• コンパッションクライメットートをファシリテートしていく【組織道の実践】ソモサン第171回(5)

コンパッションクライメットートをファシリテートしていく【組織道の実践】ソモサン第171回(5)

本ブログは5部構成です。

<この記事の全体構成>

(1)成果を生み出す「2つ」の切り口とは何か? →こちら!!

(2)プロセスを良くしようと思ったときに何を見ますか? → こちら!!

(3)ウツ傾向の人がプロセスにどんな影響を与えるのか? →こちら!!

(4)この人は「被害者」か「加害者」か? →こちら!!

(5)プロセスにあだなす「加害者」か、プロセスに押しつぶされる「被害者」かをどのように見分けるのか? プロセス理解力を鍛える → 今のページ!

ショートソモサン(5)プロセスにあだなす「加害者」か、プロセスに押しつぶされる「被害者」かをどのように見分けるのか? プロセス理解力を鍛える

しかしそうは言っても全てを抑え込むことはできません。さて、ではできる限り早期に発生を抑止すると同時に、残念にもこういったトラブルが起きてしまったとき、どうやって「コミュニティを破壊する加害者人材」と「本当の被害者人材」を行動ベースで見分け、処置を打っていけば良いのでしょうか。これこそがプロセス処理における見極めが重視されるところです。以下にありがちなプロセスを提示してみましょう。

<人間関係の加害者・被害者を見分けるポイント例>

・加害者は、相手がどこまで自分の依頼を聞いてくれるか試すように、能動的に徐々に負担を増やしていく。

・被害者は何度も同じ被害を語りつづけることで少しずつ癒やされていく。何年も、何十年もかかることもあるが、加害者は、敵と認定する相手や、受けた(と本人が話す)“被害”がコロコロと変わる。そのため、一つの案件について何年にもわたって被害経験を語らない傾向にある。

・被害者は「怒り」の感情を抱くまでに、数時間から数年以上もの時間がかかることもある。例えば10年以上前の虐待を「あのとき、私は虐待されていたんだ」と後から気づくなどがあるが、加害者は怒りをすぐに表す傾向がある。

・加害者は「SNSで拡散してください」「共に批判する声明を出しましょう」「連名で相手の勤務先へ訴えましょう」と、復讐に周囲を巻き込みがちである。

・加害者はコミュニティを破壊するので、3年以上続く友人関係を持ちづらい。また、家族とも疎遠になりやすい。

・加害者はよく「裏切られた」「見捨てられた」「嫌がらせをされた」といった言葉を使いたがる。

 

こういった特徴を、判断や処置を誤らないよう、日常の態度や言動から見極めていくのです。

こういったプロセスを見極める力は、自らのメタ認知力を磨くことにも役立ちます。そうして徐々にウツに強い心構えを作り上げることに繋がります。

ウツになりそうだという自覚のある人は、まずプロセス処理能力を身につけるのが肝要です。それには自分で自分をしっかりと見つめ、「セルフコンパッション」を本気で捉え、自己肯定感を上げていくことが重要になります。セルフコンパッションの上げ方の肝は、自分の肯定的な面も否定的な面もきちんと受け止めて自己正当化や他責に逃げるのではなく、慈愛していくことにあります。つまり、否定的な自分にもしっかりと目を向けて論理的に自分を捉えることが全ての起点になります。

さてウツに至るプロセス(処理過程)を観察する限り、当該する方々は、主に感情的激流に飲み込まれる心理的な処理過程が強いのも強調される特徴です。ですから自らをメタ認知したり、論理的かつ包括的に解析する力が弱いわけです。しかし幾らそれが分かっていてもすぐに「はいやります」というほど力は啓発されるわけではありません。そこに自力更生の限界点があり、かえって落ち込みや防衛心を煽ることにもなってしまっています。

ここではやはり他者の助力が重要になります。しかし当事者の問題は感情の制御力にあります。従ってこういった人に対して、いくら理屈を講じてもまさに「暖簾に腕押し」なのは日を見るに明らかです。論理的に思考できる人であれば端から自分がうつ状態に陥ることを阻止できるわけですからこのような問題に陥らないわけです。ところがプロセスが分からない人は、人の「感情的な動き」という存在が分からず、そこに関心が持てないので、すぐに論理的な説諭で相手を納得させようとし、さらに火に油を注ぐ羽目になります。

プロセスとは感情世界と論理の世界を観察のときも分析の時も介入の時も行ったり来たりできる能力です。人の心理や状況を鑑みた中で、感情的なアプローチが必要な時は感情的に、論理的なアプローチが必要なときには論理的に対応できる力です。時には感情的な状況を論理的に処理する必要がある時もあります。

ウツのように感情的なメンタル状態に陥っている時には、まず思考的な状態に切り替えてもらう必要があります。それにはまずポジティブな感情に誘引しながら、同時に論理的に内観して貰うアプローチが必須です。表情や話し方はポジティブな感情を表現しながら、同時に内容は相手のレベルに合った論理的な言い回しが出来なくてはなりません。それがプロセス処理なのです。

例えば、プロセス処理には感情というメンタルに対するクリティカルなフィードバックが欠かせません。ここで重要なのはクリティカル、つまりクールな論理的思考が軸であるということです。難しいのはクリティカルとは批判的という概念を含み、それはネガティブと近似した面があるということです。ネガティブフィードバックとクリティカルフィードバックは全く異なる目的でありフィールドですが、論理力のない人や感情に押し流される人はその区分けが理解できず混ぜこぜにしてしまいます。

人を見て法を説く。プロセスフィードバックにおいての根本原則です。クリティカルとネガティブの違いが分からない人にはそれなりの導引やアプローチが求められます。プロセス処理とはまさに知的な技術といえます。プロセスとは社会学的で心理学的な論理といえます。従って、プロセスこそは本当に頭が良い(論理的な思考力に優れている)人でないと取り扱えない領域だと私は考えています。

プロセスは論理です。ここで気をつけたいのはプロセスはコンテンツではない。だから論理ではないという暴論です。日本におけるプロセスの理解には意外とこういった観念を持つ無知蒙昧な人が多くいます。私の前職の会社でもそういったレベルの低いコンサルタントが随分といました。結果プロセス処理能力は次第にレベル低下し劣化し、そして組織知が喪失されるに至ってきています。そうなるとコンテンツ的なコンサルタントと正面対決になります。私的にはまあ頑張ってマッキンゼーさんと張り合って下さいとしか言い様がありません。

ともあれ前述の如く、プロセスは特に心理の流れや感情の流れを論理的に把握できないと出来ません。ここでいう論理とはバーティカル(直線)思考的な論理ではなく、システム(多軸・有機)思考的な論理です。またラディカル(無機)な論理や解説的説諭的な静的論理ではありません。動的に状況や心理や感情の流れをキャッチしながらそれをシステマチックに統合整理して訴求点を見出している論理力がなければプロセスマネジメントはできません。しかもその情報系は常に変化していきます。流れに応じて柔軟に思考のパターンを転換できなければプロセス処理はできません。

例えば感情的な人には感情を交えた、時には感情を揺さぶるアプローチが必要です。ネガティブな人には必ずしも単純にポジティブにアプローチすれば良いと云うわけでもなく、時にはカウンターとして相手に自分のネガティブさを気付かせるアプローチも必要なのです。プロセス処理は動的です。

頭が良く、更に感性が豊かでないと出来ない技術なのです。そしてそれくらい心配りするには自己利益優先の心情ではもちろんできません。プロセス・コンサルティングが出来るか否かは利己的か利他的を判断するリトマス試験紙のような面もあるのです。

コンテンツとプロセスの違い、皆さんにはご理解頂けましたでしょうか。またコンサルタントの必要性や上手な使い方の違いしっかりと認識頂けましたでしょうか。

今組織の本当に求められているのは、コンテンツを提供したり教育をする静的なコンサルタントではなく、組織の動きを活性させる、個人の意識を前向きに導引するプロセス・ファシリテーションができる動的なコンサルタントだと声を大にしたい私なのです。

さて皆さんは「ソモサン」?