• コンパッションクライメットートをファシリテートしていく【組織道の実践】ソモサン第171回(3)

コンパッションクライメットートをファシリテートしていく【組織道の実践】ソモサン第171回(3)

本ブログは5部構成です。

<この記事の全体構成>

(1)成果を生み出す「2つ」の切り口とは何か? →こちら!!

(2)プロセスを良くしようと思ったときに何を見ますか? → こちら!!

(3)ウツ傾向の人がプロセスにどんな影響を与えるのか? →今のページ!

(4)この人は「被害者」か「加害者」か? (近日公開)

(5)プロセスにあだなす「加害者」か、プロセスに押しつぶされる「被害者」かをどのように見分けるのか? プロセス理解力を鍛える (近日公開)

 

ショートソモサン(3)ウツ傾向の人がプロセスにどんな影響を与えるのか?

<ウツに陥りがちな人の傾向>

①自意識が人一倍強い。その裏には自信の無さや幼児性的ワガママが潜んでいる。

前々回の時に紹介した過誤記憶の時に出てきた「内的統制型」の顕著な人です。物事に対して自分を外して客観的に物事が見れず、論理的な分析ができません。そして常に自分を中心としたものの見方に終始して、ひいてはそれが被害者意識と強く結び付きます。して貰ったことは過小に、されたことは過大に見積もるので人心が次第に離れていきます。また自意識に基づいた防衛意識によって「自己正当化」が強く、自分の論と異なった論理や意見を反射的に拒絶してしまいます。これがますます人心が離れる理由になっています。

②ネガティブ思考が起点になっている。

多くは原体験に起因していますが、根っこで人が信じられず物事をすぐにネガティブに受け取り、ネガティブ思考を基調に物事を観察し判断します。それが自意識とも相まって孤立感や孤独感にも繋がっていくのですが、ネガティブ思考であるが故にそれが満たされず、ますますネガティブが助長されます。

根っこに潜む他者に対する疑念と敵愾心が、ミラーリング効果によって、相手からも敵愾されているという感覚に直結し、すぐに馬鹿にされているとかいった被害者意識を想起させます。多くの場合それをカバーしようと普段は物腰柔らかいのですが、その圧迫から反動的に感情爆発が起きやすい人が多いようです。扱いにくい人として認知されるのでより閉塞感が強くなっていきます。

③感情に流され、論理力が弱い。

自意識もネガティブ思考も元々は感情の抑制に根ざしています。感情が抑制できない人の特徴は、元より感情的な性格もあるのですが、多くは幼少から甘やかされて(というよりも幼少期に大人としての論理的なフィードバックをきちんと受けておらず)、クリティカルな思考力が醸成されていないのがポイントです。物事を論理的に思考できずすぐに感情に支配されるので、内省力が弱く、物事を流れによるストーリーとして解析できません。

その為に発想が刹那的です。人によっては過去からの経緯や包括した相手の人となりとか他の面のデータが吹っ飛び、瞬間湯沸かし器のように妄想に取り憑かれてしまうケースもあるようです。そうして自分の概念に反すると捉えた意見やものの見方を反射的に拒絶してしまいます。いわゆる耳が瞬間的に閉ざされてタコツボに嵌ってしまいます。結果自分で自分をどんどん追い込んでいくことになるわけです。そして症状は重くなる一方になっていくわけです。

④曖昧性に対する許容度がない。

聞きたいことしか聞かない、聞けないといった自己概念の枠組みの壁は二値的な思考の温床になります。二値的とは白か黒か、正解か不正解かといった極端思考のことです。最近の日本の若者にこの思考の強い人が増加してきているのは憂慮されることです。この原因はメタ認知の力がないが故に自らの中に判断基準が持てないということに根ざします。哲学的な思考や評論的な思考が鍛えられておらず、自己概念が確立していないので常に答えを外に求めたがる。

それも明確な答えに安心を求めようとします。だから論拠がなくても大勢に流されたり、情意的な好き嫌いで物事を判断しがちになります。実際の世の中は多様解の中から最善解を見出すとか物事も多角的に見つめて自分なりの最善解を導き出すというのが大事なのですが、こういった人はそれが出来ません。マスコミなどの一見権威があるようなバックボーンを盲信してSNSなどで誹謗中傷を繰り返す人の心理もこれに似ています。

こうして①から④の特徴が絡み合いながらループを描き、どんどんと轍に嵌まってネガティブ心による不信感や自己嫌悪、そして防衛心に凝り固まっていくのがいわゆるウツ的症状の始まりです。

過誤記憶のところ(過誤記憶についてのブログはこちら)でも記しましたが、先般もお客さんの若い社員で「ああこの人はウツだな。少なくとももう予備軍であることは間違いない」と判断されるケースがありました。これまでの経緯を聞いていたので、ある程度の予測を持って内的性向か外的性向かの正式な診断資料を持って面談の最後に記載して貰ったのですが、「多分低いだろうな」と思っていたところ、なんと0点だったのには流石に驚かされました。先方の責任者に「早く心療内科を受けさせた方が良い」と進言したのですが、責任者も本人もピンと来ていません。結局退職の流れはとめられないままでした。一見すると適応障害のように見える場合もありますが、こういった場合はまさに本人に種がある「ウツ」の予備軍的存在ということになります。日本の心療内科は症例が少なく、結構適当な医者もいますので、要注意です。

ところで昨今話題に上がる適応障害ですが、これは症状はウツに似ていますが、そもそもが外圧によってネガティブ思考にされたり、防衛を喚起させられたが故に自意識過剰になるわけで、起点が異なります。そうやって考察するとやはり新型ウツはウツの一種であって適応障害とは別物であるといえます。

兎にも角にも適応障害かウツかはその人の日常プロセスをしっかり観察していれば、ウツになりがちか否かを含めて十分に推察できる話です。ネガティブ思考か否かは若干付き合いが深くないと露呈しませんが、自意識や感情的か否かはすぐに判断できる領域です。

プロセス的に見るとウツに陥りがちな人には一定の流れがあります。まず上記の特徴によって心理が不安定になります。そうするとまず他者批判や他者攻撃を始めます。これは自己防衛という心理反応の表れです。メタ認知ができる人はそこで気付くのですが、それが出来ないと心理暴走が始まり、概ね外的性向の人は他責が苛烈化するのですが、内的性向の人はやがて自己嫌悪と他責が混じりあって次第に病んでいくことになります。

ここである事例を通して自意識と被害者意識について考察してみたいと思います。

カウンセラーによると、ウツに陥りがちな人は、総じて自分を「被害者」だと感じていることが多いそうです。これはDVやモラハラといった他者攻撃をしたりする加害者的な行動に出る人の場合でもそうなのだそうです。そのためこれらの相談に乗ると、被害者も加害者も「私こそ被害者だ」と訴えるケースに直面することが多々あるそうです。後者の場合、本当に厄介です。では何故加害者的人材であっても自分を被害者だと思ってしまうのでしょうか。

(続く)