レジリエンス ~感情のマネジメント~

うつ病よりも先に着目しておかねばならないこと

最近巷で「うつ病」がよく取りざたされますが、最近はそれ以上に「境界性パーソナリティ障害」による悲劇の方が多いような気がします。パーソナリティとは、外からの刺激に対する個々人の固有の受け止めかたや反応のパターンのことですが、それに対して特有の病的な反応を示すのがパーソナリティ障害です。

例えばちょっとした人の何でもない言葉に対して、それにネガティブな過剰反応を持ち、自暴自棄になったり、厭世的になったり、空虚感に襲われたりして、相手に向けて感情的になったり、攻撃的暴力的になったり、まとわりついたりするという非常に他者迷惑な障害をいいます。

パーソナリティ障害とは、外との反応の仕方に問題がある病気です。これは人との関係において幼少から強い不安や恐怖を感じていると、それが心の傷となって、成人になるにつれて症状が顕在化するそうです。不安や恐怖の原因は様々だそうですが、その典型が感情の抑圧によってネガティブ感情を蓄積していくと同時に、感情のコントロールを学習していないために他者 との関係が上手に築けなくなってしまっているパターンだそうです。要するに幼少期に感情という世界を否定された養育をされた時に生じやすいわけです。

例えば、常に「よいこ」を演じさせられるなかで本当の自分に空虚感を感じ続けているとか、感情を出すことはいけないことだとしつけされた場合に発症しやすいのだそうです。人は情動経験(感情の表現や感受)を否定されて育つと、ありのままに情動を感じることが阻害され、人や自分の感情を意識しづらくなってしまいます。

そして、それは本来辛い経験ですから、大人になるにつれて論理を覚え出すと、次第に自分を合理化させて、「情動を感じるのは間違っている」とか「情動を感じるのはくだらない」とか、最後には「感情を出すのは弱い人間だ」というようになっていっていくのだそうです。その為感情の存在から目を背けるあまりに感情のコントロール法が学習できておらず、結果として極端に感情を表現したり、その感情に押されて衝動的な行動を取ったり、或いは真逆に感情に無関心になってしまい引いては人に無関心な行動を取ってしまって社会的な生活に支障が出ることになってしまうのです。

「うつ」は個人の内面に向かう病ですがパーソナリティ障害は他者に被害を生み出します。この心の傷は周りからの「感情的になるな」といった露骨な表現のような場合でなくても、「お母さんは泣く子は嫌いよ」とか「泣くのは弱虫だ」とか「男だろう」とか「つまらんことで騒ぐな」「黙ってろ」といった近親者の冷たい態度によって形成されていきます。

これを心理学の専門用語では「無効化」というそうです。そうした環境のなかで育つと素直に感情を表せなくなると同時に、感情の世界を間違ったもの、余計なもの、マイナスなものというように屈折化させていってしまいます。厳格な家に育ったり、男社会に育つとこの傾向が強くなるという事例も多いようです。しかし人間にとって感情は非常に重要な存在です。

以下にその重要性を示してみましょう。

  1. 感情は、一定の行動を取らせるための準備状態をつくる。
    • 例えば、怒りは心理的、生理的に攻撃行動の準備状態を作り、恐れは逃走行動の準備状態を作り出す。恐れの対象に対して、それを素早く察知して、すぐに逃げられるように身体が活性化する。
  2. 感情は、特定の状況で何が起きているかの重要な情報を与えてくれる。
    • 情動は警報システムとして、身体に及ぶ危険を知らせたり、人間関係の状況について貴重な情報を与えてくれる。イライラや不安は行動改善への警告である。
  3. 感情は、モチベーションを高める。
    • 情動は目標達成行動を動機付け、艱難辛苦を乗り越えさせる。意欲を駆り立てる増進作用を持っている。
  4. 感情はコミュニケーションの質を高める。
    • 情動は他者とのコミュニケーションを援助する役割を持っている。情動の反映である顔の表情やジェスチャー、そして 声のトーン等を通して、言語を越える気持ちのやり取りが可能になる。誰かと有効なコミュニケーションを取るとき、こうした表情やジェスチャーの能力に長け ていないと、わかって欲しいことが上手く伝わらないことになる。
  5. 感情は、基本的に適応を促す重要な機能を持っている。
    • 必要に応じて、情動は環境により上手く適応する道筋を指し示してくれる存在である。

感情をコントロールすることがまず第一歩

情動やそれを受け止める感情は、それに飲まれてしまってはマイナスとなる局面に陥ってしまうことも確かにありますが、それがないと援助機能が働かなくなり、生活に利点がもたらされないことになります。情動や感情は人間にとってとても重要な存在なのです。問題はそれを上手くコントロールできる能力が身についているかにあります。そしてこの能力は後天的に開発できることも証明されています。

さて、皆さんやその周りでは如何でしょうか。論理偏重主義に社会が動く昨今、この感情のコントロールの力が形成されていないが故の悲劇が多いのではないでしょうか。また、そこまで行かなくても個人の疲弊や集団の軋轢が蔓延している非生産的な職場がそこら中に蔓延しているとみるのは私だけでしょうか。最近こういった感情のコントロールを上手くこなすための心のマネジメントの世界が「レジリエンス」という表現によって重要視されてきています。そういった風潮を見る限り、人間の本能として論理偏重の社会情勢に対して、社会レベルでのレジリエンスが働き始めているのかもしれません。