• JoyBizが何故今モメンタムを重視するのか。その経営における構造をご紹介させて頂きます ~ソモサン第222回~

JoyBizが何故今モメンタムを重視するのか。その経営における構造をご紹介させて頂きます ~ソモサン第222回~

ショートソモサン①:組織のポジティブ化を実現する方法論

新年が始まって少し時間は過ぎましたが、皆さん明けましておめでとうございます。本年もブログ「ソモサン」を宜しくお願い申し上げます。

昨年は弊社の推しである「モメンタム」についての思いを綴らせて頂くことで年末を終えさせて頂きましたので、新年もその流れからソモサンを始めていきたいと思います。

この一年「モメンタム」を中心に個々人の動機づけや意識向上について言及する内容に傾倒させたためか、弊社は個人の心性開発を主に活動をしている会社であるかのような錯覚を抱いている方々も少なからずいらっしゃるように思っています。そういう方々に対して一言。ズバリ「違います」。弊社は企業を中心とする組織の生産性向上に寄与しようと組織エンジニアリングを手掛けている会社です。では組織エンジニアリングとは何か。それがモメンタムとどのように繋がっているのか。年初のソモサンはその説明から始めていくことにしましょう。

モメンタムの本来の意味は、何かものごとをスタートさせるときの「心の着火力」「心の起爆力」を云います。内発的な動機づけを行うパワーです。しかし最近ではより一般的に心がパッとしない状態を「その気」にさせる「心の勢い」全体を意味するようになってきています。

JoyBizでは現在組織や職場全体がパッとしない状態、前向きで精力的にならない状態をマネジメント的に打開するためのアプローチとして「エン‐ポジティブ・マネジメント」というテクノロジーを開発して普及専念しています。「エン‐ポジティブ」とは文字通り「積極的な気持ちに誘う」という意味です。人は生来ポジティブな存在です。後ろ向きや否定的な気持ちとは後天的な環境の中で生み出された心の在り方です。理由は様々ですが人は自分が思うようにいかなかったり、思い通りにならなかった時に心に影が差してきます。そういった心持ちの状態を自力で修正、改善するのは容易ではありません。また水の流れが上から下へと不可逆的に流れるように、人の心持ちも波動的に伝染していきます。その勢いは人の存在において大きく影響する集団社会での対人的な力関係の在り方に従って、水同様に強弱的に上から下へと伝播していきます。そういった水圧のような力の波動の中でそれに抗するのは更に困難度は増していきます。後述しますがそういった力の論理が分からない人が上の立場に立った集団や組織は惨憺たる状況に陥ること多いです。

ともあれ個々として頭では分かっていても気持ちが付いていけない状態に苦しむ人は一杯います。またそう気持ちを切り換えたいと願っているのに集団的な或いは上位からのネガティブな空気に巻き込まれて脱却できないでいる人も同じくらいに一杯います。そういった集団や組織環境をポジティブな状態に補正すべく開発されたのが「エン‐ポジティブ・マネジメント」です。

このアプローチには2つの大きな理論が練りこまれています。一つはハーバード大の元教授であり、近代行動心理学の始祖と云われるC.アージリス氏の「二層輪学習」という考えです。人の学習は一層としての「知識や技能」という学習啓発があるが、実はその内輪に「価値観や意識」という層での学習啓発があり、内側の変化や成長なしに外側の変化や成長はないというのが骨子ですが、端的に言えば「やる気のない人」や「ネガティブな心構えの人」に幾ら機会や高度な教育を施しても無意味であるということです。ところが現実を見渡すと安直にその無意味な教育に大枚を払って研修を繰り返し、「効果がない」と嘆く、それこそ「貴方自身が二層輪学習を為されたら如何か」といった事例に何度も直面させられます。即効性ばかりを狙って却って無駄な予算や時間を割いてしまうのは最早罪と云えます。「エン‐ポジティブ・マネジメント」のアプローチはプログラムの中に内側の意識変化の為の内容を練りこんだプログラムです。

さてもう一つの理論は最近明らかになって来た「ミラー効果」という考えです。ミラー効果とは「とにかくやってみて、相手の反応から逆に自分自身の姿を映し出すことで、自分の意識や行動を切り換える」というのが骨子です。例えば自分が対象とする相手がネガティブな反応をするのは「そもそも相手がネガティブなのではなく」、「貴方がネガティブなアプローチをしているからだ」「相手はその貴方の振る舞いに鏡のように返しているだけだ」といったことです。人には「正常性バイアス」という自己正当化の意思体系があります。誰しも「自分は正しい」「自分だけは助かる」といった自分に都合の良い考えを無意識に想起する生理的な本能があります。条件反射のような本能ですから、なかなかそれをメタ認知して修正することは出来ません。本当に賢い人とは常にそういった自分を内観して調整できる人ですが、とても修練された領域と云えます。ポジティブかネガティブかもそのど真ん中の意識です。自分が当たり前と思っている人に気付きは起きません。当然ですが行動修正などはかなりのハードルと云えます。

「他人のふり見て自分に気づけ」。これは古い格言ですが、まさに言い得て妙です。最近私自身がこの「エン‐ポジティブ」の考えを応用して、今まできつく当たっていた人へのアプローチを意図的に切り替えた結果、その相手の動きが飛躍的に変わったという実体験をしました。その相手から出た言葉が「貴方変わったね」です。びっくりしました。そして私の態度や言動は次第に最初のような意図的ではなく、自然なものとなっていきました。そして相手とのやり取りも円滑でポジティブなものになっていったのです。この経験は強烈でした。それを機に私は他の人へのアプローチも変わっていったのです。最初のような無理もなく積極的に変わっていきました。そうして私はかつての自分のアプローチが如何に「べき論」で、結局は自己正当化を推し進めるために拘っていただけだったということを自覚するに至りました。その態度が如何に心をネガティブにするか、自分を疲れさせるかという新しい気づきを得ることにも繋がりました。

心がリフレッシュされてどこか暖かいポジティブな感覚が芽生えると、不思議なことに20代や30代の若い人の考えや意見に対しても抵抗なく耳を傾けられるようになりました。逆に70代や80代の人の「べき論」や昭和的な意見にも「まあ良いではないか。もう先もないわけだし」と腹が立ったりネガティブになったりもしなくなりました。本当にポジティブの力は凄いものです。

エン‐ポジティブ・マネジメントがマネジメントに焦点を当てている理由は集団においても組織においても対人においても最も影響する源泉がマネジメントにあるからです。自己啓発は大切です。しかしそれ以上に社会的に効果を呈するのはやはりマネジメントと云えます。

「モメンタム」とは「エン‐ポジティブ・マネジメント」の中で、そのアプローチによって対象者個々の中に最も芽吹かせたい「心の在り様」「心の勢い」付けです。何故ならば、集団や組織をポジティブな空気、環境にするにはまずその起点となる「勢いづけ」がスタートになります。まさに宇宙の始まりである「ビッグバーン」の始まる瞬間のエネルギーとパワーが炸裂する状態です。「エン‐ポジティブ・マネジメント」は「モメンタム」を発動することから始まります。無論発動しやすいような個人の自己啓発があれば万全です。その準備となるのが「マインドフルネス」です。そして「モメンタム」の器づくりです。自分を着火しやすい状態にするために、ポジティブ燃料を蓄えたり、火が付きやすい臨界点に自分を自己誘導する力があれば言うことありません。幾ら高質燃料として「エン‐ポジティブ」なアプローチをしても「湿った木材」では火は簡単に付くものではありません。

ショートソモサン②:組織開発にモメンタムが大切な理由 ~現在は、創発的な戦略が求められている~

それではJoyBizがどうしてこのようなアプローチの視点に立ったのかを少しご紹介させていただきます。ポイントは2つあります。その一つは戦略の大転換です。1960年後半からの30年間、世界レベルでの経済成長は右肩上がりで、戦略の起点は「ないものをあるものに」。需要が供給を常に上回り、ある意味何を作っても、またそれを模倣して改善さえしていれば経済的な成長は保障される時代でした。戦略概念の基礎はハーバード大のM.ポーター教授が産業構造論を軸に提唱する「ポジショニング戦略」でした。コトラーの「マーケティング論」も同様で、業態別の産業構造の中で自社のポジショニングを分析し、応じた戦略展開をすれば競争優位は確立できるという考えが中心でした。その鍵はQCDです。品質力であり、コスト力であり、供給力でありといった他社との差異化を分析的に行った中での改善(漸進的変化)活動をするのが主流でした。かつてパナソニックが松下と云っていた頃、「内に開発はいらない。東京にソニーという開発部隊がいる。それを分析して模倣すれば良い」と豪語したと云われましたが、世界レベルで開発は模倣に凌駕される世情でした。その骨頂が日本です。指先技術とか微細技術と云われる繊細な日本のモノ作りはQC活動などに支えられて模倣製品をより高品質で低価格で提供すれば企業成長でき、競争優位に立てました。

組織運営も三ム主義(ムダ、ムラ、ムリ)を標榜し、徹底的にネガティブであっても分析的に重箱突きのアプローチをしていれば、生産性は向上しました。その筆頭が「デミング賞」です。その対人的なアプローチはまるで奴隷制の如くのやり方でしたが、日本特有の集団主義的関係論が「我慢」を励行しそれを支えました。そしてその仲間意識を助長するように「終身雇用」「年功序列」といった護送船団方式の企業運営が跋扈しました。そのような風潮の下で組織内で当然となっていたのが「問題解決力」よりも「対人関係力」の重視。和を持って貴しとなせといった価値観で、右肩習え、抜きんでるな、前例踏襲といった価値観でした。「問題解決力」も過去を前提とした発生型の分析的アプローチであり、その何処にも「創造」などという言葉は出てきません。ともかく「何故」「何故」が中心のネガティブ・マネジメント、マイナス思考の風土が当たり前でした。それでも日本人は、それで儲かるならば、それで昇進昇格し、給与が保障されるならばと我慢するのが常識だったわけです。

この状態が大転換したのが1990年代の初め位からです。「失われた十年」などと云われていますが、バブルなどで調子に乗ってますます従来の延長をひた走りした日本は長い低迷期に入りました。最早ポジショニングどころか、産業構造自体が変わる中でグローバリゼーションはダイバシティとともに世界を席巻し、物まねでは価値を見出せず、更にQCDも第三諸国に追い上げられるに及んで、従来の戦略概念は全く通用しない経済社会になりました。

現代の戦略の趨勢はLRBV(リミテッド・リソース・ベースト・ビュー/限界資源基点の見方)と云われる考えです。コア・コンピタンスなどとも称する人もいますが、要は自社の資源をしっかりと捉えて、そこから何が出来るか、その資源を使えばどういった分野(産業構造)に進出できるか、そしてその資源は価値があって、希少性があり、しかも模倣困難性が高いかを見極めて、製品やサービス、ビジネスモデルを「創造」していくアプローチになります。鍵は「新規性」です。そうなるとこれまでの日本のお家芸は全くの逆風になります。要求されるのは「対人関係」の前に「問題解決」です。気持ちよりも論理です。そしてその論理は「創造性」という論理になります。幾ら「分析力」が高くても「解決力」がなければ意味を為しません。最近のコンサルタント本や学者本を見るとお分かりのように、「分析本」ばかりで「解決の仕方本」はありません。出せないのです。分析ばかりを学校教育から仕込まれ、組織でも分析して共有すれば、それが稚拙でも対人関係力という力技で乗り切るというよりも誤魔化し先送りしてきた中、それに秀でた人材が抜擢登用される風潮では、環境的に「創造性」など生まれる余地はありません。それ以上に問題なのは組織風土や集団規範が「ネガティブ基調」であるということ、「マイナス(減点)評価」が前提になってしまっているという状態にあります。それが伝播し吹き荒れる中で心がさび付いたり凍り付く人が続出する事態にまで陥っているという現実です。

昭和はネガティブでも家に帰れば給与は安定して未来は構築できるという心情によって「我慢」も出来ました。今は組織でも私的にもお先真っ暗です。それは心も病むことでしょう。組織発展はないけれども、これまでの経験によって「潰れない」とか、正常性バイアスによって「自分は大丈夫」とばかりに問題意識を持たず、社内的な権力に泳ぐ頭の要領良しが、利己的に組織運営をする中で真面目な多くの人たちはネガティブの嵐に巻き込まれ、心が枯れ果てていく一方。未来への打開策もないマイナス心情を部下や周りに当たり散らすというネガティブなマネジメントが横行する中でポジティブになり、「創造性」を発揮するのは無理難題です。

JoyBizが「エン‐ポジティブ・マネジメント」の必要性を提唱した主因はここにあります。「まずは組織をポジティブにし、創造性を再起させ、時代に合った戦略を生み出す環境を整備する」。これが狙いです。

ショートソモサン③:これまでの組織運営がネガティブを量産している

さて二つ目です。それは先にも触れていますが、組織運営の行き詰まりです。当たり前の話ですが「二層輪学習」同様、組織も「幾ら素晴らしい戦略があっても組織が動かなければ意味がない」ということです。私は以前農協という組織団体と多くご縁を持たせて頂きました。この農協という組織。何が問題かと云って、ともかく協同体というガバナンスに尽きます。古くはお国の保護もあり存在も資金も保障されていましたが、今や自立し自活しないと生きていけません。伍するは一般の営利企業です。当然競争のための戦略も必要ですが、それ以上に戦略を遂行する統制された組織が必須になります。ところがこの団体、北から南までどっぷりと協同体です。ガバナンスが機能しません。機能体としての統制も報連相も無いに等しい状態のところばかりです。まず幹部が意思決定できません。何でも合議です。スピードとして対抗できません。また多くが素人ですから合議も合議になりません。戦略も全ての組合員に八方美人で戦略になっていません。あらゆる思考の起点が「問題解決」ではなく、内輪の「対人関係」にある集まりです。外に向けての競争など論外です。

この団体。中央会や事業連と云った頭の切れる人たちの支援組織を持っています。中には団体気質に飲み込まれて問題意識のない人や関係論以外に思考力の覚束ない人もいますが、切れ者も一杯います。ですから経営計画などの論理性は優れたものも一杯あります。でも論理性はあるが戦略性はない。どんなに論理力があっても戦略的思考を入れると単協から否定されるからです。ガバナンスが農家代表の素人だからです。これも組織問題の真骨頂です。でもそれが分からない。中央会も分かってはいても手が出せない。計画の練り直しでお茶を濁すばかりです。ストレスです。そして職員も白ける一方です。ところが役員陣は云います。「内の職員はやる気がない。能力がない。だから問題だ」。そして職員教育です。埒があきません。能力の問題ではありません。意識の問題でもありません。職員がネガティブになるのは役員の無知に原因があります。そして政治的に上位職からネガティブなマネジメント・アプローチが連鎖していき、挙句若手は未来が見えず、また貰えるものも貰えず辞めていく。田舎で辞められない者はウツになっていく。恨んで悪さをする、という悪循環に嵌まっているのです。

こういった組織体は一般でも一杯あります。特に中小企業で多いのですが、大手でも少なからず見られます。日本はマネジメント論を西欧からの模倣で取り入れていますが、まともに組織の中で組織論を学習している人が少ないからです。前述しましたが、それでもやっていける時代背景があったこともその一因です。

ショートソモサン④:組織開発に必要な2つのコンポーネント ~「率直」と「演出」~

その中でも最も特徴的なのが、組織における論理的マネジメントと感情的なマネジメントの違いです。皆さんもご存知の通り、人は論理的に合理に従って動こうとしますが、そこには感情という力が横やりを入れてきます。ですから人や組織を動かすにおいては論理のみならず感情を上手くマネジメントする必要があります。このこと自体に関心のない鈍感なマネジャーもいますがこれは論外として、感情に傾斜しすぎるマネジャーも困りものです。問題解決はあくまでも論理だからです。日本の場合、この感情への傾斜が群を抜いて強い性向があります。集団主義の産物です。また高度成長期のマネジメントモデルの残照でもあります。

感情マネジメントへの傾斜がもたらす問題は、感情はあくまでも対面小集団の論理ということです。組織が階層を重ねて自分自身が上位の幹部になると最早対面小集団の論理はマネジメントには通用しません。感情が見えない中で如何に社員の感情を操れるかが勝負になります。先のようにそれが苦手が故に目を瞑る役員は論外ですが、人の動機が感情優位である以上、目を背けるわけにはいきません。

私は40年前の組織入職時、経営者から重要な格言を頂きました。曰く「組織は演出の論理。集団は率直さの論理だ」。自らが経営をする立場になり、この言の重さを痛感することが多々あります。私は日本の経営者が組織を大きく発展できないのは「演出の論理」がこなせないからだと見ています。「演出」とは「人が何に基づいて何に従って行動するか」を論理的に理解して、自らは軸として動かずに直属の部下を差配することです。昔農協で大合併をしたとき、ある小規模組織(60人)の部長がそのままスライドし(800人)、ある地域のもめ事を解消するために自らがそこに赴いて対応し、そのまま昼食を取っていたら、同時に別の地域でもっと大きな事件が起きたにもかかわらず、行方知らずになっていて大問題になってしまったというケースに遭遇したことがあります。この方は、要するに直接動くとどうなるかが全く分からなかったのです。

ではどうするか。重要なのは情報の取り扱いです。現場で起きている情報を感情ではなく論理的に把握分析し、裏どりをし、そして問題解決をこれまた情動ではなく論理的公平に処置する思考力を身に着けることです。ある組織に行ってその組織が組織的にマネジメントされているか否かは情報のやり取り、報連相の実態を見れば一目瞭然です。偏った情報が闊歩しないような配慮や情報が満遍なく迅速に流通しているかを見ればレベルは推察されます。私は若いころ「ご存知かもしれませんが一応」という報連相を学びましたが、駄目な組織は「知っているだろう」とか「あいつには知らせなくても」といった主観が横行し、情報が来ません。また絶望的なまでに遅い。

これをマネジメントするのがガバナンスです。ただ中には自分はどちらかしか出来ないという方もいます。それは当たり前です。私も知る限り、京セラの稲森氏くらいしか両者がやれる方を知りません。ではどうするか苦手は方が出来る人材を側近に置くことです。そして自分に似た人材は敢えて距離を置くことです。甘言を遠ざけるレベルではありません。自分の価値に近い情報は気持ちが良いのものです。ただそれは危険なのです。

関係力という感情が好きな人は、敢えてクールな側近に動いて貰ったり、対等に密にやり取りする力がある人が真の経営者です。また自分が論理力の人は、同様に関係力の人を使って情報を円滑に交流させることです。大事なのはまずは自分を見極めることです。自分がどっちが好きな性分か。そしてどこで自分が嵌まってしまうかを認知していることです。そして用心深くすることです。そして要は側近とは上下ではなく、そこだけは対等な信頼関係を作ることです。皆さんもご存知でしょう。ソニーの井深氏と盛田氏。ホンダの本田氏と藤沢氏といった役割分担を。

日本では年功序列や終身雇用的に小集団の論理で上手くいった人が昇格して幹部になるケースが殆どです。ですから右を見ても左を見ても対人関係論での情的マネジメント人材ばかりです。目先や思い付きや思い込みでの意思決定を横行させます。深慮遠謀で一見クールな人は忌諱されるので中々評価が上がりません。これが派閥を生む温床にもなっています。欧米はMBAなど最初から組織経営を目指した人材、演出の論理を身にまとった人材を育成してマネジメントに当たらせます。ここが日本と欧米の組織成長の決定的な差になっています。無論情的組織は現状維持が先に立ちますから、そういった意見を真に受ける経営者の下では創造性やイノベーションが起きないのは道理と云えます。

そして組織と小集団の違いはもっと大きな違いがあります。それは権力といわれる力の論理の取り扱いです。力が持つ影響への理解と効果的な取り扱いの術を会得しているかどうかの話です。この話は次回に持ち越しましょう。

それでは皆さん、改めて本年も何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?