも、「甘ったれ」といった意性面からもたらされる内容の方が弊害は大きいと云えます。「甘ったれ」とは様々な葛藤や苦労が伴う中で研鑽され修得されていく、自己の内面や人との関わりにおいて重要となる意性が磨かれておらず、自己との対話や他人への配慮、思いやりが出来ない人材を云います。

 利他という気持ちが持てず、人を道具のようにしか思えない人。自分の責任による自己劣等が克服できずにそれを他人に転嫁し、人を攻撃したり騙したり睥睨したりと自分の感情のはけ口を人に向けて自己安定を図ろうとする人。そもそも甘やかされてきた中で、人へのお陰様とかありがたみという感覚に目が行かず、人に感謝とか配慮と云った反応が出来ない人。或いは対人への経験が不足しており人の気持ちや思いが洞察できずにそれを何時までも苦手とし、狭い関係や与えられた環境の中でしか対人関係が出来ず、自己成長までをも狭めてしまう人、など様々な弊害があります。特に最後の場合などは、幼少期からの偏った教育によって無機質的な人材がどんどん排出されるに及び、政治や企業経営を劣化させることに繋がっていることは非常に憂慮すべき状態になってきています。こういった人材は、頭は良いのですが、ビジネスの中では新規開拓や新しいネットワーク作りが出来ませんので発想が「井の中の蛙大海を知らず」になったり、葛藤を回避しますので異なった考えの人達と新奇性を生み出すような取り組みが出来なかったりします。

 主観的な意見ですが、一様に「中身はないのに格好付けだけは一人前」「夢ばかり語るがきれい事が多くて現実性がなく、地に足が付いていない」「人の指図を嫌い、独立性を主張する割に意気地がない」「口は達者であるが行動力や胆力がないので人は付いてこない」という人が多い感じがします。

 

意性型チープアダルトの防衛規制が生み出す弊害 〜怨みのエネルギーが他者の人生を滅茶苦茶にする〜

 皆さんの周りではどうでしょうか。「本当に頭が良いのならば、論理的に考えて今の自分の活動がどういう結果を生み出すかくらい予測しろよ」と云いたくなるのですが、ここが知性ではなく意性に問題がある所以です。そういうことへの思考回路は自分に都合が良い意に向けてしか働かず、マルチプルには作動しないわけです。それが「意が意たる所以」なのです。そしてそこから発せられる防衛機制力は絶大です。例えば今回の記述を自分に顧みて自己対話する人は健康です。自明ながらも自分に言い訳する人もまだ将来的な見込みはあります。面倒なのは受け入れない、それも無意識的に「俺は違う」とばかりに受け流してしまう人です。これは最も深遠な認知への自己防衛反応です。心に引っかからないのですから修正も矯正もその余地がありません。

 こういったチープアダルト人材の自己防衛反応の中でも最も厄介で対人や社会的な弊害を及ぼすのが、劣等感に根ざした「認知の歪み」の防衛的他者転嫁です。特に若い頃から蓄積された歪みのエネルギーは恐ろしい位の「怨みのエネルギー」を生み出すことがあります。

 

 かつて私の身近で起きていた事件を例に取ってみましょう。

 私が高校の頃、近所にいた同級生で芸能界に入った人がいます。漫画雑誌の募集を射止めた極めて幸運な男性でした。本人の顔立ちも良く、まさに鳴り物入りのデビューでした。

 一時はかなりの宣伝もして貰っていました。ところが期待される程のセールスとはならず、雑誌の方でも騒がなくなっていきました。そうしている内に、最初はパッとしなかった同時デビューした女性の方がどんどん売れ始め、恐らくプロダクションもそちらの方を期待したのでしょう、男性の方は徐々に名前も聞かなくなっていきました。

 そして女性の方が新人賞を取るに及び男性の方は全く名前を聞かなくなりました。

 ただ、近所でしたので幾つかのその後話は耳に入ってきていました。元々は地味な職業のご家庭だった様ですが、その後、家の近所にその時付き合っていたのかかなり有名になった女優さんがうろうろしていたりと、性格もあるのでしょうが、一端身に付いた芸能界の派手な生活のためか、かなり格好を優先にした生活をしている印象でした。

 結局表向いて名を聞くこともなく20年以上が経ち、私も引っ越したのでその後の行く末は知る由もなかったのですが、ある日衝撃的な話が飛び込んできました。かなり有名な芸能人がある種のセミナーで認知操作をされ、大きな社会問題となっているというのです。その人はそれなりのカリスマがあり若い人を中心にかなりの影響力を持っています。それに例の同級生が大きく関わっているというのです。私は行動心理学が生業の一つであることもあり、この騒動に対して強い関心を持ち、詳しくその経緯を追ってみることにしました。

 世の中には様々なセミナーがあり、全てがおかしいわけではありません。しかし一部の活動が例えばヨーガのイメージを歪めてしまったり、宗教をズレた価値観の認知にしてしまったりという困った側面があるのも事実です。特に人間の心に関わるセミナーは一部の不届き者のために、心理学という科学までもが世間に負のイメージを与えてしまっている現実があります。普段は関わることのない芸能界の一騒動ですが、何かの縁を感じることもあり今後に役立てるべくこの騒動の経緯を調べることにしたわけです。ここからは私の行動科学知識を活用しての推論や仮説の記述になり、事実が検証されている話ではありませんので事前にお断りさせて頂きます。

 

周囲がチープアダルトの影響を止められない集団構造と心理メカニズム

 この話を推論するにあたりまず外せないのは、この騒動の主役足る芸能人は何故あれだけの栄光とカリスマを得ながらも、意図も容易く認知操作されてしまったのかということです。

 彼自身の自伝や幾つかのレポートを読む限り、この人は、生来はポジティブ思考で明るい人のように推察されます。一方その相方である幼なじみのスターの方は天才肌の人でどちらかというと若い頃はネガティブ思考をエネルギーとして活動していたようです。一言でポジティブと云いますがそれを心理学的に見ると様々な側面があります。ポジティブというのはとても活動思考的で能動的ですが、反面深く考えずに邁進する面があります。場当たり的な生き様に偏りがちと云う特徴の人も多いようです。

 ネガティブ思考も同様です。ネガティブは反対に内省思考が基本で深謀遠慮である特徴が見られます。考えすぎて疑心暗鬼に犯され、それが迷いの起因となったり、ストイックになりがちな面もありますが、それがストレス耐性を高めることに繋がり、逆境に強くなったり創造力が高まったりすることもあります。またポジティブが場当たり的なのに対してとても目的的な生き方をしようとする特徴があります。

 どちらにも良し悪しが内在しているのです。ですからこの両者が上手く組み合わさると絶大な力を発揮していきます。この二人も一定の好循環のバランスを生み出し、より創造的でかつエネルギッシュな活動を生み出していったことが予想されます。

 反面この関係は、本来は陽と陰の関係ですから引き合ったときにはがっぷり四つになりますが、それが少しでもズレると磁石の様に斥力が強く働き始めるのも確かです。

 この人たちの場合、海外進出において無理をし始めたときがきっかけでそれが起こってしまったように思います。他にもきっかけがあったのでしょうが、主因は実力以上の場に立ったことから来るバランスのズレだと思います。そしてその引き金となったのが英語力であったとみています。それまでずっと追い風でやってきた彼らにとって、この壁はチームとしての彼らにとっては大きなストレスになったはずです。しかもバランスを崩したのがポジティブ側の人材だったのがチームストレスを更に大きくすることになってしまいました。ポジティブな人のつまずきは重大です。リーダーシップとは表に出る人ばかりとは限りません。陰でチームを支えていたポジティブエネルギーが弱まり、ネガティブエネルギーの力に打ち負かされる事態に陥ってしまったわけです。そしてそれが二人の関係の中でデス・スパイラルを生み出してしまったのです。恐らくはこれまでの激務による肉体的な疲弊も裏にはあったのではないでしょうか。

 ともあれ、チームはネガティブエネルギーに凌駕されることになり、ポジティブ側の人はガス欠状態に陥ってしまったのだと思います。またネガティブ側も陽のエネルギーがなくなればバランスが取れなくなり、安定さをなくしてしまいます。

 ここにおいてもう一つの問題が首をもたげてきます。人生目標の有無という問題です。今までポジティブ側の人は、ネガティブ側の人の持つ目標を頼りに相互関係によって活動してきたと推察されます。ポジティブの強みは今ここにおける活力の強さですが長期的な視野は苦手です。お互いが補完関係にあった中でこれまでは相手の強みに依存して生きてきたわけですが、相手に対して不安感(不信感ではなかったと思います)をもった刹那、自分独自の目標観の有無に直面したと思います。目標や能力という存在は自己認知の問題であり人がどう云おうが思おうが本人が決定することです。

 だからこそ自分で自分に疑問を持った瞬間、大きな無力感と虚脱感が襲ってきます。そして次に強い自己否定感が湧き上がってきます。

 さあ問題はここからです。人はこういった状況に陥ったときに心理的に無防備になります。そこで誰に出会うかで次の人生が決します。この騒動の場合はそれが悲劇に働きました。

 人の心は本当に複雑です。冷静なときであれば論理的に非常識が理解できるのですが、非常識な心理状態に陥ると何が常識かの分別が付かなくなります。異常が正常に思えてくるのです。中国の太平天国の乱において洪秀全は自分を神の子であり、キリストの弟と喧伝しました。その前にキリスト教の倫理を説いていたときには耳を傾けなかった民衆がキリストの弟で救世主であると云ってから一挙に信者が数万人と膨れあがったのです。こういう心理の時には知よりも意の方が強く心に刺さるという好例です。例えその意が歪んだモノであっても自信をなくした者にとって確信的に意を唱えられると心が乗っ取られてしまうのです。この騒動の場合もそれに当たると云えます。

 騒動に巻き込まれた方は、その後セミナーで自己の尊厳を徹底的に破壊される言葉を集団的に浴びせかけられたと述懐しています。これまでの経緯で微かになっていた人としての自信を破壊されたわけです。その時吐かれた言葉を知って私は驚愕しました。「お前が信じていた奴は悪の権化だ」そして「お前は無能だ」という言です。

 ちょっと待て。私は思いました。何を持ってこういうことが云えるのか。根拠は何か。思い当たるのはこの主催者の経歴がもたらすコンプレックスです。そして成功者に対しての怨み節です。彼にとって許せないのは歌手として成功した二人の存在としか思えません。病んでいるのは騒動に巻き込まれた人の方ではなく、主催者の方なわけです。

 彼は中学にしてデビューし、最初の期待の割に成功しませんでした。色々と周囲からその人間性も耳にしていました。結構お堅い家庭で育ったにも関わらず、その姿勢や生活は自律的とは云えず、まあ成るべくして成った感はあります。しかし悪人だったわけではありませんでした。自分にいい加減で理想論に拘泥し、自責から逃げるというチープアダルト人材が引き起こす典型例と云えます。しかしこの騒動を見る限り、チープアダルト人材を軽く見て、社会がこの様に放置しておくと、ここまで社会に悪い影響を出してしまうのだという好例といえるのではないでしょうか。

 この騒動の被害者になった人は、社会の、特に若者にとって大きな影響力を持っていました。この人の迷走が仲間に影響し、チームに影響し、そして若者の生き死にまで影響したことは知る人ぞ知ることです。一人の失敗者による歪んだ意によって大変な事態が招かれることもあるわけです。

 だからこそ人はもっと真剣にこういった人の「意」に関する領域に関心を持ち、アプローチをする必要があるのです。

 

 さあ皆さんはこういうことを日々どのように考えていらっしゃいますか。

 

 今回は事例を入れたために長文になってしまいました。

 最後までお目通しして頂きまして、まことに有難うございます。

 

 次回もまたお目通しの程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 ……そして時代は更なる意識改革をますます求めていく。