• 楽観や悲観は覚悟から生み出されるリアリズムである ~ソモサン第210回~

楽観や悲観は覚悟から生み出されるリアリズムである ~ソモサン第210回~

ショートソモサン①:楽観はポジティブな出来事を、悲観はネガティブな出来事を経験しやすくする

皆さんおはようございます。

人が楽観(JoyBizではブライトビューと称しています)か悲観(JoyBizではダークビューです)かはその人の遺伝的な要素と経験的な要素、更には置かれている環境条件での反応とで成り立っているのですが、これまでの心理学や脳科学での実験によると、その大部分は経験的要素や環境的条件反応で占められているということが分かってきています。これは1980年代以降からの話で、そこを境に年代的な認知の在り方において大きなパラダイムシフトが起きています。

面白いことに調査によって同じような出来事が同じ人の身に繰り返し起きているという、一見奇妙な状態が明らかになって来ています。幸運な人には何度も幸運が訪れるし、不運な人には何度も不運に見舞われるといったことが浮き彫りになったのです。

楽観的な人はポジティブな出来事を、悲観的な人はネガティブな出来事をより多く経験していたというわけです。このことは気質が起きる出来事に強い影響を与えているということを意味しているようにも思えます。

例えば愛想がよく活発で外向的な人に接する時に周りはどう振る舞うでしょうか。暗く陰気な人に対するよりもたくさん笑いかけるし、声も掛けるし、スキンシップもして来ると思います。その人がずっと外向的に振る舞っていれば、その人を取り巻く環境は自然と内向的な人よりもポジティブなものになっていきます。人がどんな社会に生き、どんな人生を送ることになるかは運や偶然だけでは決まりません。その人の感情のスタイルや考え方の方向性がその人を取り巻く世界を規定していくことになります。対面する世界にどう向き合うかによって環境は変化し、どんな機会に巡り合うかやどんな問題に遭遇するかも変化していくと思われます。

私の経験において、きちんと自分に対面せず、自分にとって良くないことやネガティブなことに遭遇すると、すぐにそれを自分以外の問題として自己逃避したり、自己正当化に走る人は、すべからくネガティブの悪循環に陥り、ダークビューが強まって自己防衛の度合いが強まっていく傾向を感じます。結果として孤立感を高め、自己矛盾によって抑うつ症の状態に嵌るということも起こりえます。自分が間違っているということがネガティブなわけでもなく、未来に向けて自己概念の枠を拡げたり、修整すれば楽なはずですが、ブライトビューが持てないのでそういう発想が生み出せない状態に陥っているといえます。だからこそ人の真摯な関わりが大切になるのですが、どうもその場の楽さを求めて逆方向に突っ走る傾向もあるのが切ないところです。

またこれも私自身が自社の経験でつくづく実感したことの一つですが、退職してしまいましたが、当社の社員の話です。この方は心にナーバスな問題を抱えていました。そこから来る経験もあってか周囲に対して懐疑心や猜疑心が強く、物事の見方がネガティブでした。ちょっとしたことでもすぐに悲観的にダークビューし、しかもそれをご自身の中で抱え込みます。そしてある時をきっかけにそれが爆発して結果退職する、という運びになりました。ご本人からすれば「周りがネガティブで自分はいじめられていたかのような言い分」で、退職理由は職場と合わない適応障害という理由でした。社員が離れていくのは忸怩たる思いはあるのはもちろんなのですが、この方は学生時代でも、引きこもりの経験をもっていたり、前職も周囲と合わなかったという具合で辞めていて、弊社としては知り合いからのご紹介で入社いただいたということもあいまって、周囲はそれなりに気を遣っていたようにも思います。場合によっては周囲の方が疲弊する場面もあったのではないかと振り返ります。しかしご本人からすると「悪いのは会社だ」という捉え方のようでした。ともかく出来事をネガティブに捉え、自分がおかしくなるのは周りのせいという反応こそが、先述の心理学的実験から導かれた「不幸は不幸を引き寄せる、ネガティブは周りを巻き込んでネガティブ状態」にすると言う好例だなと体感した次第でした。。その後の顛末としては、本人に対しては周囲もかかわり方がわからなくなり、私が話したこともほとんどネガティブに解釈する姿勢に対して、どんどん「触らぬ神に祟りなし」といった気持ちが強くなっていきました。ともかく話しかけても表情は暗く見える、なかなか自分から発案するような仕事はやっていただけない、返事は私からするとネガティブに感じますし、ということで会社の空気もどんどんと暗くなっていたように感じます。そしてその原因が会社のせいだというのではもはや関係の架け橋を作っていくこと自体が困難を極めますこのダークビューは心のナーバスさに起因したかもしれませんが、それとはまた異なった話です。世の中には同様なナーバスさを抱えながらもブライトビューな人は一杯います。

この場合重要なことは親しい人がやはり未来に向けて真摯に自己との対面を箴言してあげることですが、このケースでは目先の楽さに周りも逃げているところもあり、それが問題の先送りとなってしまい、状況をどんどん悪い方へと誘っていました。これも日本人的な残念なケースです。

ショートソモサン②:ブライトVSダーク~責任意識からくるビュー~

ところでこうしたビューポイントの違いの在り方は「一時的な気分なのか」それとも「持続的な気持ち」なのかという論点があります。

気持ちの中でも気分とはその時その時の泡沫のような感情です。一方気立てと言われるような気持ちは時間が経ってもそうは消えない安定的な感情と言えます。その人らしいと言われる気立ては歳を取ってもあまり変わりませんし、生活環境が大きく変わっても変わらないと言うことが調査によって裏付けられています。

皆さんもご経験のように、気立てがブライトビューな方は総じて陽気で明るく、周りの人々をも歩く楽しませてくれますが、だからと言って単に能天気で浅慮なわけではありません。ブライトビュー的な気立てとは、未来に対して常に希望を抱いている現実論者と言えます。要は「物事は必ず打開できる」という信念を持ち、「どんなことが生じても必ず対処できる」と思い込んでいるのです。ですから彼らは常に「自分の身に悪いことが起こらない」と思っているのではなく、「悪いことは起きるかもしれないが、起きても必ず何とかなる」と考えています。

反対にダークビューの人(さっきの若者のような)は、いつも悲しみや不安に苛まれているのではありませんが、彼らは総じて未来に不安や懸念を抱きがちで、どこかに侵害はないかと絶えず気を張っているのです。そして上手く行きそうなことよりも行かなそうなことに多くの目を向けて、常にどこか安全な場所、楽な場所はないかと探し求めるのです。でも現実はそう甘くはない。そう言った時に自責をするとあまりに辛いので、他責によって何よりも自分の身を守ろうと反応するのです。

ともあれ重要なことは、ブライトビューは闇雲な願望や「悪いことは絶対に起こらない」といった思い込みではないということです。

ブライトビューはしっかりとした覚悟を持って自己責任を軸にした人生に不屈に臨んでいる人に多く発現する気立てのようです。この根っこには、「神のような至高の存在を信じる気持ち」や「どこかにより良い生活が必ずあると言う思い」「人間の善性を信じる深い」などが絡んでいるようです。しかしここで見逃してならないのが、例えば「神は必ず助けてくれる」といった他力的で明るい面ばかりを見るような願望ではないということです。神様論で行けば、「神様は神は最初に自分の可能な限りに最善な世界を創造した。これ以上改善することは出来ない。だから後は人間の努力次第だ」と言うことで、ブライトビューとは「世界を善悪込みであるがままに受け入れ、綺麗事にだけ目を向けて自分を誤魔化すことなく、そこに潜むネガティブなものに屈せずに未来を築く信念」ということです。未来に問題や障害が待ち受けていることを、そして自分で創造的に問題を解決する必要があることを現実的に受け止める気概を持った上で、「だからこそ物事は最後は上手くいく」と信じれる気持ちなわけです。物事が上手くいくのは幸運だったからではなく、運命の手綱を自分で握っているからなわけです。こういった人は例え上手くいかなくても、不幸感に身を投じて自らをごまかしたり、他責にして境遇を嘆きません。全て自己責任として次に目を向けてその打開に準備を進めます。そして厳しいことを受け入れて次へ生かそうと挑戦していくのです。厳しさから逃げる人はその時点でダークビューですから、次にはもっと試練が待ち受けています。ダークスパイラルに陥るのです。

ダークビューの人はネガティブな考えに染まりやすく、何か障害に出会うたびに「自分は世界から拒絶されている」と受け止めます。「物事は究極は全て悪に引き寄せられる」という考えで、「だから問題は個人の力ではどうにもできないもので、決して消えてなくなったりしない」と規定してます。通じて「良いことは自分を素通りして他人にばかり起こる」と考えます。そうして無力感に囚われ、何に対しても消極的な態度や意欲の欠如に繋がっていきます。挙句、他力本願的になり、仲間を募って集団に依存しようとしたり、神頼みに傾倒していきます。そして弱いもの同士の傷の舐め合いになったり、上手く騙されて身包み剥がされたり、タダ働きさせられたりとダークスパイラルにハマって行くことになります。または抑うつ症に発展して行ったりします。

起きた出来事に自分がある程度影響が与えられると思い、問題が起きてもそれを継続的な困難としてではなく、一時的な障害と捉え、完全と立ち向かおうとする、そして自分の未来は、結局は自分がどう対処するかで決まると信じて行動するブライトビューの人とはまさに正反対の人生であり行動です。こうしてブライトビューの人が積極的に打って出る行動スタイルを本来はポジティブと称します。

ショートソモサン③:ビューを変えるには行動から変えること~ポジティブマネジメントの実践行動~

如何でしょうか、皆さん。ブライトビューが単なる願望のような気持ちではなく、ポジティブ行動を導き出すエンジンだということがお分かりになられたでしょうか。 ビューマインドセットはその人の認知のあり方を決してしまいます。応じて反応の言動や行動も決して行きます。それは周りとの相互作用によってポジティブかネガティブかのうねりを作っていくことになります。そしてその経験お積み重ねがその人の気立てを作り出していきます。その結果が今の自分なのです。ネガティブはネガティブを誘引し、ポジティブはポジティブを誘引します。今日が楽しいか楽しくないか。その気持ちが刹那か習慣的かはあなた次第です。何に目を止めるかで世界観や人生観全体が変わるのです。

快楽や好意は人を引き寄せ、不安や嫌悪は人を追い払う。単純な原理です。人は「ポジティブな物事を求め、厄介な物事を遠ざける」修正を持つ生き物です。あなたがポジティブならば人を引き寄せます。ネガティブならば人を遠ざけるのです。今の自分の立脚点はあなたが自ら生み出したものです。当然未来を作るのもあなたです。さてどちらを選択しますか。

 

いまさらわざわざその答えを問う必要もありませんよね。ではポジティブ・マネジメントの具体的アプローチ例に入って行きましょう。

ブライトビューやダークビューのようにビューマインドセットが行動や言動、立ち居振る舞いに影響し、それが身を囲む環境にまで波及し、クルッと周って因果応報に自分に倍返しされてくる。であるならばどこかでそれを断ち切るしかありません。ポイントはどこを断ち切るかにあります。

これまでも何度か話題に上げましたが、ポジティブ・マネジメントの肝は行動に変化を加えることから感情に刺激を与え、引いては意識の変容に影響を与えることです。ビューチェンジのポイントもそこにあります。ネガティブはネガティブを誘引し、ポジティブはポジティブを誘引する。好意は人に快楽を引き起こし人を惹き寄せ、嫌悪は人に不安を引き起こし人を遠ざけるわけです。そしてもう一つ。感情は感情を波動的に揺らします。人は論理よりも感情の揺れに強く反応する性を持っています。頭では分かっていても気持ちが追いつかない。それが人の性です。

ダークビューな人材をブライトビューにシフトさせて行動をポジティブ化させるにはどうするか。ここで間違いないことは、ビューは自分では気がつかないということです。内観を促しても「自分は間違っていない」とばかりに鼻から聞く耳を持っていません。ですから迂闊に「お前はネガティブだ」と指摘すれば、反発的に「あなたこそがネガティブで、事実今のあなたのいうこと自体がそうだ」と応えてくるのがオチです。

でも何らかの指摘による介入なしには揺らぎも気づきのきっかけも起きません。さあどうすれば良いでしょうか。

 

 ①ポジティブな言い回し

物言いや言い回しは常にポジティブな表現にするように心掛ける。相手に伝える感情の波動は徹底してポジティブな印象にして、特に認知バイアスの初動印象をポジティブにするように演出する。まずは何かの時に聞く耳を持たせることに集中するのです。

※この段階で失敗しているマネジャーが大多数です。マネジャーが求めるのは問題解決であって、自分の溜飲を下げることではありません。

②白黒思考の回避

物事には絶対的な正しい間違いはない。必ず割合の違いはあるが、両面価値がある(どちらにも言い分はある)という社会論理を常日頃に言い含める。何かあった時に「自分は正しい」となった際、それは不安からくる防衛心で、それでは問題解決や成長といったポジティブな状態には進めない。蛸壺に陥るということを冷静な論理を持っているときに刷り込んでおくことが大切です。

※良くマスコミは夫婦問題などを一方的に処断することでヒーロー化による感情的な煽りを持って部数を増やそうと卑しい画策をしますが、面白いほど多くの人がそれに騙されます。それくらい人は感情的で理非分別が出来ない人が多いということです。実際は一見悪いと見える側にも何らかの理由はあるわけで、人の間に起きる問題は両者に原因があると見るのが真っ当です。割合はあるでしょうが、一方的なヒーローやヒロインはいません。おそらくマスコミが騒げば騒ぐほどヒーロー視された方も苦しいと思います。

③行動にフォーカスする

ネガティブへの指摘はあくまでも「行動ベース」にする。即ち変容できる面やそういう余地がある面にする。しかもあくまでも論理ベースで指摘する。そして相手に自分の意見や価値を押し付けない。自分の認知や思いを粛々と伝える。ということがコツになります。言い回しはあくまでもポジティブに寄り添うように、がツボです。判断はあくまでも相手次第です。だからこそ常日頃のアプローチがものを言うわけです。好意のある人からの冷静で論理的で、自分でチェックできる行動ベースの指摘であってこそ、始めて人は内観して、嫌われないようにしようと自分の行動を見直すのです。そして新しい行動に取り組もうとするのです。その積み重ねでネガティブがポジティブとなり、それがダークビューを徐々にブライトビューに変化させていくわけです。

※行動ベースとは「目に見えて」「チェックできて」「修正可能な」ことです。例えば「お前は暗い」と言っても「暗い」という基準は主観であって判断も受容もできません。だから端から否定されるでしょう。あなたが好かれていなければ尚更です。

「そうやって下を向いていたら私には暗く映るので気落ちする」と言えば、相手も考えることでしょう。そしてあなたに好かれようと思うのであれば、それが自分にとってメリットになると思うのであれば行動を変えようとすることでしょう。母親が「片づけなさい」と言うのもネガティブな物言いです。子供といえども人は人格的にはアイデンティティがあります。命令されて気持ち言い訳ではありません。例え親であってもそう言ったアプローチが繰り返されると断絶や恨みの元になります。何より子をネガティブ人材にする養成器のような状態になります。「お母さんは汚いのは嫌いです」と言えば、本人に判断の余地がありますし、自由意志が尊重されてポジティブに動きます。※発達障害などがある場合は、この時判断が出来ないのでこの限りではありません。

行動できないことも言うだけでネガティブです。そうしてネガティブが波及していきます。例えばあなたは髪が薄いなどは本人ではどうしようもなく、ただ傷付けるだけですよね。

④ポジティブに締める

終わりはポジティブで締める。ポジティブとは意味なく誉めると言うことではなく(それでは馬鹿にしているとか哀れみと受け取ります)、問題解決に繋がるヒントや経験を伝えて、未来に目を向けさせるということです。気を軽くするように導くという作業です。

⑤相手を受容する(否定する)

全体を通して相手の話を良く聞く。受け止めるということです。ネガティブな話題で、しかもそれが自分の問題の場合、人は論理の前に感情処理に走ります。それが出来ないと鬱積して論理までいかないし、行っても消化されません。感情は冷静でも爆発的でも受け止めることです。その時に感情の影響を受けてハレーションを起こす人がいます。それはマネジャー失格の第一条件です。あくまでも冷静に論理的に受け止めます。だからこそ常日頃から気持ちの鍛錬、マインドフルネスによる感情を制御する集中力が非常に重要な要素になってくるのです。

まずは「隗より始めよ」とはそういうことです。

 

では今回はこれくらいにして、次回は権力という影響力に対してのポジティブ・マネジメントについて話を展開していきたいと予定しています。次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?