• ネガティブな状態にしのびよるもの~カルトの恐ろしさとポジティブの大切さ~ ソモサン第202回

ネガティブな状態にしのびよるもの~カルトの恐ろしさとポジティブの大切さ~ ソモサン第202回

ショートソモサン①:カルト宗教がつけこんでくるスキマを分析してみると・・・

皆さんおはようございます。

先週、二週ほど前に書いた「安倍元首相襲撃事件」に絡んで書いた新興宗教について後輩から質問が来ました。「結構、高学歴の人や、一見頭は良いと見える人が基本的な論理が成り立っていない宗教に嵌ってしまうのは何故だろうか」という内容でした。今回はそこからブログを始めることにしましょう。

確かに宗教は「一切の世俗との関わりを絶って出家する」と言うことで、全財産は家に残し、身一つで入信するのがルールになっています。また仏教などは「自分の身を修行によって高めることからブッダの境地に自分も達すること」です。つまりあくまでも自分を悟りに導くのが真理であって、他者に迷惑をかけない、と言うのが教義になっています。にも関わらず、全財産を教団に寄進したり、他者を無理に勧誘したりと迷惑な活動を続ける信仰の宗教が後を絶ちません。自己啓発セミナーと銘打ってはいても、その実態は、裏に宗教が潜んでいるケースも見られます。

生まれ育った周辺社会や今生活する社会環境で、様々な事情によって“よそ者”として扱われて疎外感を抱いたり、周りはそうではなくても自身の拘りや思い込みによって勝手に疎外感を感じることから、孤独感を抱いてしまった場合、殆どの人は心が不安定になり、論理よりも感情的な欲求が萌芽し始めます。

昨今では平和ボケと言われながらも衛生的な生存や安全秩序の欲求が充足する社会情勢の中で、殆どの人が集団帰属に対して保障される環境に生きています。その為に親和欲求に対しての関心が薄れる傾向にあります。それよりもその所属集団の中での立ち位置(それが自由の度合いを決める)に対する影響欲求に関心が向けられています。

その為、親和欲求において飢えを持っている人には無頓着な時代と言えます。特に都会はそうです。例えば昭和時代にあった「向こう三軒領土なり」といった付き合いが減少し、引っ越しの挨拶といった風習も無くなって来ています。

一方で、ダイバシティなどによる価値の多様化やバーチャル生活による対人関係構築の未熟化が、違った意味での孤独感を生み出し、新しい親和欲求が台頭し始めているという現実もあります。

こうして対話経験の不足や自己概念への拘りが、自らが対人回避や集団回避行動を起こしているにも関わらず、これまた他者からの指摘の不足や未熟的な拒否によって孤立を生んでいるにも関わらず、疎外感を持つという、まことに身勝手な人が増加しているのが実際のところです(引きこもりなどもその一部と言えます)。

いずれにせよ、こういった状況は精神的に不安定になりますから、論理も何も吹っ飛んでしまいます。そして必死で自己肯定感を保とうと執心する心理状態に陥っていきます。そこに自己を肯定してくれる人や集団が現れたらどうなるでしょうか。

カルト問題に詳しく、自己啓発セミナー主催団体の被害救済にも尽力してきた方によると、「カルトに入ってしまうのは、『タイミングと運』が大きい。オウムの場合も、たまたま悩んだり迷ったりしている時に出会ったのがオウムだったのが不運だったわけで、それが既成宗教のボランティア団体などだったら、何の問題もなかったわけです。不運という点では、あのX JapanのToshiも同じと言います」なのだそうです。彼は、仕事や家族のことで悩みを抱えていた最中に、(教団に所属する戦略的に近づいた)女性(後の妻)からの誘いでセミナーに参加し、そこでマインド・コントロールされ、セミナーを主催する男性(若い頃私の住宅の下に住んでいました笑)のところにしか救いはないような気持ちになってしまったのだそうです。「いわば、交通事故に遭ったようなもの。誰しもが、カルトに取り込まれてしまう可能性があります。自分は大丈夫、と思っていると、それが一番危ない」と言うことです。

人間は、一生順風満帆なわけではありません。人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりするし、病気をしたり、事故に遭ったり、恋人や伴侶と別れたり、家族を失ったり、喧嘩したり、受験に落ちたり、職を失ったり。そんな時、人はカルトに巻き込まれやすいわけです。思考が冷静に働かない。自己肯定に固執し、精神が偏っているわけですが、バイアスがかかった状態なので自身では気づかない状態です。そこに救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるわけです。

また時には、一瞬の空虚状態に入り込む場合もあります。受験に成功はしたが、真の自分の人生目標は未だ見出せていないとか、これからどう生きていけば良いのか、受験は制したが、これは苦しく楽しいものではなかった。本当の自分ではない。どうすれば自分にとってのJoyを見出して身につけられるのだろうか、といった不安感に入り込んでくる場合もあります。何れにしても精神の不安定さによって論理が低下する隙を狙って入り込んで来るわけです。

 

ショートソモサン②:自己肯定感を満たそうと自己防衛する心

ですから一部のカルト団体では、特に悩みや迷いの中にいない人に対しても、敢えて悩みを作り出して引き込んでいくやり方をすることもあります。何でもないことに対しても、「本当にそれでいいのか」と疑問を投げかけ、「もっと良い状態はないか」と考えさせます。自信の無さにつけ込んで更に揺さぶりをかけてくるのです。そうやって、人を悩みの中に誘い、その答えとして、カルトの教義を世界の如く刷り込んでいくわけです。

ここから見えてくるのは「人から言われたことをまじめに受け止めて考える人は、入りやすい」ということです。元々アイデンティティとは「自分は自分である」というある意味根拠のない自信です。自分は自分であると言うことを信じる度合いが強い人が自信家です。親からの教えとか、成功体験とか根拠は様々ですが、信じる縁を持っている人はこれを強く持っています。一方親などからの関わりや教えが少なかったり、失敗体験が多いとこれが弱い状態になります。そして自信なくやるから、また失敗するといった悪循環に陥ります。自信がなくなる度合いに応じて自己肯定感を保とうとする自己防衛心が高まりますから、より自己正当化への拘りが高まり、よって孤立し、疎外感が高まるという循環過程に陥ります。

こういった人はまさにカモです。「カルトはカルトの顔をして近づいてきたりはしません。例えばボランティア団体を装って、「人の役に立ちたい」と思っている人に接近したりします。また自己啓発セミナーと銘打って、まずは何でもかんでも許容する態度を示し、初動に好感を演出して、我々は貴方の仲間、同胞、味方だといって孤独感の癒しに入り込み、取り込んでいきます。ですから騙されたことにも気がつかないことの方が多いのが現状です」

そして取り込んでしまったら、今度は外と遮断するような施策や集団圧力的にアプローチして、逃げられないように持っていくわけです。

では初期にそれを見極めるにはどうすれば良いでしょうか、サインは3つあると言われています。その一つが見られたら、要注意です。よく注意していれば、カルトのサインが見えてくることがあります。

その一つは、「お金の話が出たら要注意」です。途中で会費やセミナー代などを求められたり、ビデオやテープや本を売り込んできたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。最初から吹っ掛けてくるような見えすいた手は打ちません。手練手管です。

次に、「話が最初と違っていたり、何らかの嘘が含まれている場合」です。例えば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人が実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合です。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑にして勧誘活動をしていました。

三つ目は、「これは誰にも言っちゃいけない、この場だけの話だ、などと秘密を守らせようとしている場合」です。若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当に良い教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのですが、それを一部でも秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され考え直して脱会してしまうことを恐れているわけです。集団圧力と集団催眠による洗脳が常套手段ですから、その場に居させ続けようとしたり(土日はセミナーで出席させて、外の人と接触する機会をなくす)、外と遮断するように仕向けていきます。

では知り合いが嵌まり込んだらどうすれば良いでしょう。

第一に、まず自分は近づかないことです。友達に誘われても、断りましょう。友達が心配だからといって、一緒についていったりするのは危険です。洗脳を舐めてはいけません。「ミイラ取りがミイラになる」結果となってしまいかねません。アプローチとしては、「カルトから離れて戻ってくれば、また友達になれる」ということを言ってあげることです。そして大事な友達がもしカルトに入ってしまったら、どんなに口止めされても、まずは親や先生など、周りの人に相談してあげましょう。

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王は、まっとうな宗教といかがわしいカルトの見分け方として「studyとlearnの違いにある」といっています。studyは「研究する」という意味です。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語や表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」とうことです。一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です。

元より、特に仏教は自分を啓発させる為に作り出された教義を持つ宗教です。それを万人に普及し、全ての人が考える、智慧を持った存在になるように説いています。カルトとは真逆の動きをしています。

ショートソモサン③;ポジティブに勇気づけるための「見守り」と「激励」

皆さんも是非ご参考にして頂ければ幸いに思います。重要なのは常に論理的であるということです。自分の感情に対しても論理的であるように、自分の中にメタ認知力を作ることがポイントです。それには感情に惑わされないように常に自分をポジティブな意識状態に置けるように自己管理をする。そして周りに影響をして、置かれている環境自体をもポジティブな状態にする演出をかけることが肝要な手段です。

さて、ではペップトーク第四弾、最後の「期待(勇気づけとポジティブ感情の注入)」についてお話を進めていくことにします。

もうお気づきの方がいらっしゃると思いますが、ペップトークは「感情→論理→論理→感情」の流れになっています。これは会談において最初と最後は礼儀正しくという印象やインパクトにおける人間の心の動きと同じで、人が感情を持って論理を制している実態を表しています。行動は感情から発せられるのです。

勇気づけとは背中を一押しするような激励を投げかけることです。ここで重要なのは心に火をつける言葉、奮起させる言葉です。

ではどうすれば人の心には火が付くのでしょうか。勿論ポジティブであることは前提です。

ポジティブな心は自尊感と密接な関係があります。自尊感とは「自己肯定感」と称されることもあります。「自分を尊いと思える感情」「自分が自分と認められる感情」です。

自尊感には2つの他発的動機要因があります。「自己存在感」と「自己有力感」です。前者は基本欲求における集団帰属性における「親和欲求」、後者は自我地位性における「影響欲求」と繋がっています。これは欲求充足に2つのパターンがあるということを示しています。それは「受け入れられたい、一人ではない」という心根、つまり「見守ってほしい」という欲求充足と「自分は力がある、影響できる」という心根、「激励されたい」という欲求充足です。

人はこの「見守り」と「激励」の両者かいずれかによって心を充足させ、時に安心感を持ち、時に勇気づけられます。そのどちらに感応するかは状況次第です。そこはシグナル・マネジメントが功を奏するところです。

激励系は、一言で言って「気合い系」です。「やって来い」とか「出来る」といった言葉です。見守り系は、「寄り添い系」とも言えます。「一人じゃないぞ」とか「一緒だからな」といった言葉です。どちらも論理ではなく、感情に直接訴えかける言葉の投げかけです。

ところで勇気づける期待の投げかけは、自尊心の状態もありますが、もう一つ価値観に応じてという世界もあります。心理学者のフロムは「人間における自由」という論文で、人には大きく3つの基本的価値観があると紹介しました。まず一つは「人を支援することに価値を感じる」という観念です。また一つは「人を統制することに価値を感じる」観念です。そしてもう一つ「人とは無関係に地道にことを進めることに価値を感じる」という観念があると彼は語りました。最近の研究では更に「人と一緒に和することに価値を感じる」という観念が加わって、都合4つの価値観のどれかを軸として人は自由を感じる、欲求を充足すると考えられています。

勇気づけもそれに応じて人それぞれに4つの動機づけのパターン、声かけがあるということが分かっています。

統制スタイルを基軸とするタイプの人には「激励型」が有効になります。一方支援スタイルの人には「見守り型」が効きます。地道スタイルはあまり期待の投げかけには影響されません。しかしフロムの見解では、スタイルは分けられるがきっちり分化されるわけではなく、サブスタイル的に2〜3の基本的価値観の要素が混ざって存在するとしています。人によってはバランス良く有している人もいます。ですからまさに「人を見て法を説け」ということでサブスタイルに反応する人もいますので、一概に無効とは言えません。

何れにせよ、自尊感や価値観など人それぞれの人となりを鑑みて、状況も踏まえて期待を投げかけるのが重要なコツと言えます。

ということで、4週にわたってペップトークの具体的な使い方やコツをご紹介させて頂きました。次回はポジティブ・マネジャーの自己管理として、セルフ・ペップトークの世界とやり方をご紹介させて頂きたいと考えています。

皆さんも暑い折です。くれぐれもご自愛下さい。また、再度コロナが増加してきました。ウェブでのやりとりが再び復活してくる兆しです。こうなるとなかなか非言語的なコミュニケーションが取りにくい状況となります。これを機に是非ペップトークを磨いて、使いこなして頂けますと幸いに存じます。

 

それでは引き続き次回を楽しみにして頂ければありがたく思います。

 

さて皆さんは「ソモサン」?