• 当事者意識がキーワード~SRI Cube Forceの心臓部となるintention~ -ソモサン第175回-

当事者意識がキーワード~SRI Cube Forceの心臓部となるintention~ -ソモサン第175回-

LIFT(Live Idea & Feeling Treatment/活性した考えや気持ちを整える取り組み)を牽引するドライブ力であるSRI Cube Forceとは、①Solution(問題解決/思考力)、②Relation(関係構築/感受性)、そして③Intention(当事者意識/主体性)という人のパフォーマンス(生産的行動)のあり方を決する3つの力を指します。(Cube=3乗の意味)つまり人がそのパフォーマンスを高めるにはこれら3つの力をバランスよく高める必要があるということを表現しています。

様々な企業様の実践の中で強く感じるのは、

・問題解決に対する論理力はあっても関係構築に対する感受性が鈍く、計画倒れになっているケース

・反対に感受性が高くて人と繋がることには長けていても、論理力がなくて一向に問題解決ができない

こうした何かが足りずにうまくいかないケースが至る所に蔓延しているあり様です。

(特に日本では論理力の弱さによる問題解決の滞りを関係構築によって処理しようとし、却って問題解決を混迷化させている現場と、学校秀才(与えられた正解を処理する垂直思考にだけ長けている人材)を学歴階層化させた組織の体勢によって論理力(非常に偏った論理展開ですが)を持って合理的提案はするけれども、周囲との関係が構築出来ず、笛ふけど踊らずに苦戦する管理階級といった図式が顕著です。)

そしてそれを加速させるのが、「主体性を支える当事者意識のなさ」です。当事者意識とは責任意識とも重なる意識です。

さて組織の中で、耳する当事者意識とは一体どういった存在なのでしょうか。「当事者」とは文字通り物事に関与する存在です。そして当事者意識とは物事を認識した上で「良好な」状態に導く意識です。

当たり前の話ですが、問題解決はまず問題の認識から始まります。問題を問題として捉えていない中では何もはじまりません。この「問題を、問題と認識する意識」を当事者意識と云います。問題認識は当事者意識から生み出される反応行動です。

ショートソモサン①:あなたが抱える問題は誰のものか? ~当事者意識と問題解決~

ところで、もともと問題解決における「問題」とは、誰にでも明白な障害や不具合以外は、「何らかの出来事」を誰かが「問題だ」と認識することで顕在化される命題です。言い換えますと、「ただの出来事」を問題と認識する人(以下Aさん)が「問題だ」と定義するのであって、そうでない人(以下Bさん)にとってその出来事は「問題ではない」のです。例えばAさんが正しいと思うからといって、自分が信じる観念がBさんにとっても正しかったり信じるに値する観念であるとは限りません。しかしAさんにとっては、Bさんの反応は問題になります。でもBさんにとっては間違いなく「問題ではない」のです。

この時実際にAさんの認識が正しくて、Bさんが無知な場合もありますが、それでもBさんが認識を改めて、それを「問題だ」と認識しない限り、その出来事は問題として俎上に上がることはなく、解決の入り口にたつこともありません。

ですから当事者意識という観点から見て、問題解決におけるステップの入り口で「問題の共有化(これが問題だよね、ということの共有)」を行うことは非常に重要です。問題を解決するには、まず問題を「問題だ」と認識することですが、複雑に人が絡み合う中でそれぞれが認識した問題を解決するには、関与者全員に対して問題を「問題だ」と共有化させることが求められ、それなしでは問題解決はすべて空論となります。

にも関わらず、この過程をすっ飛ばして惨敗するケースが引きも切らないのが実際です。どうしてこのような馬鹿馬鹿しい失敗が多いのでしょうか。

私見ですが、多くは「分かってはいるのだが出来ればそこに触れたくない」といったズボラさというか、当事者意識の低さが一因であると見ています。また「それ位共有しなくても誰しも分かっているだろう」といった見通しさの甘さも当事者意識の低さも一因しているように思います。最近では「問題の共有化」といった過程にすら目が向かない鈍感な若者も頻出している感もあります。私的にはこれも当事者意識のレベル低下がもたらした現象と見ています。

先にも述べましたが、当事者意識とは問題を「問題だ」と認識する意識ではありません。問題を認識した上でそれを「良好な状態に導く」意識です。ですから良好な状態に導く過程に責任感のない意識は「低い」と断ずるしかありません。

実はここに当事者意識のポイントがあります。問題解決は、まず第一義として「問題解決は出来事を問題と認識した時点で始まる」。つまり問題解決の起点は当事者意識にあるということです。平たくいえば当事者意識のないところに問題解決は発生しないということです。これが必要条件です。しかしこれでは十分条件を満たしていません。問題解決は解決してなんぼです。つまり着手しなければ何にもならないということです。ということは大きく二つの命題があります。一つは解決に繋がる論理の創案です。二つ目は、先にも述べた周りの巻き込み、問題認識の共有化です。

にも関わらず企業を始めとして組織社会においてこの二つの命題へのアプローチがおざなりなのは奇異なところです。組織社会はあれほど口では「当事者意識」と喧伝しておきながら、行動レベルでは当事者意識を忌諱しているかの如くです。全くもって不思議な振る舞いですが、この命題への取り組みはそんなに苦手なことなのでしょうか。

ショートソモサン②:あなたの普段の思考のクセはどっち? ~「なぜ?」で考えるか、「どうする?」で考えるか~

ここに戦後の教育制度がもたらした深い育成的な歪みが見え隠れしてきます。その一つが人間関係構築力の脆弱化です。年を追うごとに対人関係を良好に進めるスキルがなくなってきています。人の気持ちが考えられない、配慮できない、思いやれない若者が増えています。そういう人が親になり、モンスターペアレント化し、対人関係力の低下は加速しています。SNSの誹謗中傷や自己保身中心の思想観などの横行などを見ていると、問題認識の共有化などどんどんと遠ざかる一方です。

またその教育制度は「解を創造する思考啓発の教育」ではなく、受験教育に代表されるような「あらかじめ用意された解を合理的に辿り出す思考啓発の教育」に特化され、それが問題解決においても「解決を創造する思考力」の衰退に繋がっています。

教育現場では問題の原因を特定させる分析力、なぜなぜ思考が尊ばれ、人によっては原因が特定されると安心してその先は思考停止する始末です。なぜなぜで答えが得られればまだ良いのですが、そういった問題や命題でない場合は目も当てられません。まさに迷宮に迷い込んだ探検者の体で、待つのは骸骨の姿です。

このなぜなぜ思考にはそれ以上に憂慮すべき問題があります。それはその姿勢自体に「クリティカル」、つまり「批評家的」という観念が潜んでいるということです。「批評家的」とは「他人事的」と同義です。確かに問題における原因分析に対して、当事者意識は却って邪魔になる場合があります。そこに主体的で主観的な思い込みが入ると本質を見誤るからです。ですから物事を分析的に見る場合は客観性が重視される必要があります。私も若いころに「問題に入り込み過ぎるな、クールにやれ」と指導されました。それはその通りなのですが、問題はここからです。問題の「解決行動」はそれでは全くダメなのです。解決行動は主体的創造的に、まさに「当事者的」に関わらなければ動きは出来ません。時には周りを巻き込み、主観である感情も交えて主導していかなければ叶いません。

皆さんお分かりでしょうか。今の学校教育ではこういった解決に繋がる複数の要因を調整し組み合わせて解決に導くような思考法やそのために積極的に人に働きかけて人と協働するような能力の啓発を行わないのです。むしろその能力を誤魔化させるような詭弁力を磨かせることに邁進する有様です。挙げ句のはてには、現場では問題の認識はあっても「事勿れ」や「なあなあ」、「見て見ぬふり」の行動に逃避する者、どうして良いか混迷する者、酷い話、実態そのものを否定したり歪めた定義をすることで抵抗する者。そして悲しい話、手立てが分からず高圧的、政治的に動いて顰蹙を買ったり、恨みを買う者といった敗残者が累々といった状態を醸し出すわけです。

面白いのは幾多のコンサルタント会社や学者がそういった実態を顧みずに自らの売れ線を狙って、分析手法やなぜなぜ思考ばかりを喧伝する状態です。またそれを権威主義的に盲信する経営者やスタッフが沢山いる事実です。

皆さん宜しいでしょうか。当事者意識をもたらすコアな思考とはなぜなぜ思考ではありません。それは「ではどうするのだ」という思考です。そこで求められるのは「構成的論理」です。換言すれば当事者思考とは「どうする思考」といって差し支えないでしょう。現場に求めるのは「なぜなぜ」という問いではなく、「どうするどうする」といった問いに尽きるのです。果たして皆さんの組織でこれをきちんとやっている所は幾つあるでしょうか。

これがない組織は、机上論や他責が蔓延する組織ということになります。いわゆる口先だけで問題を先送りしている組織ということです。大切なのは気持ちではなく、行動レベルでの様相です。こういった本質回避の組織行動が至る所で経年に繰り返される中では、例え個人的には問題意識が高くても、どうしても孤軍奮闘に陥り、この状態で当事者意識など持てるものでしょうか。まるでドン・キホーテの姿を見るようになるのは必定だからです。

誰にも何も応援や支援の手が打たれない中で、力もなく混迷する問題解決に放り出される企業戦士達が奮戦の挙句、死屍累々と倒れ、病に落ち、辞めていく現場の実状。本気であれば本気であるほど馬鹿を見る。これが多くの企業の現場実態なのです。これは明らかに経営者やスタッフの怠慢ということに繋がります。

本当に必要な問題を解決するには本当に必要な支援が要ります。そういったパワーアップをしてあげてこそ経営者であり、スタッフです。

経営者やスタッフこそがまずは当事者にならなければ問題は永遠に迷宮入りになります。奮起を望むところです。是非役立つ教育やアプローチをしてあげてください。

次回から順次必要な手立てや開発手順についてご紹介させていただきますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?