承認=受け止め方のポジティブ化 ~ペップトークの中核的技術~ ソモサン第200回
皆さんおはようございます。(本稿はもともと江戸時代徳川家の話を考察のネタにしようと思っていましたが、本稿執筆時に痛ましい事件が起きたので今回はそちらに触れてまいります。)
今回のブログは200回記念で華やかにスタートしようと考えていたのですが、現実はその正反対の心境で、久々に無常感に浸る週末になってしまいました。このブログの原稿を書き始めた最中に衝撃的なニュースが入ってきたのです。それは日本最長の任期を誇った元総理大臣であり、自民党の最大派閥領袖である安倍氏が暴漢の凶弾によって逝去されたという内容でした。お昼直前のことです。以来テレビの画面では10分おきにはその瞬間の映像が流れる状態になりました。
映像の衝撃としては幼少の頃に社会党の浅沼氏が演壇で刺殺されて以来ですが、今回はほぼオンタイムだったので、その心のざわめきは生涯において初めてのものでした。
先週私の姉がJALのCAをしていた話をしましたが、その在職中に姉は当時の大平総理が訪米の際の政府特別機に同乗しており、その時の総理大臣の激務の状況を聞かされていました。それ以来、総理大臣という職責は本当に大変なんだな、と思っていましたし、それ故に安倍氏が病気を理由に一度降板した時には、「さもありなん」と同情していたものでした。当時もその後に、総選挙の際に大平氏が街頭演説中に心臓発作で倒れられ、亡くなられたというニュースを耳にしたときは、志半ばの逝去に大きく無常感を感じました。
その頃、テレビではTBSの「時間ですよ」というお風呂屋さんが舞台のドラマが人気で、ちょうどドラマの中で、風呂屋の主人の商店街仲間の八百屋の親父とストリップに行くシーンがありました。その親父がその途中で心臓発作で倒れ、今際の際に「平凡だったが楽しい人生だった」と言い残して亡くなったのですが、大平さんのように日本のトップまで上り詰めても最後は心残す死に方になったのに対して八百屋の親父は満足に去って行ったのだ、なんてことを考えると果たしてどちらの方が幸せなのであろうと考えたことを思い出します。
以来、そこそこ勝手気ままに人生を過ごし、いよいよ私も晩年期に入ろうとしていますが、年も近い安倍氏がこのようなな幕引きをするとは夢にも思わなかったわけで、しかも癌で逝去した父君の晋太郎氏と同い年で亡くなるとは何ともはや。久しぶりに心から無常感を感じた次第でした。
ショートソモサン①:メンタルとロジックの関係~新興宗教・自己啓発セミナーにはまる人・はまらない人~
それにしても、この事件を巷では「テロだ」とか「選挙の最中に言論ではなく、暴力を持って揺さぶるのはけしからん」的な声が騒がれるのには、違和感があります。
今回の暴漢は、戦前の首相暗殺を狙った政治犯や思想犯の類ではありません。また浅沼氏が刺された時の様に、無知な犯人を洗脳したバックの団体もないようです。むしろとある団体に対する怨恨が理由で、浅慮な思い込みと勘違いによる敵愾心から安倍氏を襲ったという顛末です。私的にはアメリカで頻繁する精神異常者による銃乱射事件の方が近い犯罪だと見ています。
問題視すべきなのは、こういった殺伐とし始めた昨今の警備体制の杜撰さや平和ボケした警備姿勢のようにも感じています。
それにしても世の中ではこういった宗教絡みのいざこざが時折発生しますが、いつも感じるのは、当事者にせよ、関係者にせよ、どうしてこうも浅慮短絡な思考になってしまうがのだろうか、とういことです。論理が通らないのです。
今回も引き金になっているのは、とある宗教団体による狡猾な運営問題にあります。信心に絡めた詐欺まがいの集金活動です。以前も壺売りで騒ぎになった事例がありますが、このお布施に絡めたいかがわしい勧誘や運営活動は枚挙にいとまがありません。どうやら今回も親がその活動に巻き込まれ、全財産を残らず吸い取られて破産したことへの恨みが発端のようです。
それにしても論理的に不思議なのは、お布施の額と信心深さが並んで語られることです。どの宗教にも経典にそのようなことは記されていません。
以前、私の友人がとある宗教団体に入れ込んで、時折私にも勧誘をしてきました。その際私は「それであなたは幸せになったのか」と問うたのですが、彼曰く「信心が足りないからもっと活動を深めなければならない」との返事です。まず、心の平静を持つために信心するのに、かえって、焦燥するのはどう考えたっておかしいわけです。全く論理的ではありません。彼はその宗教の関わりの中で伴侶を娶ったのですが、その伴侶は程なく癌で他界しました。彼曰く「信心が足らない」と。
(私)「はあ?信心しているのに伴侶が癌っておかしくないかい?」。
こういった人はどうしてクリティカルにものごとを捉えて考える事ができないのでしょうか。
(私)「破産するまでお布施するっておかしいでしょう。宗教の本質はそういった思想観ではないでしょう」。
皆さんはどう思われますか。でも現実は高学歴でもこんな単純な論理思考が展開できずに得体の知れない宗教に陥る人が沢山います。世の中の不可思議なところです。
でも皆さん、こういった歪んだレトリックで人をだましてお金儲けをする集団はほかにも一杯います。例えば自己啓発セミナーといわれる一団もそうです。
自立する、或いは自律する、というのは人が自分を解き放ち、心が自由になるには大切な心構えです。しかし世の中は様々なしがらみでなかなか思い通りには行きません。自重自縛でくるしむ人は一杯います。最終的には自分が自分をどう思うかであって、自分に明確な意思があるか、きちんと意思決定が出来るか、という問題なのですが、意志が弱く意思決定を他力に求める人も自爆で苦しむ人と同じくらいいます。そういった人の弱さに入り込んでくるのが自己啓発セミナーです。
先般も私の知人がそんな話をしていました。(彼はそれに引っ掛かったというか、誘われて断りきれず(ここから問題は始まるのですが)にそういったセミナーに出席し、個人負担で大枚を払わされ嘆息していた次第です)
聞いていると、体裁は内観道場のようなのですが、演出はまるで集団催眠。少しでも社会心理学をかじっていれば簡単に見抜けるような「同調圧力」や「斉一性の原理」や「集団思考」を駆使して、一種の洗脳状態を作り、人の気持ちを操っていく。その人から聞いたプログラムの進め方は悪寒ものでした。
面白いのはその場で「自分は解き放たれた」とか「これで自分は迷わずに進める」といった自己宣言によって一瞬気分が良くなったはずなのに、結局は病みつきになり、毎月出席したり、高いテープや関連商品を買わされてご満悦」になっている他力な姿です。結局は何も変わってはおらず、騙され取り込まれていくその思考の論理性の無さ。でもSNSの誹謗中傷や今回の安倍死の惨劇におけるネットのコメントを見る限り、こういった状態の人が蔓延しているのが現実なのだと思います。このような日本に怖さを痛切に感じるのは私だけでしょうか。もう少し世の中はポジティブになれないのでしょうか。
ショートソモサン②:事実を認知するやり方のレパートリーをどう増やすか?
ということで、今回はペップトーク第二弾です。今回は第二ステップの承認をお話しします。承認とは「受け止めた認知をポジティブ変換する過程」です。ペップトークの中核と言える段階です。
認知転換は精神医学界においても「認知行動療法」として重視される重要な技法です。ペンシルバニア大ではレジリエンス・プログラムにもこの技法を応用しています。
人は認知に従って思考や感情や行動、時には身体的反応までをも選択します。それは意識的な範疇なものもあれば無意識的な範疇のものもあります。例えば物事をネガティブに認知すると思考も行動もネガティブになりますし、ポジティブに認知すればポジティブになります。
JoyBizではそれに加えて、そもそもその認知自体がポジになるかネガになるかといった潜在意識における感覚反応に着目し、最初のアプローチ段階で感情面への演出(要はポジティブな雰囲気がなければ潜在的にネガに誘引される)を欠かさないと言うことを提唱し、そのアプローチは前回のペップトーク第一段階でご紹介させて頂いています。詳しくは前回をご参照ください。
さてこの認知の転換ですが、ペップトークではこれを2つの切り返し話法によって成立させていきます。
受容の鍵は事実の受け止めでした。事実とは元来ニュートラルなものです。しかしそれを「どう認知するか」は人それぞれの心構えや価値観です。
ニュートラルの前提は「物事は須くマイナスもあるがプラスもある」ということです。例えばウィスキーが瓶に半分あるときに「もう半分しかない」と捉えるか「まだ半分ある」と捉えるかは価値観次第です。
ペップトークではマイナスに捉えがちな局面をプラスに転換するアプローチを取ります。
- 「とはいえ」発想
マイナスに対して「とはいえ、ここは出来ている」「ここは強み」と焦点を変えるアプローチです。ないものねだりでマイナス思考になるところを、あるものに目を向けさせてプラスに切り換えていきます。
・ブランドがない。とはいえ、それ故に先入観もない。縛られずに抜け抜けとやれる。
- 「だからこそ」発想
感情や状況がマイナスと認知している場合、「裏返したら実はこうだ」とか「見方を変えると本当はこうだ」と逆転的に切り換えていきます。例えば「緊張するのは気が入っている証拠」とか「ピンチはストレッチするチャンス」といったようにものの見方や考え方を切り換えます。
・「不安である」それは「大事に思っている証拠」だからこそ不安は当たり前。それは正常である。
・「「問題がある」それを気付けたのは凄いことである」だからこそこれは今着手しなければならない。
このように感情がネガティブな場合はエビデンスベースで、状況がネガティブな場合はチャンスベースで捉えることからポジティブに意識を切り換えます。
最初は上の二つのパターンが使いこなせるように繰り返してトライアルしてみて下さい。物事は習うより慣れろです。そしてともかくまずはこの2つのアプローチを身につけましょう。そして慣れるに従ってレジリエンスを阻害する12のネガティブ要素にアプローチを発展させていくと良いでしょう。
レジリエンスは「復元力」という自分で自分をポジティブな心理状態に引き上げたり、自己暗示するアプローチです。
ショートソモサン③レジリエンスの中核は「自問自答」できること
レジリエンスの考え方では
「人が持つマイナスの考え方、ネガティブな心理にはほとんどにおいて認知の歪み(バイアス)が含まれている。人は誰しも自分の考え方が正しいと思っているかもしれませんが、実はそれが間違っていることが多い。認知行動補正が進んでいくと、それが不合理で間違った考えであり、ネガティブ心理が浮かんでくる主な原因であることがわかってくる」
というのがあります。
そして
「ネガティブな発想は現実の正確な事実を把握した理解によるのではなく、歪んだ理解によるものである。つまり、浮き上がる想念は人生の体験によるものではなく、空回りの産物、ニセモノの体験によるものばかりだし、今ここでの状況とは全く異なる。まして未来など分かる道理もない。心が動揺したときには、頭に浮かんでいる考えを取り出して自問自答してみることが一番である。大事なのはそういった冷静さを見につけることであるが、人間そう簡単に冷静にはなれない。訓練も大事だが、手っ取り早いのは他人の手を借りることである」
と説いています。
自問自答としては、
「その考えを裏付ける事実にはどのようなものがあるか」
「自分が最初に考えたこと以外の説明の仕方はあるのだろうか?」
「それはどの程度重要なのか?」
「それがもし本当だとしても、それでそんなひどいことが起こるのだろうか?」
「違った行動をしたとしても、何か困ったことが起きるのだろうか?」
ということを冷静になって内観することです。これを外的に支援するのがペップトークの全容です。
レジリエンスでは、人がすぐに描きたがるネガティブ心理に導いてしまう習癖(時にこれが当たり前で染み付いている人がいる)を12種類のパターンで紹介しています。
ショートソモサン④:ペップトークで是非ともアプローチしたいネガティブな思考のクセ 12個
①All-or-nothing thinking (白か黒か両極端で考えてしまう) :自分の置かれた状況は「良い」と「悪い」の2種類しかないと考えてしまう状態です。 選択肢がほかにあることに気づいていません。 例:「すべてにおいて完璧でなければ、私はダメな人間だ。」
②Catastrophizing(悲観的) :将来について悲観的な見方しかできません。絶対に悪いことが起きると考えています。 例:「私はきっと緊張してしまって、絶対にうまく成し遂げることができないだろ う。」
③Disqualifying or discounting the positive(ポジティブなことに目をつぶる):自分の過去の数々の成功体験を否定してしまいます。 例:「あれはたまたまうまくいっただけで、私には能力があるとは思えない。ラッ キーだっただけだ。」
④Emotional reasoning(証拠を見ないで感覚に頼る):うまくいったという証拠があるのに、なんだかダメなような気がして、ついには「ダメなんだ」と思い込んでしまいます。 例:「私はそこそこ良い仕事をするけれど、それでもやっぱり、自分はダメだという気がする。きっと自分はダメなんだ。」
⑤Labeling(レッテルを貼る):自分や他人に確証もないレッテルを貼り、「そういう人なんだ」という思いで凝り固 まってしまいます。 例:「私はダメな人間だ。」「彼は遊び人だ。」
⑥Magnification/minimization(過大/過小評価する):自分や他人を評価するときに、ネガティブな点を過大評価し、ポジティブな部分を 過小評価してしまいます。 例:「あまり良くない評価をもらったということは、私はやっぱりダメなんだ。良い評価をもらったとしても、それは必ずしも私に能力があるということにはつながらない。」
⑦Mental filter(自分の認識にフィルターをかける):全体を見ないで、小さなミスにばかり注目してしまいます。 例:「この1カ所だけポイントが低いから、私はやっぱり良い仕事ができていないんだ。」
⑧ Mind reading(他人の考えを邪推する):周りの人が考えていることを、自分の思い込みだけで信じてしまいます。 例:「上司はきっと、私にこのプロジェクトを任せるのは早いと思っているに違いない。」
⑨Overgeneralization(過剰一般化する):自分で作ったネガティブなルールに縛られてしまいます。例:「彼に会うのがこんなに億劫だということは、私は彼のことが好きではないんだ。」
⑩Personalization(個人的な問題として受け止めてしまう):相手の行動がネガティブなのは自分のせいだと思ってしまいます。例:「彼がいつもデートに遅刻してくるのは、きっと私のことが好きではないからだ。」
⑪ should」and「must」statements(「しなければならない」と思いがち):自分や相手の行動や意見に対して、「こうであるべき」とか「こうしなければならない」という強い観念を持っています。 例:「男なんだからしっかりしなければいけない」、「母親は強くなければいけない」
⑫ Tunnel vision(悪いところしか見ない):自分は暗いトンネルの中にいて、なかなか光が見えないと思ってしまいます。 例:「もう新人ではないのに、雑用しかさせてもらえない。こんな会社にいても意味がない」
どうですか皆さん、周りにこういったネガティオブ心理に陥っている人がいませんか。生産性を落としている勿体無い人が跳梁跋扈していませんか。
良ければ皆さん、この12の概念(習癖)に対してペプトーク的承認(認知のポジティブ転換)となる言葉やアプローチを考えて見てください。
次回はペップトーク第三弾、「行動(してほしい変換)」についてお話を進めたいと思っています。
それでは引き続き次回をお楽しみに。
さて皆さんは「ソモサン」?