• ポジティブになり賢くなることで、心理的安全性を作ろう~ソモサン第217回~

ポジティブになり賢くなることで、心理的安全性を作ろう~ソモサン第217回~

ショートソモサン①:脳科学が示す「ネガティブによる思考力の低下」

皆さんおはようございます。

前回「バカの問題は自分がバカだということに気づかないこと」と述べましたが、同様にネガティブの問題も「ネガティブが一生懸命にポジティブを語ること」という点で一致します。いずれにしても両者は「愚かさ」という点で相関してデス・スパイラルを作り上げるようです。

日本では「頭が白くなる」ということを、欧米では「いきなり知能指数が下がる」と表現することもあるそうですが、今回はネガティブな思考が「考える」という作業全体を抑止してしまう好例をご紹介させていただきましょう。

脳科学では大脳辺縁系(偏桃体)という領域が感情を司っていて、身に迫る変化に対してそれを危険と察すると、恐怖という感情によって排除抑制しようと反応することが知られています。闘争・逃避反応といわれる防衛反応です。一方創造や問題解決を促す論理思考を司っているのは大脳新皮質になるのですが、残念なことに脳が変化を「大変なこと」と認知するとそこで抵抗感情によって拒絶が起こり、創造や思考を担当する大脳新皮質にまで認知が辿り着かず、いわゆる「頭が白く」なったり、やる気が失せてしまうのです。

ここでいう「大変」とは心に抵抗を生じさせる「大事の変化」で、受け入れづらいネガティブな出来事とか情報を指します。ポイントは何をどこまでで「大変」と捉えるかは人それぞれということで、ネガティブな人ほど些細なことでも大変と捉えて思考が停止する、いわゆる「バカになって」しまいます。

そしてこの傾向は利己的な人ほど顕著に表れるというのも特筆すべきことです。元来人は「お互いに人を信じることで集団を形成することが最も心理的な安全性を確証できる」ということを本能的に察しています。ですからその状態を生み出そうとその必要条件として利他心を前提として有しています。仏教でいうところの「自利利他」の本質です。

確かに人は自然な姿として「つらい時に助けを求めて誰かと繋がろう」とします。この自然な行為が、相手から肉体的精神的理由によって妨げられるときに、いずれは自己依存や平静やポジティブである自分を装う態度に変わってしまいます。そう人にとって最もネガティブな状態は心理的な安全性が保障されない状態であり、その最も顕著な状態が孤立です。人はそういう状態になったときに防衛機制として自己正当化に走ります。無関心や攻撃といったものから、特に幼少から、また親の様な近親者といった相手から心理的な安全性が拒絶されると、自分の問題を胸の中にしまい込み、辛くても誰にも打ち明けられずにきた人。誰にも頼らずに大人になると、その傾向は強くなります。

こういう人は他人に助けを求めることを知らないままに生きています。ですから何とか自分を変えようとしてもうまくいきません。こういった人は、友のいない人生はただ恐ろしく友を手放せないので、無関心や攻撃を通り越し、人が全く信用できなくなって、お金といった人以外のものをどんな時でも必ず心を癒してくれる友としてしまう仮託愛に固執したり、出世などの地位によって人を服従させることで空虚な気持ちを満たそうとし始めます。人を信じたくても信じられない。ネガティブ地獄から抜け出せない姿。これが利己主義者の由縁であり、「視野狭窄的なバカ」の源です。こうなるとなかなか救われません。

ショートソモサン②:「相手の脳を停止させない」というアプローチ ~小変をつかみ取るマネジメント~

「視野狭窄的なバカ」とは利己中心の思考に犯され、頑固一徹になり、周りが見えず、人の話が聞こえず、自分に固執して、自分にとって美辞麗句しか受け入れなくなったバカのことです。そして視野狭窄的なバカは自分に居心地が良い立ち位置に執着します。ですからちょっとしたことに対しても過剰反応して何でもネガティブに受け止め、ネガティブに反応します。この状態が深刻になるとウツになったりします。世の中の適応障害も多くは環境よりもそういった心構えに根差していることが多々あるようです。原因的には本人の努力以外の悲しい面もあるのですが、現実は残酷です。そこから脱出できるか否かは自分の心構えと努力次第です。

それよりも問題視すべきは、こういったバカに共通するのが「自分や人に厳しくすれば成果が上がるとか成長する」という考え方です。はっきり言ってそれは「作り話」「フィクション」です。先にも話しましたが、実際には人はネガティブにアプローチをされると、脳の闘争や逃避反応を刺激することで、そこで思考の進捗が止まってしまうというのが本当のところです。

それが分かっていないとすれば、ここまでの経験が自分を「ネガティブ思考を当たり前の状態」にしているからです。そしてそのネガティブさが心にある心理的安全性の喫水線(これ以上になると船が沈むというライン)を下げ、ちょっとしたことで八つ当たりを生み出すのです。これは自分のストレスを相手にぶつけて自分を一時的に癒そうとする手口に過ぎません。それは却って相手の士気を低下させ、生産性の足を引っ張る悪手以外の何物でもありません。それ以上に自分が周りにネガティブを蔓延させる病原体の様な存在に成り下がっているということにも気が付かないほど病んでいるということも意味しています。ネガティブによる視野狭窄バカによって周りに途方もない命令や腹立ちまみれの要求をしてはなりません。最も大事なのは「相手の脳を停止させないこと」です。また自分はどんなにポジティブに語っているようでも、心がネガティブならばメッセージは間違いなくネガティブに発せられ、相手にはネガティブに伝わっていきます。それは自分のネガティブをデス・スパイラルさせることに拍車をかける一方といえます。

問題解決を生業としている私にとって、常日頃注視しているのは問題解決の肝は「かすかな警告信号」を見逃さないことにある、ということです。とにかく日常の様々なことに対して細心の注意を向ける、それを考察することに頭や神経を使うということです。問題は小さな芽のうちに摘むのが最も得策だからです。「大変」や「大事」は拒絶されても、小変や小事はそれをすり抜けれるからです。

その問題解決の定石に「頭と尻をしっかりと閉めろ」ということがあります。初動であれば小変段階で手を打てるし、締めは安心してつい手を抜いたり、やり直しを嫌って押し切ってしまって全てを水泡に帰してしまうことがあるからです。

<小変を見逃し大変に至ってしまった事例>

こういう事例があります。

ある会社で経営改善のために、決断力があり、管理能力がある幹部人材を雇い入れることにしました。あちこちに声を掛けると、それなりに有能で自信にあふれた候補者が出てきました。経営陣は「これで何とかなる」と安心して、初動としての「人物評価の定石」を飛ばしてしまいました。それはマネジメントする上での最重要な適性である「人への関心の有無」でした。この時の着眼点の一つとして、「その候補者は採用者に対して面接の際どんな質問をしたか」ということがあります。これは後日談ですが、その際残念ながらこの候補者は「自分が業界をどれくらい熟知しているか」を語り、自分の売り込みや提案ばかりを熱心に語っていたが、殆ど質問をしてこなかったとのことでした。これは実に危険なサインです。候補者が経営を委ねられるならば、まず「この組織の中で何をするべきか」「誰と手を結ぶべきか」を決める前に、「多くの人の意見を聞く必要」があります。「一緒に働く人たちを知る」ことが第一義です。その好奇心のなさから読み取れるのは、「人の話を聞きたがらない」「理解よりも先に行動する」「人をやる気にさせるよりも、自分に従うように求める」という傾向があるということを示唆しています。昨今のエリートと称される人たちに時折見え隠れする適性上の問題ともいえます。しかしこの会社ではポストを埋めることを急いでいたためにその視点を軽視してキャリアで採用してしまいました(これは以前題材にした外資系でよくある話でもあります)。それから半年で採用された新幹部は莫大な害を及ぼすことになりました。まず自分たちは評価されていないと感じた有能でやる気のあるスタッフが離れていきました。その幹部の指示はスタッフへの理解のなさを露呈するものでした。例えばスタッフが何に時間を費やしたかを週に一度報告するように求めました。スタッフはこれを、既定の報告業務の上に追加された「意味のない余計な仕事」と受け取りました(無論その前提にそこまでの過程での信頼関係のなさも起因しています)。さらにスタッフの抵抗にも関わらず、現場の数を減らしました。それによって目先のコストに囚われて、品質を下げることになってしまいました。原因は新幹部が人の意見に耳を貸さなかったこと、問題をじっくりと考えようとしなかったこと、人への関心が乏しくて人の能力やパフォーマンスを無視して数字だけで経営をみることにあります。これらは採用面接の時点で見えていた小さなトラブルの兆候から予測が出来ていたはずの失敗といえます。初動での手抜きが文字通り致命的なミスとなった典型例といえます。有能と思われる候補者との最終面接にこぎつけた後も、さらに人物評価を続けることは面倒な作業といえます。この場合、初動でのミスもありますが、途中きちんと兆候を認めた中で初めから採用活動をやり直すとか初期の段階で採用上の判断ミスに対して、それを経営的な立場で謙虚に認めて即時に処断をするといった手間を惜しんだために、更なる面倒な事態を引き起こしてしまったという話も加わってきています。

ショートソモサン③:「ネガティブ思考とポジティブ思考」と「プラス感情とマイナス感情」を区別する

会社で人を採用するとき、面接にやって来た人の能力が、基準を十分に満たしていないとします。でも「空いてしまったポストを埋めるためならば、多少は役立たずでも雇おう」という誘惑にかられることがあります。そういう時こそ、他に志願者はいないか、その候補者が他の面では適任だと思う場合、後3回か4回面接して、もっと広い意味での能力を見出さなければならない。時には相手の欠点を指摘して、候補者の反応を見てもいいから決して妥協していけない。特に人という組織の財産に対しての姿勢に対しては用心深くなくてはならない。人にネガティブな人材、利己的な人材を採用してはならない。特にマネジメント・レベルではこれらを注視して面接していかなければならないという戒めの様なケースといえるでしょう。実は私もこれで大失敗をしました。身に染みる事例といえます。

「ハーバード・ビジネス・レビュー」では、空きポストを不適切な人物で埋める位ならば、空いたままにしておく方が会社にとっては有益である、といっています。

これに関して、こういった時に後日談として言い訳がましく問題を当事者本人だけに帰する会社もよく目にします。「あいつには●●といったこともあった。うちもそれで迷惑をこうむった」といった具合に。これだけは避けなければなりません。何故ならばこういった会社は再び問題を繰り返すからです。このような会社は採用以前から組織レベルで「視野狭窄のバカ」状態に陥っているからです。その原因は共通して組織を挙げてのネガティブ文化の浸透にあります。これは経営者の責任事項です。組織はリーダーシップで動きます。上がバカだと組織もバカになります。上が組織の気持ち感情である文化をネガティブに染め上げてしまっているのです。

「うちのトップはネガティブではない」。そう反論する会社もあります。ここでの注意点は「ネガティブ思考」と「マイナス感情」はイコールではない、ということです。「プラス感情」の人でも「ネガティブ思考」はしますし、「マイナス感情」の人でも「ポジティブ思考」をします。マイナス感情とは「悲観」「怒り」悲しみ」といった気持ちです。そういった気持ちをポジティブ、積極的考えに繋いで努力する人もいます。反対に「楽観」「喜び」「楽しみ」といったプラス感情を保身や消極的考えに繋いで周りを巻き込んで、全体を「無思考状態」「考えるだけ損」状態に貶める人もいます。こういったひとこそ利他の仮面を被った「利己的人材」なのです。

「モメンタム」の原動力は「自分に素直に」です。それは「本当の意味で利他を考えて実践する」ことです。文字通り利他とは「人との繋がりを作り高めることで信頼を醸成し、それによって心理的安全性を確証していく」ということです。利他という目的を描きながらそれを現実に実践する中でモメンタムのエネルギーは充填されていきます。目的とは「タンク」です。利他を考えるとは「エネルギー・タンク」の容量を増やす作業であり、実践とは「エネルギー充填」の作業です。

 

さて次回からは「モメンタム」を高めていくステップとポイントをご紹介してまいります。

次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?