組織が経営を追い詰める~経営管理の原点~ ソモサン第239回

ショートソモサン①:人は何に影響を受けるのか?~金・権力・人脈~

皆さんおはようございます。

「人は何に影響されて行動を取るのか」。組織にとって最も重要なのは、「組織としてのパフォーマンスを如何に最大値に出来るか」です。それは組織に所属する人たちがどれくらい組織の描く目的に向かって協調して最速の動きを行えるか、ということに尽きます。

詰まる所は組織が目指すのは「最大多数の幸福に向けて高参画で高熱中の状態を生み出すこと」であり、「どのような影響を演出すればそれが可能になるか」という話です。

人が影響される外的要因は大凡定義付けられています。「金・権力・人脈」です。まず最初に金というと何とも身も蓋もないと感じられる方もいらっしゃるようですが、人が多様な価値観に基づいて動く中で、現実的にマルチな価値観に応じるため生み出された貨幣価値は、外的な要因としては代えがたいものがあります。実際組織は運命共同体と利害共同体の2側面がありますが、最初から運命共同的な人など創業メンバー位なものです。否私など創業メンバーですら怪しいものでしたから(苦笑)。経営者にハッピープランは危険です。組織は利害共同が前提で考えるのが得策です。そして利害共同としての契約が成り立ったら、次は組織秩序を形成して活動効率を高めることです。秩序の要は指令系統の明確化と遵守です。指令とは上意下達の関係をいかに円滑に回すかです。それには権力は欠かせません。多様な価値観を持つ集まりにおいて、その個々における好き嫌いが優先するような状態では凝集性も相乗性もあったものではありません。組織の生産性を高めるにおいて統制は必須要件になります。そして統制の鍵を握るのが権力です。

ただ権力も金もその要諦は「利害」ですから、なかなか相乗というレベルにまでは参りません。これを可能ならしめるのは三番目の人脈によるところになります。人脈は統制的な縦関係だけでなく、共生的な横関係が入り非常に領域は広くなります。共生には共同や協調、共感、交流といった多様な関係図式があります。そしてそこには運命共同的な要素も含まれてきます。このことは組織の中で運命共同的結束を醸し出す要素は人脈的関係しかないということを物語ってもいます。

では人脈における運命共同的繋がりとはどういった条件を満たした場合に成立するのでしょうか。まず外的要因よりも内的要因の方が強いということです。内的要因とは、自分の心理的欲求が満たされるということです。例えば自己実現とか成長感、或いは他者共感とか人間的信頼や憧憬といった嗜好する人との一体感といった欲求が充足される、または期待される気持ちが要因となっている心情です。

ショートソモサン②:経営理念という哲学の要諦

組織において最もそれが顕著に示されるのは「理念」のような哲学的意図です。昔経営学者として著名なドラッカー教授は「経営とは科学に仕え哲学を具現化する活動」であると評しましたが、ここで言う哲学が理念を指す言葉です。理念は色々な表現がありますが、一般に西洋ではミッションを意味してます。ミッションとは使命のことですが、誰に(WHO)対して何を(WHAT)、どのような形で(HOW)提供するかを示したものです。ここで問題となるのが「誰に」はまだ良いとして「何を」の部分です。本来はここが理念の中核となる企業のコンセプトになります。例えばどういう便益を提供するかとかどういう技術を提供するかといった内容です。そして「どのように」において具体的なサービスのコンテンツや商品が示されるのがミッションの流れになってきます。ところが日本の企業にそれを問うと「何を」が商品やサービスの内容になって、「どのように」が提供する手段や戦術になっていたりします。この状態から分かることは、日本の企業が全くと云って良いほど理念や哲学の重要性が上から下まで分かっていないという実態です。

欧米ではタウンホールミーティングにおいて真剣にこれを説明して理念や文化(行動様式)を共有することから運命共同化を図るのですが、日本ではその兆しも見られないのが現実です。だからこそ上記のような理解が横行するという悲しい状態に陥っているわけです。残念ながらこういった日本の理念に対するお粗末さは外資企業でも起きており、せっかくタウンホールミーティングを行っても人が集まらないといった状況になっている会社が多いようです。上から下まで企業における哲学の意味や重要性が分かっていないのですから、全く以て手がつけられません。かくして日本の会社における従業員は自分の会社が何を存在意義としてるかも理解しないままに、単に商品売りの如く組織に参画しているわけですから、頭の中は利害共同で占められているわけで、そこにロイヤリティが生まれる土壌すら望めないのは当たり前のことです。

社会的な奉仕や正しいとされる行動的規範といった人生哲学が育てられていない今の若者にとって、彼らの中にある現在の集団へのロイヤリティはまず個々の利己が満たされることが入り口的な条件になってきます。彼らの判断基準は会社の持つ知名度や安定性や報酬が第一義になりますから、もはやスタートアップ企業に人が集まったり、まして運命共同的に組織活動にコミットメントなどするわけもなく、当然企業活力は無くなっていく一方になっています。利己を前提に育てられた人材が、まずもって「皆で利他的に動いて皆で美味しい飯を食べよう」など考えるはずもなく、加えてそれを助長するような経営管理をしている会社が理念の意味も持つべき論理性も認知出来ていないわけですから、これはある意味自業自得以外の何物でもありません。残念ですがこれが現状です。

何れにしても利己が前提で利害共同でしかモノを見られない人を対象に闇雲に理念を掲げてこれを流布したところで「暖簾に腕押し」なだけです。これまた理念の何たるかの本質を弁えない所業です。こういった悪循環に陥っている会社が巷に溢れ返っています。そして「理念など無駄」といった風潮やそれを出汁にして闊歩するコンサルも最近多々犇めいています。理念は作れば良いわけではありません。しっかりと対話によって納得し共感してこそナンボです。何故ならば理念の本来は「組織としての判断基準」だからです。

ところでこの理念が形骸化している状態は、判断のブレのみならず、組織が高い生産性を生み出す上で重要となる秩序だった行動や統制においても大きく影を落とすことに繋がっています。

ショートソモサン③:ダイバーシティだからこそ本来のマネジメントを!

その最たるポイントは、若年世代にとっての「組織における行動の基本」は利害関係が前提に変わってきている、ということにあります。利害とは基本は「得か損か」という価値判断ですが、それは「好き嫌い」も含まれてきます。この深層には「個(ミーイズム)」という思想観があります。個とはこれまでの日本の中心思想であった「集(ホーリズム)」、つまり集団という単位基準によって、周りがあっての自分があるという規範的な価値観ではなく、あくまでも単位基準は自分であるという考え方です。この個を基準とする目線で組織や社会を見る若者は、周りの空気とか全体調和を第一義とする発想ではなく、自分にとって得か損かを第一義として発想し判断をします。

そしてこの価値観は、これまでの伝統的な集団主義的な価値観によるルールや行動規範からの疎遠を生み、対人相互に共有できる絶対的基準の喪失をもたらします。それは対人や周囲との関係において不安感を助長することとなり、「信頼感」よりも「警戒心」が先に立つというネガティブな思考パターンを基軸化させていきます。更にそれは対人での心理的距離において、対人ベタを生み出す温床にもなっていきます。結果として人の気持ちが汲み取れない、人に入り込めずに孤立しがちになるという状態を招くことになり、個人主義にも関わらず、孤立を恐れるという心性を醸し出して、過剰な顔色伺いや同調行動、権力依存(とにかく強いものに寄り付く)といった行動を取るといった支離滅裂な現象を生み出しています。

ともあれ現代は、若者年代になればなるほど、利己的で懐疑心が基準で、にも関わらず関係に異常に執着し、ルールや権力を気にするといった習性で動く傾向にあります。

このことは組織におけるマネジメントのあり方にここ30年で大きな変化を生み出しました。まず「阿吽(あうん)」は通用しません。そして自由裁量や権限委譲においてその責任所在や幅に用意周到さが求められるようになっています。自分にとって利となるか否かが組織の価値よりも優先するので、そこへの理解納得がないと従いません。

またアプローチは兎にも角にもポジティブなアプローチでないとすぐに傷ついたり反発行動に出ます。対人経験の量と質が上の世代とは全く異なるので感情の抑制力が低下している傾向も見て取れます。また規則やルールを非常に気にします。自分がどう思うかよりも、規則やルールに立脚点を求めようとします。それは権力に対しても同様です。

総じますと、今の若者には細かく丁寧に、そして前向きに接しなければならない、理不尽さは以ての外、如何にそれが彼らにとって得になるかまでをしっかりと説明できないと離れていく人たちがマジョリティーになったということです。

それは従来のマネジメントは通用しない、とうことではなく、そもそも本来のマネジメントってそれをやることだよね、という本質論が浮き彫りになってきただけです。これまでの日本は社会的な行動としての民度の高さにかまけて、まともにマネジメントを行っている人も組織もありませんでした。やらなくても出来なくても民度でカバーしてきたからです。ですから教育も表面的で、昨今ではやる方も受ける方もまともにマネジメント教育を行っていません。特に中小企業や外資企業は酷いものです。

プレーヤーとして優秀だったからとマネジャーにしてしまいます。専門職と管理職は職能が違うなどお構いなしです。民度がカバーしてくれたという現実すら頭にない状態です。

今それが一気に崩れてきました。マネジャーはマネジメントできなければ役立たずです。そこに加えて個人の価値観や集団規範が激変してきています。マネジャーは少なくとも最低限の普遍的な管理の基礎くらいは出来なくては組織を滅亡に導くだけの厄介者に成り下がるということを自銘する必要があります。

次回からは、では管理の基礎とは何かについて言及していきたいと考えています。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?