• ポジティブの実践~従属人材のニセ「ポジティブ」というネガティブに巻き込まれない~ ソモサン第218回

ポジティブの実践~従属人材のニセ「ポジティブ」というネガティブに巻き込まれない~ ソモサン第218回

ショートソモサン①:ポジティブな人はポジティブを「語らない」

皆さんおはようございます。

「ネガティブが一生懸命にポジティブを語ることの違和感」というか「悲しさ」として、かつてこのような事例を経験しました。弊社に新しく事務の方を採用したのですが、この方、張り切るのはいいのですが、物事の見方がとても自己中心的で、しかもネガティブの骨頂でもある評価的、更には根拠もないのに自己の主張の正当性に拘泥する、というかなり困ったちゃん的行動が入社直後から至る所で対人的交通事故を引き起こす人でした。いわゆる世間知らずのお嬢さんによくみられるパターンの典型でした。

まだ入社2か月にも満たない立場で、経営陣の在り方や組織運営の批判をし始めたり、現場も現地も現状も知らない中で平然と「べき論」を語り始めたのにはあきれるばかりだったのですが、例えば新入社員の立場で、いきなり社内で役員・役職者に「君付け」で読んだり(その役職者の方が若干年下ではありましたが)、上役のやり方に問題提起をしたり、自分がやり易いように注文を付けたりともうやりたい放題です。銀行には中小企業に出向した場合、「半年は大人しく様子を見て状況や文化を押さえろ」という教訓があります。それを軽視して権力を持って自分が運営したいように社員を統制しようとして総スカンにあい、その後影響力が発揮できないお飾り役員のように揶揄される人になり、結局弾かれていく人も後を絶たないという、とてもナーバスな状況なのです。その中で、業務能力も未経験で、あくまで業務の中で覚えていってくれればよい、という条件で、中途採用としてはかなりそのスタッフに寄り添った(会社としてはそのつもりでした)条件で採用したにも拘らず、こうした傍若無人ともとれる振る舞いは思わず「目が点になる」以外の反応は私はできませんでした。

こうした話がありました。代表者である私に「この会社は挨拶がない。事務所が汚い」という訴えをしてくるのです。私の会社には当時他に結構年長な事務方の人たちが2人いたのですが、上記の状況には以前より私も「困ったもんだ」という認知はしていました。ある意味その人の訴えも道理のように思えます。しかしその方の上司は上記の2人です。いきなり組織の長に意見を持ってくるのは如何なものでしょう。それも問題ではありますが、あえて言えば今回の問題はそこではありません。前述のようにその新人のスタッフさんは全く事務経験がない方で、だからこそそのOJTを直属の上2人に社長として依頼していたわけです。本人からすれば教えて貰っていた以上、直接その人たちに物申すことが出来ないと認知したのでしょう。更にはその2人から会社に対するネガティブな情報を吹き込まれたのか、どうやら会社経営的な立場を担っている、代表の私や専務を問題児のように思い込んでいるような体も伺えました。困ったことに、もともとあったネガティブな空気を刷新しようとそのスタッフを採用したのに、そして採用したのは私なのですが、その先鋒に逆咬みつかれたような感覚になり、如何ともしがたい心情に陥りました。

この時その新人さんは「高名な僧侶が全ては挨拶から始まると言っている。だから挨拶がないこの会社は問題だ。」と訴えます。正直に私の感想を申し上げると、この方の言葉は自分の実体験ではなく、殆どが耳学問や理想論からの教えへの妄信のように見えました。挨拶などの大切さなどは、もちろんスタッフが重々承知していることです。会社は新人教育もやっているわけです。無いには無いなりの理由があるわけです。

この挨拶。私は会社創設の際には毎日の朝礼なども励行していました。元気と業績は相関するからです。弊社の場合無名なところもあってなかなかライジングサンのように業績は上がりませんでした。次第と会社は惰性的になります。自分よりも先輩格の方々に仲間となって貰ったこともあって社長にもかかわらず多少の遠慮を持っていたのも事実です(実際ちょっと強気で進めようとすれば一部の年長者が反発するという現実もありました)。そうしたこともあり、どうも文化が統制された組織集団になり切れないという悩みがありました。打っても響かないと感じていました。こういった状況にエネルギーがだんだんと抜かれていった経緯もあります。何年も前に同様の指摘を、それこそ恩師からされたこともあります。それ位私にとっては大きな懸念点でもあった課題です。皆さんは如何思います。社長が朝「おはよう」と声掛けしても沈滞した返事が返ってくる。それが続く日々。業績はなかなか伸長しない。彼らの気持ちも分かる。私的には挨拶の様な形も必要だけれども、まずは実績を上げて勢いを上げる方が先だと判断したわけです。それ以上に私や専務は事務所に居ません。始終事務所にいない中で、職場の統制や管理は形ではなく、まずは結果で示すしかない。これが私が経験から学んできた見解です(もしも他の知恵があれば誰かご教授頂ければ取り入れさせて頂きたいと思う次第です)。

でもやはり空気を刷新はしたい。その思い出、経営的には多少無理をしてでも新人スタッフを入れたのに、その新人が率先して活性的に振舞うどころか、入社2か月もしないうちに例えその方々が「沈滞組」でもしょっちゅう触れ合っているスタッフの側に同調していってしまうかの如く、ネガティブに会社批判を始めてしまう。そして経緯も知ろうともせず、自分の狭い正論で評価的に物事を語りだす。

でも本人は自分をポジティブだと思って発言しているのです。自分の物の見方や捉え方の基軸がネガティブにある(ネガティブをベースに物事を解釈している)ということは露とも感じていません。これはなかなか厄介です。でもこういった人は存外多いとも感じます。

本当にポジティブな人は、まず最初からポジティブを意識していません。ですからポジティブといった面への言は出てきません。そしてネガティブな状況ですらポジティブに捉えます。こういう人は自ら状況をポジティブ化しようと促進的に考え行動します。評価したり批評的に意見するよりも日々の行動で自ら空気を変えようとします。ともかく余計なことは言わず黙々と動くというのがポジティブ人材の行動です。出てくる言葉もポジティブばかりです。時には何も考えていないのか、能天気かと間違える位です。行動で状況を変えていくのがポジティブ人材です。決してネガティブの沼には嵌まらないのです。私はそこはやはり弱い面があります。銘記して事に当たらなければと自分を戒めるところです。

ショートソモサン②:「厳しい」と「嫌い」は違う。

さてこのネガティブですが、ポジティブだからこそネガティブに映るという世界もあります。私の知り合いで会社の役員をしている人ですが、周りから最近「あの人は結構好き嫌いが激しい」と評されている方がいます。私は付き合いが長いので、その人の人間性はある程度知っているつもりなのですが、確かに最近人に対して「厳しい発言」が増えてきたのは感じるところです。しかし話の流れ的には相変わらず「人を大事にするし、人を気遣うところ」は全く変わっていません。

私的には「厳しい」と「嫌い」を混同したような見方に違和感を感じています。「厳しい」とは一体どういった心理でしょうか。私的には「厳しさ」とは「甘さ」を排する世界です。その観点からすると、もしも甘さを基準にみれば厳しさはネガティブということになります。先の例でも見えてくることですが、私は経営者になってからサラリーマン時代とは徐々にものの見方が変わっていきました。その中で温情が人のためになるか、ということがあります。創業10年ほどの私はその温情が枷になって、未だどうなるか分からない不安定な組織を甘さの混沌によって危機に追い込む羽目に陥りました。組織における甘さとは「組織を守ってこそ従属者は守られる」という大原則です。会社が潰れてそこで働く個人の保障があるはずもなし、というのはある意味当たり前ですが、意外と心からそれを認知している真剣な人は稀です。「組織は存続する」という夢想に囚われている「バカ」は結構多く、そういった輩が増え始めると会社は一気に下り坂を滑り落ちていきます。いわゆる危機感がない人材の蠢きです。そして組織よりも自分を優先する利己主義人材が組織を闊歩し始めたらどういう事態となっていくか、想像に難くない話です。

こういった利己的人材は「組織の観点」から見れば明らかに「甘い」存在ということになります。そしてそういう人材を看過している経営者は「大甘」人材ということに他なりません。私もそれで会社発展を阻害させてしまったと痛感しているわけです。それでも先の事務スタッフのように大甘な採用を続けてをして、最後は周りの役員に怒られて、早々にネガティブ人材は試用期間終了によってご退職して頂きましたが(笑い話ですが、その事務スタッフの給与を「沈滞組」が出し渋っていたのを、専務が英断して給与他諸条件を上げてくれたにもかかわらず、ネガティブはネガティブを呼ぶかの如く、「この会社は安月給だ」と給与を出し渋っていた張本人たちに溢していたそうです)、組織の代表者として、大いに反省するところでした。

話を戻すと、この知り合いの役員の場合、厳しさはネガティブではありません。また「嫌い」だから厳しいのではありません。基準が組織を守ることであり、視点が危機感の有無にある中での判断軸、ものの見方が出ているわけです。私も各企業で今の組織状況を認知できずに甘さを前面に出す人は、嫌いというよりも面倒臭くみています。それは態度にも出ますし、それを嫌いとみる方もいるかもしれません。

危機意識のない人は、まず状況に対して当事者意識としてのメンタルリハーサルができません。故にいざ何かをやらないければいけないとなったときに、非常に鈍い人が圧倒的です。はっきり申し上げれば、そうした人たちは、自分を磨きませんから無知で、だからこそ危機を感じられません。そして共通するのは向き合うべき葛藤から逃げるということです。まあバカだからパニクッてしまうんでしょう。

危機とは前述したようにビジネスにおいては、倒産を意味しますが、同族の場合家族主義でバカを厳しさで育成しないままに幹部にしますから、本当の意味での「立場」が分からない幹部が続出します。そのまま社長になる人もいます。また平成前期までの人材は、経営環境的にフォローウィンドしか経験せずに脆い人が一杯います。心が全く鍛えられていない。上がそうであれば義務や責任の軽い下がどうなっていくかは推して知るべしです。

ショートソモサン③:厳しさとポジティブ

このフォローウィンドは違ったところでも問題を生じさせています。いわゆる「大手企業の人材」です。大手にいてはやはり潰れるなどの生存本能レベルは分からない。そういった心性が鍛えられていないわけです。こういった人材が別の組織に来ると本当に危機意識がない。先の銀行からの出向などは典型的な例です。まあこれは不可抗力の側面もあります。でも結局は経営陣がそれを常に意識しながらどのように会社運営をしてきたかが、いざという時に出てくるわけです。古い企業の家訓などは侮ってはいけません。三井家の家訓などそういったことが刻まれています。このような本質も分からずに「いけいけどんどん」のような理念を作りたがる企業は滑稽です。

ともあれ人さえ要ればとよいとばかりに、甘い人材、危機感のない人材を集めると、創業において、或いはV字を期する時にこういった人材は致命的になります。これは実体験からの猛省的な私からのメッセージです。でもこの問題こそが中小企業にとっての最大の悩みなのです。経営にとっては内憂の方が外患よりも厄介なのです。

M&Aなどにおいての難題や危機も、する側として、される側のこういった人材を如何に取り込むかが、事業の側面以上に注視しなければいけない点です。元より買われる会社は問題があるから売りに出すわけです。その時隠されているのがネガティブになっている組織の運営、文化の側面です。課題は論理以上に感情の統制と管理にあります。温情や甘さは絶対に厳禁だということは体感するところです。本音と建て前、表は演出で明るくやっても、人間ではなく組織の文化的な(特に政治権力的な)態勢は信用してはいけません。そこに危機感を持っている人はいてもせいぜい実際に売る立場にいる一部の人だけです。他は全く危機感は持っていないといっても過言ではありません。ですから煽ったところで自分への危機感、自己保身レベルとしての危機感としか認知しないのは必定です。

会社単位を考えるからこそ経営者です。それを考えれる人だけが仲間です。それ以外は運命共同ではない利害共同です。組織運営の前提はドラスティックで構わない。ウェットは軸ではなく調味料です。温情はゆとりがある時だけの戯言です。最終的な負債は結局経営者が背負うわけです。債権者は容赦ありません。責任分有する気のない存在に目を向けるのは相当の大物か親分です。そこまでの器量がないならば単なるバカということです。成功している経営者やリーダーの資質を見たいようにだけではなく、全体像としてみてみれば、一見負のようにネガティブなように見えることも当事者的には実はポジティブなのだということが見えてきます。そういう意味で上に行けば行くほど自分を見つめることが重要になります。本当の意味で人を守るとは組織を守るとはシビアなものです。経営は「厳しさ」が基本といえます。「厳しさ」とはポジティブな意識の原動力なのです。「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」です。目的に向かって照準を合わせた後は、いわゆるバカの戯言は気にしないことです。モメンタムを高めることに集中することです。

そして「厳しさ」はモメンタムのエネルギー源でもあります。モメンタムとはやる気スイッチを押す力を云います。

やる気、モチベーションとはモメンタムにより生まれる結果や状態のことです。やる気、負けん気、粘り、踏ん張り、耐える、その気など様々な気を生み出す力がモメンタムです。力を出すには力を出す材料が必要になります。それには目的意識、プラス思考、ポジティブ意識、危機感、欲、使命感、責任感、満足感、達成感、勝利感といった気持ちや感覚によるエネルギーの器が要ります。貯めるためのものがまず必要だからです。それを作り出すには、

①日常スイッチが押しやすい状態を作る。

②高い熱量を引き出す術を知る。

といったことが求められます。

次回からはこのポイントを徐々にご紹介してまいります。

次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?