ポジティブマネジャーの核となるモメンタム ~ソモサン第207回~

ショートソモサン①:モメンタムを持つ人のポジティブさ

皆さんおはようございます。

 

先週NHKでイギリス王室バレエ団でロイヤルの至宝と称された元プリンシパル・バレリーナで、現在は新国立劇場の舞踏芸術監督を務めている吉田都氏のインタビューをやっていました。ピアニストの反田氏に引き続きですが、ポジティブ・マネジメン

トにとって非常に示唆される内容でしたのでご紹介をさせていただきます。

彼女がバレエを始めたのは幼稚園だったそうですが、その時点で「これがやりたい」と没入したそうです。練習は相当に厳しかったそうです(特に小学校高学年頃)が、同じことの繰り返しであってもそれを身体に入れ込むことによって。動きを頭ではなく身体が覚え、どんどんと様々なことが出来るようになり楽しかったそうです。しかしローザンヌの世界大会で上位に入り、イギリスに留学すると、身長差や四肢の長さなど「世の中頑張ってもどうにもならないことはある」という現実にも直面したとのこと。ところが吉田氏はそこで挫折したり、あきらめるのではなく、「とにかくやれることに集中することで乗り切れることはあるはずだ」「自分でできることで見せる工夫をすれば何とかなるはずだ」、とジャンプなどの得意に集中させて自分を磨き続けていったのだそうです。そのポジティブ思考やモメンタムは凄まじいものがあります。吉田氏はその原動力として、やはり幼少からの成功体験の積み重ねや努力は報われるという実感、そして凄い人が集まるポジティブな場が自分を持続的に成長させたと述懐していました。

吉田氏は「やりたいことを一生懸命やり続けていると次第に次の道筋が見えてくる」とコメントしています。また、「その年代でないと見えないものがある。だから楽しいし、続けられる」とも話されていました。ここには目標設定に対する本質が色濃く内包されています。また「バレエで生きていけたのは、変にリアルな生活を考えず、またこれからどうなるかを考えず、今日の自分に集中していた。絶えずいまを生きるの積み重ねだった」とも話されていました。この「今ここに集中する」というのは禅の教えの本質です。この余計なことを考えずに今ここに集中することや荒唐無稽な夢のような目標を描くのではなく、出来ることから積み上げていくようなレベルの目標を描くことによって自分を奮起させていくという動きは反田氏と共通する考え方です。世界のトップレベルに立つ人たちの考えが共通した世界観を持っているのは特筆べきことと言えるのではないでしょうか。重要なのはコメントから見えてくることとして、2人とも全くネガティブな思考や意識を持っていないという現実です。ポジティブにしようとするのではなく(それ自体がネガティブ?)、無垢にポジティブであるということが良く分かります。

 

ショートソモサン②:モメンタムの開発のためには何が必要か?~「できると思えること」からはじめよう~

ところで本ブログを見てくださっている人はご存じのように、JoyBizではポジティブ・マネジャーというコンセプトによるマネジャー育成とそのマネジャー(チェンジ・エージェント)による組織開発を手掛けていますが、その原動力として彼らのバイアスをポジティブにするということに加えて、セットでモメンタムという理論を骨子に置いています。ポジティブに活動するには単に意識をポジティブに方向づけるのみならず、行動として動きを出さなければ意味を成しません。これをポジティブ心理学ではリーチアウトと称しています。この動きを出すエンジンを担うのがモメンタムです。そこで今回はそのモメンタムに焦点を当ててみたいと思います。

モメンタムとは、心理学において「行動の変化を起こすきっかけ」を言いますが、日本語的には「自己奮起の起爆的動機付け」のようなニュアンスの意味を持っています。昨今の巷を見ていると日本人もそこそこポジティブ意識を気にする人が増えてきているようですが、モメンタムとなると欧米のようなクイックアクションするようなバイタリティを感じさせる人は少ないように感じます。アジアに目を向けても積極的に留学をするような若者が日本では目減りしていっているように思えます。本当にどんどんとモメンタムが下がり、パッとしない人が増加する一方です。これは日本社会の未来にとっては一大事なのではないでしょうか。

ではこのモメンタムを強めるにはどうすれば良いのでしょうか。まずはモメンタムというエンジンを動かすエネルギーをチャージすることです。モメンタムには、内発的目標設定という論理的な意志の所有(燃料タンク)と内発的意欲付けという感情的な士気の所有(燃料エネルギー)という2つの動機づけ要因があります。どちらが欠けてもモメンタムは発動しないというのがポイントです。従ってモメンタムを高めるには両者を同時に効率よく構築し充填していく必要が生じます。

しかし急がば回れ。それを行うにおいては大きな注意点があります。まずそこで押さえておかなければならないのが、いきなり無理をしないということです。容量を弁えないエネルギー充填によってパンクして燃料タンクを壊しては元も子もありません。心のエネルギータンクの容量は成長的に増加するという特徴がありますが、最初は誰しも少ない容量しかありません。分相応という言葉がありますが、最初は少しずつ、しかし留めなく着実に燃料をつぎ込むことが大切です。

「不可逆的に進む時間の中でのすべての変化は、成長や発展というポジティブ進化に対して自然と動く自己推進力を持っており、それはごく小さな変化が次の変化を呼び起こす連続性によって成り立っている」というのは自然界の摂理ですが、このことは、小変の積み重ねこそが変化の本質であり、大変で変化が起きることは奇跡に近い所業であるということを示唆しています。

具体的にはいきなり大きな目標を描いたり、極端な行動を取って、早晩に息切れしたり、頑張りがぶち切れることです。これは皆さんもご経験になった過去がおありではないでしょうか。世の中で成功している人は、目標は抽象的でも、何よりもまずは最初の一歩の計画を重んじ、それをやれるに応じたものとして小さく描き、とにかく踏み出しています。そして一歩踏み出しさえすれば、あとは、どんどん進んでいくという動きをしています。言い換えますと、一歩踏み出せば、そのあとは自動的に目標達成に向けて動いていく。だから一歩踏み出すため、その一歩をできる限り小さなものにするようにと、本能的に心掛けているようにも見えます。そうして小さな成功を積み自信を培います。そしてそれを繰り返して徐々に極みを高めていっています。

確かにどんなことでも長く続けてこそ成果が生まれるわけで、長続きさせるには最初からは欲張らず、リアルにイメージできる範疇を心に留め、むしろそのイメージしたことを少しでも実行したら目標達成として成功体験のポジティブ感を重ね、モメンタムを醸成する方が最善に思えます。この心理ハードルの低さこそが、成功に繋がる秘訣なのではないでしょうか。

やってみようと思えることを設定すると、人は自然と走り出す。目標や計画を現実的な路線に抑えたことが、成功の秘訣だと反田さんも吉田さんも経験を通して共通なことを語っているのは非常に興味深いところです。

ショートソモサン③:戦略は「やれると思える目標」になっているか?

ところで「目標への動機づけ」は組織行動へ影響を及ぼす集団心理にも大きく関係しています。組織が目標設定をする際に重要なのはビジョンです。ビジョンとは理想像です。つまり「ああなりたい」という姿です。企業の多くは従業員の心を一つに束ねるために企業の将来像をビジョンとして描いています。そして3年後などを見据えて中期経営計画を策定したりもします。しかし私の経験上、実際にその計画が完遂することはよほどのラッキーな運の力でもない限り実力的に達せられることは殆どありません。多くは絵に描いた餅になります。一体何故なのでしょうか。

それは多くの経営計画が大局観に偏った絵空事の羅列になっていて、従業員にとって日々の行動に繋がるリアルなイメージが想起出来ず、従業員個々の気持ちにモメンタムが宿らないからです。目標設定においては必ず守るべき約束事があります。それはフューチャー・プルと称される未来の姿から現状の動きを方向付ける観念とカレント・プッシュと称される現在のリアルな状態から最初の一歩を喚起させる計画という感情と論理の案出とそれをバランスよく融合させるアプローチが必須だということです。

ところが残念なことに多くの企業では、「カレント・プッシュに拘泥、夢がなく数字一辺倒、無機質な計画」がポジティブなうねりを殺し従業員のモチベーションがさがり具体的な行動に集中することを阻害しているか、反対に「フューチャー・プルに拘泥、夢物語やお花畑、現実味がない」計画が掴みどころがなくポジティブなうねりを殺し、集中することを阻害されている状態に陥っています。

ショートソモサン④:モメンタムには「欲」が大切 ~権力欲って悪いこと?~

それでは次にモメンタムにおける感情的な高揚のやり方について話を進めて参りましょう。モメンタムの感情的領域である自己の動機付けを高めるのは何よりも「欲」を持つことです。最も原始的な欲は「食性眠排」と言われますが、確かに人は欲によってエネルギーが高められることを我々の誰しもが体験的に学習しています。欲とは快を得ようとする情動です。直接本能的な欲は、着火させやすい反面、ポジティブにコントロールしたり目標的に方向付けするのが難しく、また自己成長において持続的に取り扱うことも極めて難儀です。こういう欲は動物としての衛生維持的な「欲情」です。

人として社会的に意味ある生き方をしようとする上での欲はもっと理性的な欲です。それは自らの行動をより社会的な存在として関係的に自己成長を促進させようと動機づけられ、他者からの承認や賞賛という快で満たされる欲望になります。それらには集団により深く帰属したいという「親和の欲求」や、人との間でより自由に自己実現を為すために、更に自分の目標社会的により最大限に適えるために他者や集団に影響しようとする「支配(影響)の欲求」とがあります。

その欲望の顕著な表現が勝ち負けへの拘りや自らの支配力の拡大と誇示です。禅では「少欲足るを知る」といって過度の欲望追及は他者との折り合いや社会の秩序維持において自重すべきと説いていますが、無欲はモメンタムを無くするものとして否定しています。欲はモメンタムの発動にとって不可欠な存在と云えます。

そして社会生活にとって「欲」のマネジメントと「権力」とは切っても切れない関係にあります。モメンタムにとって権力という影響力の獲得と行使という流れは必要不可欠だからです。

そこでここからは前回にも触れた権力の行使について話を展開していきたいと思います。

巷では権力というと何処かネガティブなもの、必要悪のようなイメージを持った人が多くいらっしゃいます。特に集団主義の日本人はそうです。社会的に突出するのがいけないかのような価値観が蔓延しているが故に権力を忌み嫌う声をよく耳にします。欧米でもリベラル派を中心に権力を野蛮で前近代的と嫌う風潮があります。しかし実際には権力を持って為されるリーダーシップが機能しないと様々な物事が滞るという現実があるのも間違いのないことです。私的には結局は自分が権力を持ち得ないことに対する妬みや嫉みが主因となって権力を忌諱している人が少なくないのが実際とみています。またイメージとして権力を政治権力と混ぜこぜにして、利己主義と同義のようにネガティブな存在の様に捉える人も結構いらっしゃるようです。これは政治屋さんの責任ですね。

権力は「ある主体が自己の意思に沿って他人または他集団に対し、行動を強制する能力である」というのが定義になっています。ここで強制という文言が「自由意志の侵害」のように捉えられることと繋がっているのですが、英語では権力という定義はなく、単にパワーという表現で、そこには強制という意味も入っていません。結局は翻訳者自体が思い込みで訳を行い、それがまことしやかに喧伝されているのが実状といったところです。では影響力と権力とは何が違うのでしょうか。それは行使する人が自発的か否かという面での違いです。影響力は自分が意図せずとも他者が認知することで発動しますが、権力は意図的に発動させる影響力です。

影響力に関しては以前にご紹介をさせていただきましたが、大きく7つの存在があります。そしてこの7つの力は人間の発達過程に応じて影響的な強弱に直間的な作用の差があることが分かっています。それはより原始的に情動的でかつ直接的な影響作用から、強制、褒賞、関係、地位、情報、専門、人間という順により理性的な所在を呈しています。

強制と褒賞はダイレクトに回避動機と接近動機に基づいて影響する、かなり本能的な影響を持っています。理屈や思考抜きでそれこそ情動的に反応する影響力です。その次が親和欲求に応じた影響力です。そして権力欲求に応じた影響力、そして自己成長欲求に応じた情報や専門といった人間の成熟に従った理性的な影響力へと昇華されていきます。最後に位置するのが全てを包含した魅力、人間力という影響力に至ります。

こうして人間は持つべき社会的条件や内包する影響力の進展に応じてよりポジティブで問題解決に利する影響力に反応していくという本性を発現させていきます。

この順番は、人の品性や知性の程度と呼応しています。先に分相応と表しましたが、その人がどの影響力に反応するかでその人の人格や人間性が浮き彫りになるところがあります。粗野な人は強制や褒賞といった情動的にダイレクトな影響力に反応します。また「衣食足りて礼節を知る」の如く、品格高邁でポジティブな人ほど専門性のような知の力に反応しますし、人間性に反応します。また知力の高い人もその思慮深さに応じて同様な反応をします。特に人間社会での権力関係においてはより強い影響力を持っている人ほど心的なゆとりをもって論理的に反応するが故にやはり専門性や人間性を重視するのも顕著な反応と云えます。

実際私はコンサルテーションで様々な事情の組織現場に入り込んでいますが、知性や品性の高い人は専門性や情報性の影響力に強く反応しますが、その専門性や情報性の価値が分からない知力の人は地位の影響力による評価としての罰や褒賞に強く反応し、全く人の話に耳を傾けない、合理的に判断しない、論理的に動かないという三無い尽くしには閉口させられます。どんなに緻密に計画を練っても、経験からの知恵を授けても「暖簾に腕押し」ですから負のスパイラルから抜け出せません。だから知力不足と嘆くのですが、それでも勉強もしないのが人の性と云うものなのでしょう。本当に不条理を感じるところです。 しかしだからと言って権力を否定するものでもありません。そこで重要になるのがパワーレンダリング(権力の演出)です。相手が分に従った権力に反応するならば、そのレベルの権力を活用して物事を推し進めればいいのです。要は演出です。自分に拘りさえなければ、7つの権力は自由自在に使えます。大事なのは現実的な目標の達成です。皆さんにおきましても権力というものを再考してみて頂けますと改めて何かが広がってくると思います。

権力に関してはまた稿を改めてお話をしたいと思っています。

ショートソモサン⑤:モメンタムを鍛えるには「集中」すること

そしてモメンタムを発動させるにおいてはもう一つ重要なことがあります。それは欲望を満たすために自己をクールに発奮させる集中力です。皆さんもフローとかゾーンといった集中力が起動した状態を見聞きしたことがあると思います。自ら経験した方もいらっしゃるやも。このフローこそが集中力です。そして集中力は自身の努力で習得できます。

モメンタムにおける目標形成と集中力は相互関係的な存在です。ワクワクするような大志と自己奮起させるリアルな一歩を指し示す計画という両者の存在とバランスの良い融合が集中力を醸成させます。そして集中力が欲を統制し、目標への拘りを確かなものにします。

このことは禅の教えを思い込みで偏って解釈している人にも同じことが言えます。

禅では「明日はどうなるか分からない。過去も終わったことで取り返さない。だから悩んでも仕方がない。今ここに集中することが大事」だと教えます。これをもって禅は現実思考で未来がないように解釈する人がいます。しかし禅は大乗思想を持ち、利他の精神を唱え、持続的な安寧世界を目指すという理想像をもって存在しています。

瞑想も修行もあくまでもその理想的な世界を実現させるための道程として存在しています。禅ではあくまでも荒唐無稽な大きな夢を描いて夢に押し潰されたり、挫折するのではなく、今出来ることに集中して、まずは自身の心を不動なものとして、一歩一歩着実に自分を高めながら目標達成に向けて歩むように示唆しているわけです。

モメンタムは欲望をエネルギー源とし、達成可能なハードルの低い目標の設定とそれを可能にする権力の確保への行動、そしてそこへ向けての集中力によって発動され、持続的な目標の積み上げと実践的な活動によって高まっていきます。

反田氏も吉田氏も異口同音に「地道に計画に拘って日々を精進していると、不思議と周りが手を差し伸べてくれた」と述懐しています。なぜ皆は助けてくれるのでしょうか。権力は権力に呼応します。力あるところに力は集まるのです。皆さんも再度集中力を磨き、是非ポジティブな権力を沢山身に着けてください。

「集中するには、まず好きになる。好きになれば目標も見えてくる。出てくる。力も欲しくなる」ポジティブの核は好きになることだといえます。

それでは皆さま、引き続き来週もまたお読み頂けますと幸いに存じます。。

 

さて皆さんは「ソモサン」?