• 人々から求められる影響力(パワー)を発揮する~サステナブルなJoyを生み出す心~ ソモサン第195回

人々から求められる影響力(パワー)を発揮する~サステナブルなJoyを生み出す心~ ソモサン第195回

ショートソモサン①:サステナビリティとは変化対応の連続である

皆さんおはようございます。

先だって私の後輩から「サスティナビリティ(持続可能性)」について話題がありました。持続可能性とは一般に物事が保全的継続的に推移する状態を云いますが、私的には多くの人たちの捉え方にどこか違和感があります。それは保全ということから変化とは対極に捉えているような印象を感じるからです。

当たり前の話ですが生体として存する動態的な世界において変化は常態です。つまり保全とは変化にうまく対応する、むしろ変化をうまくコントロールする動きと云えます。まさに平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」です。では変化をコントロールするとはどういう動きを取ることなのでしょうか。

変化とは目に見える大きなものばかりではありません。いわゆる大変と言われるのが目に映る変化を言います。しかし現実において大変はそう頻繁に起きるものではなく、世の中は目には映らない小変の集まりです。小変とは微細動の様なものです。人の生体はこの微細動によって営まれています。一見静態的に見えても微細動によって動態的な存在なわけです。

持続性の要は、まさに微細動にあります。常に生じる小変的変化をモニタリングし、異変をキャッチしながら変化に対応していく。起こる変化をコントロール可能な段階で制しながら、表面的には恰も静態的なように時を送っていく、それがサスティナビリティの本質です。

例えばJoy(至福)な状態を維持するという願いがあるとします。ここで重要なのはJoyな状態という概念です。Joyな状態も他の変化と同様に固定的なものではありません。常に移ろいゆく状態です。移ろいゆくとはまさに変化の渦中にあるということです。その移ろいゆくという前提の中で状態を維持するというのは、変化を小変な段階で受け止めて、その変化の動きに身を乗せて状態が保全できるように舵取りをしていくという能動的な動きを取ることです。まあ波乗りを思い浮かべると良いでしょう。ここで着目すべきは、変化に対して「身を任せる」といった受動的な動きではないということです。受け身だったり、更には身を固定するような保守的な態度や防衛的な態度では変容し続けるJoyの条件から早晩逸脱してしまいます。そうJoyは常に掴み取り続けなければならないのです。つまり持続可能性とは常に足元が覚束ないような不安定な状況の中で危険(リスク)に挑戦し続けていく動きであり、そこがどうも私が多くの人に違和感を抱く原因になっているのです。「幸せでいたい」。その願いは分かります。しかし多くの人の見解を伺うと、それを「出来るだけリスク回避をして、変わらない状態を維持させること」と言った保守な声ばかりが耳に入ってくるのです。それは持続可能性の本質からすると返って遠ざかる行為なのです。持続可能性は絶えざる波の行き来にうまく身を合わせて、常に能動的に身を変え続けることなのです。

ショートソモサン②:サステナビリティに必要な「観察」と「対応」

それには先にもお話しした様に、まずは波をモニタリングすることが必須になります。その上でその波の大きさを予測して準備する動きを取ること、そして波を受けた際には出来うる限りマイナスの影響が少なくなるように柔軟に受け身を取れることが求めれます。それにはモニタリングする力と予測する力、そして受身を取れる力を身につけることが条件になります。

皆さんもお察しのことと思いますが、利己的な人や自分中心な人はなかなかJoyの境地は得られません。何故ならばJoyは環境の変化とともに移ろいゆく想念ですから、周りを率直に見て素直に受け入れられない人には変化の状態が見極められないからです。変化の状態を常に見極めて、その状態に自分を合わせるには、まず見極める姿勢と身を合わせる姿勢の二つが求められます。見極めるとはモニタリングして予測するということです。身を合わせるは受身のことです。どちらに対してもそれをするには「我を知る」ことが必須となります。

例えば外の動きを見極めるには、何より軸足である自分の心の立ち位置や状態が安定的でなければなりません。自分の心がフラフラうろうろと不安定だとその動きによって目移りが生じ、外の動きを見定めることが出来なくなるからです。波の動きや大きさを見極めるのに船の上からでは身が揺れて出来ないのと同じことです。

そしてその変化に柔軟に対応するには、柔道と同じように受け身の技術を身につけることが肝要です。心の受け身とは変化の波をしなやかに受け流す心の在り様をいいます。しなやかとは、問題解決に向けて能動的に、時には上手く受け流したり、また時にはリーダーシップを持って挑戦的にリスクに立ち向かえるプラス指向の意志や思考力を持って事に当たるということです。そしてその原動力となるのがポジティブというキーワードです。それがJoyをサスティナブル、持続可能性に生み出すプロセスになります。

ショートソモサン③:禅の修行法とレジリエンスの違い~感情のポジティブ化~

ではどうすれば常に変化に適応し、かついなせる力を持てるのでしょうか。それはこれまで何度もご紹介させて頂いてきた禅の修養法にヒントがあります。元々禅を始めとする仏教の目的や修養は恒久的な安息の状態を身に生み出すために面々と営まれてきたのは周知の事だと思います。いわゆる悟りの境地です。

その過程で生み出されたのが坐禅などの瞑想法による自己統制力の会得、そして公案や作務などによる受け身の会得です。

この概念や過程は西洋においては「レジリエンス」という概念と共通しています。またそのアプローチも認知行動療法などの認知理論を応用した内観法を活用するなど近似した試みが為されています。しかし現状でのレジリエンス開発技法は認知という思考領域に寄った方法で、禅のアプローチのような感情領域を凪ぎさせるアプローチがない為に今一つ思もう様な成果は得られておらず、普及の壁となっています。

人の心の動きはノーベル賞学者であるカーネマンなどが提唱する二重過程理論のいう様に、認知反応といった意識上の過程からの反応行動(これをシステム2と云います)のみならず、直感のような感情反応からの反応行動(これをシステム1と云います)があり、むしろシステム1の方が即反応となるため、感情がネガティブだと認知の方もネガティブ優先となるという事があります。したがって認知をポジティブにするには同時にシステム1としての感情をポジティブにすることが重要な要素となります。レジリエンス開発にはこの感情を治めることを付加する必要があると私は考えています。

禅のアプローチは両者同時にアプローチする技法です。私がボンズ・アプローチを重視するのもここにあります。

ショートソモサン④:パワー(影響力)行使のポイント

さてこのポジティブ感情ですが、これは前回お伝えしていたボンズ・アプローチの肝であるパワーの効果的な組み合わせによるアプローチにも深く関わってきます。

社会的な影響力における影響の過程は、力がシップ(方向づけ)として何らかの影響を及ぼすことで、ポジティブ影響の時には勢力、ネガティブ影響の場合は威力となります。これは良し悪しとは関係ありません。こういった力を意図的になされる場合、権力という力の行使になります。因みにシップを使って影響すべき仕事がマネジメントです。ですから幾らマネジメントのノウハウを知ったところでシップやパワーがない人がそれを実践したり、行使しようとしても徒労になります。日本のマネジメント開発で致命的なのは、この点がかけているところにあります。まさに「画竜点睛を欠く」です。

ところでこの力ですが、その源泉にはよりポジティブな源泉から、専門性、情報性、人間性(同一性)、公権性(正当性)となり、更にネガティブに向かって報酬性、関係性、そして、最もネガティブなのが懲罰性(強制)という様に分類されています。

以前の回で話しましたが、マネジメントや影響力の行使において殆どの人が基準にするのが公権力です。この力は唯一外発的に働く力、認容的に当たり前として影響される力だからです。しかしそれ故公権力は影響力として極めて中立な力といえます。それだけでは心許ないと認知する力です(される側から見るとそれでも十分に大きな力なのですが、そこでの認知の齟齬が様々な問題を生み出します)。その為多くの場合は他のどれかの影響力と組み合わせた中で複合力として影響しようとするのが普通です。

その際影響される側が進んで影響されようとするポジティブ寄りの影響力である専門力や情報力、或いは人間力(魅力とも云う)がある人は、その力と複合させようとします。時には公権力を度外視して影響させる人もいます。一方そういった影響力がない人、自信がない人はネガティブ寄りの報酬力や関係力、懲罰力という影響力を合わせ持って「仕方なく」でも従わせようとするのです。例えば公権力に報酬力を合わせてとか公権力に強制力を合わせてといった複合技を持って受け手に恐怖心を喚起させることから影響力を行使するといった具合です。

これは効果的に影響を及ぼす場合において非常に有用な話です。人はその深層でポジティブを希求する存在ですから、より有効な影響なアプローチは、段階に応じたアプローチを駆使するのが好ましいと云うことを示唆しているからです。しかし人への影響の在り方はそれだけではありません。同時に人はその人の人間的成熟度にも関係していると云うことも重要な要素なのです。例えば大人としての理非分別力において、その成熟性に応じてマッチするレベルの影響力を行使することが有効性を高めるという事実です。教養ある人に専門性や情報性はベストマッチです。反対に報酬性や懲罰性は逆効果にもなりかねません。しかし教養に乏しい人には専門性や情報性を駆使しても通用しません。寧ろ報酬性や懲罰性の方が明快で効果的になるということもあるわけです。このように人を見て法を説く。影響力は状況に応じて複数の力を組み合わせて行使することが肝要なのです。

ショートソモサン⑤:組織の「パワーフロー」を調整する ~パワーを駆使して横暴な威力にもこうする手立てが見えてくる~

ところで、この真理には無謀な威力に対する抗力のヒントも潜んでいます。その一つは勢力ではなく威力を行使しようとする人は総じて勢力の源たる専門力、情報力、人間力に対して劣等意識を持っていると云うことです。ですから先のように人を見て法を説くのでない限りには、その使い方は歪んだ行使という事になります。そしてその大半は公権力よりもネガティブ寄りの影響力の濫用にあります。

こういった行使をする人たちの共通点は自信のなさや成熟性の低さからくるネガティブ意識です。論理性や倫理性に意識が行かない故に感情的な領域で人に影響を及ぼそうと足掻くわけです。

従ってまずは前回ご紹介させて頂いたように、まずは感情、特にネガティブ感情の吸収とポジティブ転換が重要なアプローチになるわけです。でもこれだけではその場凌ぎ、場当たりにしかなりません。本当に抗するには感情に対して感情をぶつけても刹那的になるだけですから、問題解決にはならないのです。ではどうするか。

それはやはり専門性や情報性の領域に引き摺り込むことです。例えばデータや事実、エビデンスをぶつけることです。また第三者のような客観力を活用することです。集団圧力を効果的に扱うのも一手です。何せ影響力は受け手が影響されて何ぼですから。総すかんを食らっては影響力もありません。

この様に、例えば上司を始めとして他者のパワーに対して有効に抗したり、また他者のパワーをうまく生かすには、しっかりとパワーの論理を踏まえた上での理に叶ったアプローチが重要になります。

因みに上司などの影響する側としては、上に行けば行くほどまずは感情支配から脱却する必要があります。それには劣等感から脱し、自信の成熟性を高める以外ありません。その手立てとして言えるのは、ともかく正当性と専門性を高めることによって、組織内でフォーマルな権威を持てる様になるしかありません。それによって人間性を獲得することです。また上に行けば行くほど情報性はあくまでもそれに付随するものであるということも見逃してはなりません。

 

<練習問題>

最後に練習問題です。

「会社内でハラスメントがあるという噂があるので、調べたのですが今一つその証拠が見つかりません。そこで今後そう云うことが起こらないように、法律の専門家である弁護士に頼んで勉強会を実施する事にしました。」

さて皆さんこういった場合、弁護士さんのどういった影響力に期待したのでしょうか。また実際に弁護士が行使出来る影響力はどういった影響力でしょうか。次回までにお考えいただければ幸いです。

それでは引き続き次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?